第十二話 放蕩
夜の町は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
提灯の赤い灯りが連なり、酒と香の匂いが入り混じっている。
クロトは足早に通りを進んだ。
町娘の格好のままなのがひどく心許ない。
――娼館。
口に出すだけで落ち着かない言葉だ。
そんな場所に殿下がいる?
なんでよりによってそんな場所に。
グリズリッドがどこで何をしていようと、気にすることではない。
そう言い聞かせながら、歩調を速める。
通りの奥、賑わいが一段と濃くなる場所が見えてきた。
女たちの笑い声。
男たちの下卑た歓声。
猥雑な澱んだ空気がひどく落ち着かない。
クロトは足を止め、ひときわ大きな建物を見上げた。
異国情緒溢れる派手な外観に、派手な装飾。
開け放たれた扉からは甘い香りが漂う。
看板には金色の華やかな文字で「ぺろぺろべろべろ」。
ああ、もうやだ。
クロトは天を仰ぐ。
(護衛。私は護衛)
そう言い聞かせ、息を整える。
「おいおい、お嬢さん」
意を決したクロトに、門番らしき男が話しかけてきた。
「こんなところに一人で来ちゃ危ないぜえ?」
無遠慮に肩を掴まれたので、クロトは反射的に男を見上げる。
「知り合いを探しておりまして。邪魔はしませんので中に入れていただけませんか?」
クロトの顔を見るなり、男は目玉が飛び出んばかりに目を見開いた。
「驚いた。こりゃ……上玉も上玉だな」
次に、にやりと下卑た笑みを浮かべる。
覗いた黄色い歯がひどく下品だ。
「ここで働いたら稼げるぜえ」
「職にはついておりますので、ご心配なく」
そう言って、クロトは男の手を払い横を通り過ぎようとした。
「おっと、ここへ女はいれられねえ」
今度は右手首を掴まれ引き寄せられる。
「離しなさい」
右手に魔力を集中させ、風の魔導を練り上げる。
男はぬいぐるみか何かのように軽く吹っ飛び、地面に叩きつけられた。
「このアマ! 何しやがる!」
まだ元気が残っているらしい。
鼻血を出しながら、男は指を咥えた。
指笛の甲高い音が、夜気を切り裂く。
「おい、どうした」
「門前で揉め事だ」
建物の脇から、似たような体格の男たちが二、三人現れる。
どれも酒と脂の匂いをまとい、品のない視線をクロトに向けてきた。
「なんだ、女が暴れたのか?」
「細っこいくせに生意気だな」
クロトはもう一度魔力を練る。
この人数なら問題ない。
「ちょっとイライラしてたところなので、ちょうどいいです」
人差し指でちょいちょい、と男たちを挑発してやる。
「このおおおおおおぉおおお!!!」
思いの外激しめに発狂した三人の男たちが、クロトに飛びかかってくる。
次の瞬間、背後から風を切る音。
鈍器――いや、瓶だ。
「あら、後ろにもいましたか」
床を蹴り、身体を半身にずらす。
瓶はクロトの頬をかすめ、背後の壁で派手に砕け散った。
「ちょろちょろ動きやがって!」
二人目が突進してくる。
クロトは足元に魔力を落とし、石畳を一瞬だけ凍らせた。
男の足が滑り、体勢が崩れる。
「うわっ――」
言い終わる前に、風刃を放つ。
刃といっても、切断用ではない。
打撃に特化した圧縮風。
腹部に直撃。
男は空気を吐き出す音すら出せず、壁に叩きつけられた。
残るは、最初に指笛を吹いた男。
恐怖が顔に浮かぶのが、手に取るようにわかる。
さっきまでの威勢はどこにもない。
「ま、待て! 話せば――」
「是非、あとで聞かせてくださいね」
クロトは指先を鳴らした。
空気が震え、男の足元から突風が吹き上がる。
身体が宙に浮いた一瞬を、クロトは見逃さない。
顎に、的確な蹴りを入れる。
鈍い音。
男はそのまま地面に落ち、ぴくりとも動かなくなった。
周囲が静まり返る。
通りの向こうから、ひそひそとした視線が突き刺さるのを感じた。
誰も近づいてこない。
賢明だ。
倒れた男の耳元で囁く。
「背の高い男が来ませんでしたか? 琥珀色の髪に深い青の瞳の美丈夫です」
「そいつなら……今頃ビップルームだ」
「何階ですか?」
「8階……最上階だ」
「どうもありがとうございます」
そう言って、クロトは男の襟首を放す。
ごとりと、地面に頭を打つ鈍い音が響いた。
娼館を見上げると、窓明かりが段々に連なっている。
一番上だけが、やけに静かだ。
「……まったく世話の焼ける放蕩王子ですこと」
クロトは建物の正面へ歩き出した。
扉の向こうから漂う甘い香りが、さっきよりも鼻につく。
階段を使うつもりはなかった。
足元に風の魔導を集め、跳躍。
一気に二階分を飛び、外壁の装飾に足を掛ける。
さらに蹴る。
風の魔導で身体を押し上げていく。
三階、四階、五階。
窓の向こうで、悲鳴と嬌声が混じった声が上がる。
七階の縁に手を掛け、息を整える。
最上階の窓だけが、分厚いカーテンで閉ざされている。
クロトは最上階を見据えると、風を纏って窓を蹴破った。




