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第十五話 占術

「あったかくて、気持ちいい……」


 気の抜けた声でそう呟いて、腕の中の人物は静かに眠りに落ちた。

 

 腕の中の重みが、わずかに増した。

 規則的になりつつある呼吸が、胸元をくすぐる。


 グリズリッドは身じろぎもせず、ただその温度を確かめる。

 至近距離で嗅ぐ砂糖菓子のような繊細な甘い香りが、かつて似たような香りを纏っていた彼女を思い起こさせた。


 月の光に桜を溶かした様な銀髪に、薄い銀の瞳を持った――ナシェルのことを。


 友人だった、としか説明ができない。

 数回会って話をしただけの関係だった。

 ただ、その珍しいくらい浮世離れした柔らかい雰囲気に惹かれたのは確かだ。

 命を助けてもらった礼が言えずに二度と会えなくなってしまったことで、彼女のことは棘のようにグリズリッドの記憶に刺さったままとなっていた。

 

 魔導士を抱き寄せたのは咄嗟のことだった。


 母はよく泣く人だった。

 泣かないで、と言うと余計に泣く。

 だから、今でもなんと声をかけるのが正解なのかがわからない。

 泣いていい、と受け止めるほどの気概はグリズリッドにはまだない。


 この魔導士が泣いたのは、きっとこの酒のせいだろう。

 一気飲みすれば、大男でも倒れるというランベリーの酒。

 普通は時間をかけて飲むこの酒を、一気飲みなんてするから――


 思い出して、もう一度笑ってしまう。

 明から様に緊張してるものだから、ついからかってしまった。

 それにしても、無自覚に近寄ってくるものだから、理性を保つのに必死だった。


「うぅ……ん」


 彼女は悩ましげに呻き、額をグリズリッドの胸に押し当てた。

 無意識の仕草だ。


 ……やめてくれ。


 そう思ったのに、細い腰に回した腕は、逆にわずかに力を込めていた。


「戻ろう」


 ここにいては、危険だ。

 部屋の雰囲気に流されそうになってしまう。

 何かやらかしてしまう前に戻ろう。

 

 グリズリッドは魔導士を抱き上げると、さっさと立ち上がる。

 拍子抜けするほど軽い体。


 ……まずいな。


 黒魔導士をおびき寄せるには、魔導士の心臓を狙わせればよい。

 度胸も座ってそうだし、囮に使えるかと思って連れてきた。

 それこそが、彼女を側に置くための「正当な理由」だったはずだ。

 監視対象として一挙一動を逃さず、隙あらばその喉元に剣を突き立てる――。

 それが裏で俺に課せられた任務で、彼女との正しい距離感だった。

 なのに。


 腕の中の魔導士が、小さく身じろぎする。

 寝苦しそうに整った眉を寄せると、俺の首に腕を回し、首筋のあたりに額を置いた。

 ポジションが落ち着いたのだろうか、そのまま再び深い眠りに落ちていった。


 グリズリッドは落ち着かず、一度大きなため息を吐く。

 気持ちが落ち着かない理由はわからない。

 わかりたくもない。


 グリズリッドは視線を落とし、彼女の眠る顔を見る。

 涙の跡が、まだ頬に残っている。


「……面倒な女だ」


 呟きは、ほとんど吐息だった。



「あら、もうお帰りで?」


 夜道で声をかけられ、グリズリッドは振り返る。

 煙草の煙を燻らせていたのは、情報屋のハルヒだった。

 毛皮の付いた外套を見に纏い、赤い唇をにっこりと引いて近づいてくる。


「あらあらあらあら、気絶するまでやっちゃった?」


 素っ頓狂な大きな声を上げて、ハルヒは腕の中の魔導士を覗き込む。

 

「違う!」


 思わず大きな声で否定してしまった。

 ハルヒは満足そうににんまりと笑う。


「宝物運ぶみたいに抱き上げちゃってさ。どうしたんだい、リズ様」


 すすす、とハルヒの人差し指が腕をなぞる。


「その子に惚れてるんだろう」


 グリズリッドは目を見開く。


「すごく綺麗な顔だしねえ。見た目と行動のギャップが魅力だよねえ」


 ハルヒは、徐に魔導士の手のひらを見つめる。

 一体何をしているのか。


「ふうん、なかなか意地っ張りで頑固ね」


 占い?

 くだらない。

 グリズリッドは一瞬にして興味をなくす。


「リズ様も見せな」


 断ると面倒なので、黙って見せる。

 魔導士を片手で抱え直し、もう片方の手をハルヒに差し出す。


「ふんふんふん……相性は悪くないよ。むしろぴったりだ。心も、体のほうも」


 反応するな。

 グリズリッドは平静を装い、両手で魔導士を抱き直す。


「もういいか?」


 足を向けようとすると、ハルヒは服の裾をちょんと持って制止させる。


「まあまあ待ちなよ。ここからが大事なんだからさ。いいかい? この子を本当に手に入れたくなったら思い出して」

 

 ハルヒは急に笑顔を消して、真面目な顔をして口を開いた。


「この子の強さと正しさが苦しくなるときが来る。リズ様はこの子から逃げたくなるかも知れない。それでもこの子を選ぶなら、信じて丸ごと曝け出す勇気が必要だよ」


 抽象的で的を射ない提言だ。

 と、思いつつもつい聞いてしまう。


「……本当に手に入れたくなるのは、どういうときだ」


 ハルヒは妖しくにっこり笑う。


「側にいても不安で、側にいないともっと不安になって、いつもその姿を探してしまって、その姿を誰にも見られたくないと思うときよん。会ってドキドキしてえ、話してワクワクしてえ、触れてキュンキュンすることね」


 捲し立てるように言われ、グリズリッドは目を瞬く。


「覚えておく」

「大丈夫さ」


 ハルヒの指はグリズリッドの唇にちょんと触れた。


「もうすっかり落ちてる顔してるよ、リズ様」


 ずいとハルヒの顔が近づく。


「さっき思っちゃったでしょ。寝顔、誰にも見られたくないってさ」

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