第二十七話 教育①
次の日から聖女教育が始まった。
通された部屋は、水晶の間ほど広くはなかったが、似たような圧を感じ、何とも言えない居心地の悪さを覚えた。
壁一面が乳白色の水晶で覆われ、外界の気配は一切遮断されている。
窓はない。代わりに、天井近くに細長い結晶が並び、淡い光を落としていた。
中央には低い円卓。
椅子は三つだけ。
「聖女様、こちらへ」
フェイに促され、クロトは席につく。
正面には年配の神官が一人、斜め後ろにはサーディスが立っていた。
「本日の講義は“聖女の在り方”についてです」
年配の神官が、淡々と告げる。
「知識や技術の話ではありません。心構えのお話です」
クロトは小さく頷いた。
フェイは壁際に控え、腕を組んでこちらを見ている。
視線は鋭いが、敵意というより……値踏みだ。
「聖女とは、祈りを捧げる存在ではありません」
神官の言葉に、クロトは一瞬だけ眉を動かした。
「民が祈りを捧げる“対象”であり、国家安寧の象徴です」
続く言葉が、静かに胸に沈む。
「故に、聖女個人の意思や感情は、しばしば混乱を招きます」
神官は、クロトをまっすぐ見た。
「悲しみも、怒りも、希望さえも。過ぎれば害になる」
「……では」
クロトは、ゆっくりと問いを挟む。
「聖女は、何を拠り所に生きるべきなのでしょうか」
神官は即答しなかった。
代わりに、背後のサーディスが口を開く。
「役割です」
柔らかな声。
「役割を果たしている限り、貴女は揺らがない」
クロトは視線を上げ、サーディスを見る。
「もし、役割と自分の意思が衝突したら?」
空気が、一段階冷えた。
神官が答えるより早く、サーディスが微笑む。
「衝突しないよう、学ぶのですよ」
言い換えれば――
意思を削れ、ということだ。
「それが、“ご自身を消耗させない”という意味でもあります」
クロトは理解し、同時に納得はしなかった。
教会が聖女に何を求めているのか、聞かなくても想像はつくものの、確かに聞けてよかった。
「……よくわかりました」
そう言うと、サーディスは満足そうに頷いた。
「では今日はここまで。情報が多すぎるのも消耗につながりますから」
講義は、驚くほどあっさりと終わった。
神官とサーディスは談話しながら部屋を先に出て行く。
二人の気配が完全になくなった頃に、フェイがクロトの前に来る。
「部屋に戻りますよ」
相変わらず素っ気ない。
クロトは目を細める。
席を立たない彼女に、フェイは苛立ちを隠さない。
「さっさと立ってください」
そして小さく舌打ちした。
聞き逃すほど小さく。
けれど、確かに。
クロトは青い瞳を細めた。
「あなたの指図は受けません」
腕を組み、ぴしゃりと言い放つ。
「無理に敬う必要はありませんが、私は無礼を許容しません」
そして静かに立ち上がった。
「与えられた職務をそのような態度で臨むのなら離れなさい」
フェイは菫の瞳をわずかに泳がせ、唇を一文字に結んだ。
そこには悔しさが滲みとれる。
しかし、全てを押し殺したように一度目を閉じると、深々と頭を下げた。
「……大変失礼しました」
フェイは頭を下げたまま、絞り出すように言った。
「聖女様は、僕たちみたいな使い捨ての道具とは違いますもんね」
その声に含まれた微かな毒と、自嘲。
「話の本筋が見えませんね」
フェイを一瞥し、クロトは先に歩き出す。
「……お待ちください」
慌ててフェイが追いかけてくる。
その背後で、水晶の扉が静かに閉まる。
その音が、今日一日の結論のように響いた。
与えられた私室は、思ったよりも簡素だった。
寝台と机、最低限の収納。
装飾らしい装飾はなく、壁も床も乳白色の水晶で統一されている。
神殿の一部であることを、否応なく思い出させる空間だった。
扉が閉まる音がして、ようやく完全な静寂が訪れる。
……静かすぎる。
耳鳴りすら、音として際立つほどだった。
クロトは白いローブを脱ぎ、寝台の端に腰を下ろす。
柔らかいはずの布が、ひどく他人行儀に感じられた。
深く息を吸い、時間をかけて吐く。
そしてまじまじと自分の手のひらを見つめた。
体内に魔力と聖力が隣り合う感覚。
違和感にも近い感覚に、クロトは居心地の悪さを覚えたていた。
「どうやって聖力と魔力を混ぜるのかしら」
サーディスは、本来ならただ混ざるのを待てば良いと言っていた。
自力で力が混ざるまで、クロトは神殿から出られないことになる。
もしそうだとすれば。
心臓が早鐘を打つのを感じ、クロトは目を閉じる。
――大丈夫、大丈夫、大丈夫。
そう言い聞かせるように、胸の内で繰り返す。
まだ、考えられる。
まだ、選べる。
この違和感の正体を、必ず掴む。
水晶の壁の向こうで、誰かが彼女の在り方を決めているとしても――
それを、そのまま受け取る気はなかった。




