第二十六話 管理
クロトは、ゆっくりと息を整えた。
感情に任せて動けばきっと後悔する。
この状況で最も愚かなのは、何も考えずに反発することだ。
――最善を尽くす。
それが彼女の選んだ答えだった。
ここで拒めば、身体は再び蝕まれる。
教皇の言葉が正しいなら、魔力を解放するたびに同じことが起こる。
ならばまず、知る必要がある。
クロトは、教皇を見据えた。
「わかりました」
声は、思ったよりも落ち着いていた。
「聖女として、覚悟を決めましょう」
教皇の微笑みが深くなる。
「素晴らしいご判断です、クロト様」
クロトはその言葉に頷きながら、胸の奥で静かに決める。
(やるからには本気でやりますよ)
ただ言われた通りに決められたことをするのでは、らしくない。
「それでは、改めてどうぞよろしくお願いいたします」
教皇は握手を求めて手を差し出した。
「よろしくお願いします、教皇様」
クロトはそれを魔導士の礼を送って返す。
「私のことはサーディスとお呼びください」
「……サーディス様」
にこりと教皇サーディスは微笑む。
「それから、礼の仕方は後日お教えしますね」
「……お願いします」
サーディスは後ろに控えていた者に目配せする。
「何かお困りのことがありましたら、この者に」
クロトは後ろを振り返る。
近づいてきたのは銀髪の少年だった。
菫色の瞳が不満げに光っている。
十四、五歳くらいだろうか。
まさに思春期真っ只中という表情でクロトを正面から睨んだ。
「フェイです」
短くそう言うと、そっぽを向いてしまう。
もう少し扱いやすそうな人間はいなかったのだろうか。
クロトは思わず目を細めた。
「よろしく、フェイ君」
クロトはそれだけ言って、サーディスに視線を移す。
サーディスは満足そうに一つ頷いた。
「では、まずは環境を整えましょう」
そう言ってサーディスは歩き出す。
クロトとフェイはその後に続いた。
水晶の回廊は、先ほどよりも静かだった。
人の気配が抑えられ、音すら遠慮がちに響く。
「当面の生活についてですが」
歩きながら、サーディスは淡々と説明する。
「起床、祈り、講義、休養。すべて神殿側で管理します」
管理、という言葉をはっきりと使われ、どきりと胸が高鳴る。
「貴女はもう、成果を示す職務の人間ではない。“在ること”そのものが価値になります」
クロトは、その言葉を飲み込む。
価値を定義するのが、自分自身ではない。
そう言われた気がした。
「フェイにはクロト様の身の回りを任せます。体調、様子、些細な変化も見逃さないように」
フェイは短く頷いた。
「……はい」
サーディスは続ける。
「必要なものがあれば、フェイに申しつけてください。くれぐれもお一人で行動しないこと。よろしいですね?」
クロトは、軽く息を吐く。
「随分と甘やかしていただけるのですね」
探るように言うと、サーディスは微笑んだ。
「聖女は、国の安寧の象徴ですから」
象徴。
それは人ではなく、役割だ。
「くれぐれも、ご自身を消耗させるような行動は控えてください」
柔らかく、しかし釘を刺す声音。
「たとえば?」
問いに、サーディスは微笑む。
「ご無理をなさらずに、という意味です」
クロトはすこし意地悪を言う。
「そうですか。もうすこし制限的な意味合いがあるのかと思って警戒してしまいました」
サーディスは、微笑みを貼り付けたまま何も言わなかった。
クロトは歩きながら、静かに周囲を観察する。
回廊の構造、神官たちの距離、フェイの歩幅。
すべてを、記憶に刻んでいく。
「ひとつお伝えし忘れました」
くるりとサーディスは振り返る。
クロトはそれに応じて立ち止まった。
「貴女ほどの魔力量を、抑え込むのは不可能です。ですが――」
サーディスはクロトを見下ろす位置に立つ。
「神殿にいる限り、暴発は起こりません」
断言だった。
「逆を言えば」
一拍、間を置く。
「神殿の外に出れば、命の保証はできません」
クロトはサーディスを見つめる。
「それは忠告ですか? 脅しですか?」
教皇は、ほんの一瞬だけ笑みを崩した。
安堵でも、慈悲でもない。
所有を確かめた人間の顔だった。
「事実を述べたまでですよ」
すぐに、いつもの穏やかな表情に戻る。
「貴女は賢い。きっと、歴代で一番の素晴らしい聖女になれますよ」
クロトは唇を噛んで、静かに拳を握った。




