第二十五話 教皇
次の朝になっても、熱は下がっていなかった。
身体の芯に火種が残っているような、奇妙な熱だ。
「……本当に出立していいんだな」
朝起きてから、グリズリッドは何度も同じ質問を繰り返した。
互いに身なりを整え終わり、あとはテントを出れば良いだけなのに、グリズリッドはなかなかいつものように「行こう」と言わない。
「大丈夫です」
大丈夫と言ったものの、明らかに具合が悪そうに見えるため、クロトはいつもの制服ではなく、黒い魔導士のローブを頭から目深に被った。
「予定が遅れてしまいますので」
クロトは、なるべくいつも通りに聞こえるように話す。
本当は、体中の節々はぎしぎしと音を立てているみたいに痛いし、寒気は治らないし、頭も痛い。
ほとんど体調を崩したことのない超健康体のクロトには、ひさしぶりの本格的な体調不良だった。
でも、自分一人の体調だけで騎士団全体の迷惑になることは耐え難く、寝てろと言われて寝られるわけがない。
「失礼いたします!」
珍しく慌てた様子のレイドがテントの布を押し上げて入ってきた。
「なんだ」
グリズリッドは深い青の瞳だけ動かしてレイドを見やる。
「教会の者たち……教皇と、神殿騎士団が来ました」
グリズリッドは不快そうに目を細めると、何も言わずにばさりと長衣を翻して外へ出て行った。
「私たちも行きましょう」
レイドに促され、クロトも後に続く。
「これは教皇猊下、出迎えが遅れてすまない」
グリズリッドは早速社交モードのスイッチを入れたようで、にこやかに教皇に話しかけている。
「突然の訪問をお許しください、殿下」
白を基調とした法衣を纏った教皇は、グリズリッドへ礼を送った。
「聖女様の覚醒の兆しを感じ、急いで飛んで参りました」
柔らかな微笑みを浮かべ、グリズリッドからクロトへ視線が映った。
「お迎えにあがりました。聖女――クロト・クロンクヴィスト様」
教皇はそう言って、慇懃無礼にも見えるほど丁寧に跪いた。
名を呼ばれ、クロトは息を呑む。
教皇は顔を上げるとクロトを見上げた。
「失礼ですが、聖痕を拝見しても?」
にこりと貼り付けたような笑みを浮かべ、教皇はに近寄り手を伸ばす。
彼の手が魔導士のローブに届くより早く、クロトは自らフードを落とした。
額の聖痕を認め、教皇は破顔した。
「素晴らしい!」
「本人が望まないのに適正とは残酷なものです。しかし、このように聖紋が出現してしまえば、もう逃れようがありません」
レイドと同じ様なことを興奮気味に捲し立て、教皇は語気を荒くした。
「クロト様」
教皇はクロトの両肩を掴んで続けた。
「体調が優れないのは、聖力と魔力が反発し合っているからです」
彼の言葉を聞いていると、頭が朦朧としてくる。
「特に貴女の魔力は膨大だ」
息が浅くなり、次第に肩が上下に揺れた。
「貴女の肉体も、新たな力の出現に驚き、悲鳴をあげているわけです」
教皇の言い分は、恐らく間違っていない。
「一刻の猶予もありませんよ。このままでは呑まれてしまう。急いで移動魔導を用いて王都へ戻りましょう」
教皇はクロトへ手を差し伸べる。
「教皇猊下」
グリズリッドが一歩前に出る。
「彼女は、私の管理下にある」
はっきりとした宣言だった。
だが、教皇は貼り付けた笑みを崩さない。
「ええ、承知しております」
そして、静かに続ける。
「ですが緊急事態故、ご無礼をお許しください」
教皇は折れなかった。
「クロト様の御命の方が大事だという私の判断は――後の報告になったとしても陛下はおわかりくださると信じています」
クロトに向かって差し出した手を、更に伸ばす。
「さあ、お手をどうぞ」
拒否を許さない、しかし命令でもない声音。
聖女選出の儀の際にかけられた言葉が蘇る。
今回は、逃げられない。
クロトは一度目を閉じ、黙って教皇の手を取った。
「殿下」
クロトは、グリズリッドを見る。
「……これで私は、殿下の護衛対象からも監視対象からも外れますね」
微かに口角を上げ、彼女は寂しそうに笑った。
「お世話になりました」
グリズリッドは、目を細めて口を一文字に結び、一度目を閉じてからくるりと踵を返した。
「ご安心ください、殿下」
教皇は微笑んだ。
「私たちは常に、神の御意思に従って行動しているのです」




