第二十話 聖女像
石が砕ける音が、夜の噴水広場に響いた。
噴水の縁を蹴り、クロトは後方へ跳ぶ。
直前まで彼女が立っていた場所を、首の無い聖女像の腕が落とされた。
白い石の指先が噴水の縁を削り、水が弾け散る。
風の魔導を用いて飛びながら、クロトは聖女像に向かって魔導弾を放つ。
至近距離で捉えた。
はずだった。
聖女像は全く攻撃を受けず、クロトに向き直る。
「魔導士殿!」
レイドの右手が光る。
腕輪型の魔導具が淡く反応し、三本の黒い棒が空中に現れる。
彼はそれを手早く掴み、回転させながら接合した。
金属が噛み合う乾いた音。
細身の体に似合わぬ、長い六尺棍が月光を受けて伸びる。
「重たいのは苦手なんですよねえ」
くるりと一度、棍を回す。
空気が鳴った。
後ろから聖女像を捉えたレイドは、真正面から打ち込まず――
横へ滑り込み、棍で石の腕を受け流した。
ごん、と鈍い音。
聖女像の軌道が僅かに逸れる。
「……硬っ」
衝撃が腕に返る。
だが弾かれない。
棍が石の腕を滑り、力を逃がす。
「あーーー手が痺れる〜」
軽口を叩きながらも、足は止めない。
円を描くように動き続ける。
月光を受け、聖女像の身体がきしみながら向きを変える。
首の無い断面から噴水の水が流れ落ち、動くたびに石像の胸のあたりを濡らした。
聖女像はクロトの動きを捉え、追いかけて来る。
「レイドさん、残念なことに魔導が効かないようです」
攻撃を避けながらレイドに話しかける。
「わあ、それは残念すぎる情報ですねえ」
レイドはやれやれと立ち上がる。
「聖女像は確実に私を狙っています」
「そのようですね」
レイドは高く飛ぶと、聖女像の肩に足を乗せ、器用に飛び乗った。
「どうせ黒魔導で動いているのですから、何か仕掛けがあるんでしょ」
石畳を踏み鳴らし、聖女像が一歩、踏み出した。
そのたびに噴水の水音が乱れ、広場全体が低く震える。
大きく揺れた聖女像の上で、レイドの体が傾ぎ、しがみついているのが見えた。
「……あれ、無いな」
あれ?と首を傾げているレイドを見上げて、クロトはがくりと首を落とす。
石の脚が地を蹴った衝撃で、振り落とされそうになったレイドが諦めて聖女像から飛び降りた。
噴水の水が高く跳ね上がり、砕けた水滴が雨のように降り注ぐ。
突風が押し寄せ、外套の裾が大きく煽られた。
足首を冷たい水が叩き、踏みしめた石畳が一瞬、滑る。
息を吸う暇もない。
視界いっぱいに迫る白い石の塊を前に、私は反射的に歯を食いしばった。
夜の空気を切り裂くように、首の無い聖女像が一直線に私へと迫ってきた。
首の無い断面が、クロトの動きに合わせて傾く。
まるで、そこに在るはずのものを必死に求めるように。
「……もしかして首でも探してますかねえ?」
レイドが棍で像の腕を払う。
叩き落とすのではなく、角度を変える。
聖女像の視線が一瞬、ずれる。
次の瞬間、聖女像が地を蹴る。
今までよりも大きく、乱暴に。
噴水の水が跳ね、石畳が軋んだ。
「適当な石、首の上に置いておきます?」
レイドの問いに、クロトは攻撃を避けながら項垂れた。
「なんか違う気がします……!」
聖女像の腕が、クロトの頭上を掠めて振り下ろされる。
避けきれず、肩口を風圧が叩いた。
(――あれは、私の首を狙っている)
首の無い断面が、ゆっくりとこちらを向く。
据わるはずの位置をなぞるように。
背中に、噴水の冷たい気配を感じた。
「レイドさん!」
声を張り上げる。
「少し、付き合ってください!」
「了解です。……すごくやな予感しますけど」
軽い返事と同時に、レイドの鎌が大きく振るわれた。
聖女像の腕を受け流し、視線をこちらへ引きつける。
クロトは噴水の縁を蹴り、縁石の上を走った。
水しぶきが上がり、視界が白く弾ける。
聖女像は迷わず追ってくる。
判断も躊躇もなく、ただ“正しい位置”を求めて。
クロトは縁石の端で、踏み切った。
風の魔導で大きく跳ぶ。
その瞬間、重たい石の脚が、噴水の中へと踏み込んだ。
ばしゃり、と水が爆ぜる。
だが、聖女像は止まらない。
もう一歩。
さらに一歩。
首を探す衝動のまま、深みへと沈んでいく。
「……っ」
噴水の縁が、ぎしりと嫌な音を立てて軋んだ。
水圧。
自重。
無理な姿勢。
聖女像の脚に、細かな亀裂が走る。
胸へ。
肩へ。
祈る姿勢のまま、像が大きく揺れた。
「レイドさん!」
「了解でーす」
地を蹴る。
六尺棍が大きく回転する。
月光が棒身を滑る。
狙うのは石ではない。
像を動かしている“衝動”の軌道。
首を求める力の流れ。
棍の先端が、胸部の中心を正確に叩く。
ごん、と打撃音が響く。
破壊ではなく、停止。
内部で何かが軋む音が聞こえた。
「おやすみなさい」
もう一打。
今度は縦に。
循環していた黒い魔力が、乱れ、止まる。
次の瞬間。
聖女像の動きが、ぴたりと止まった。
祈る腕が力を失い、首の無い身体が前のめりに崩れる。
白い石の塊が、噴水の底へ沈んでいった。
水音だけが、ゆっくりと元に戻る。
クロトは噴水の縁に立ち、濡れた外套の裾を握りしめた。
砕けた石の間に、祈りの形はもう残っていなかった。




