第十一話 回想②
「リズと王都でまた会う約束をしたの」
クロトは心の中で、この純粋な少女がどこかの女たらしの騎士殿に騙されていないことを切に願った。
「良かったですね、でも気をつけて」
聖女候補は外部接触禁止のはずだ。
「ありがとう、クロト」
気をつけて、の真意が伝わったかは怪しかったが、ナシェルはまた大輪の花束のように微笑んだ。
「クロトは、聖女になりたくないんでしょう?」
誰にもそんなことを言ったことがなかったが、ナシェルはそういうことには鋭い。
「はい」
嘘をついても仕方ないので、頷く。
「クロトは魔導士であることに誇りを持っているのね」
にっこりとナシェルは微笑む。
そういう捉え方をされるとなんだかこそばゆい。
「まあ……そうかも知れませんね」
「素敵なことだと思うわ」
ナシェルは真っ直ぐに黄金の瞳で私を見つめた。
「わたしは、魔力も少ないし、体も弱いわ」
ナシェルは、集められた聖女候補の中でも魔力が少ないのだそうだ。
「でも、誰かの役に立てるかも知れないって、それだけで満たされるの。生きてていいんだって言われているみたいで」
ひたむきなナシェルの言葉に、鼻の奥がつんとした。
「あなたは聖女に相応しく、美しい心の持ち主だと思いますよ」
ナシェルは驚いたように目を丸くし、すぐに微笑んだ。
「ありがとう、クロト」
クロトも、正直なことを言えば、ナシェルが聖女に選ばれるとは思っていなかった。
明らかに他の少女たちのほうが魔力が上だった。
魔力と聖力は違う。
聖女になって初めて聖力を手に入れる。
しかし、無関係ではない。
魔力の強さと、聖力の強さはほぼイコールだ。
教会はなぜ、ナシェルを次の聖女にしたのだろう。
クロトはずっとそれを考えていた。
――魂の器。
教会の人間たちはそう呼ぶ。
測れないもの。
理論化できないもの。
けれど、都合よく使える言葉。
誰かのために身を削ることを、疑問に思わない。
役に立つことで、自分の存在を肯定できる。
苦しさを、使命にすり替えられる。
それは確かに、聖女に必要な資質なのかも知れない。
クロトは唇を噛んだ。
だからこそ、ナシェルだったのではないか。
強すぎる者は、抵抗する。
疑問を持つ。
逃げ道を探す。
でも彼女は違う。
与えられた役割を、喜んで抱きしめてしまう。
それは美徳だ。
同時に致命的な欠陥でもある。
つまり、扱いやすいということだ。
窓から差し込む光が、いつの間にか赤みを帯びていた。
長く伸びた影が床を這う。
――いけない。
クロトは立ち上がり、軽く頭を振った。
今考えても、答えが出ることではない。
外に出ると、夕方の冷たい空気が頬を撫でた。
孤児院の裏手では、女性が洗濯物を取り込んでいる。
子どもたちは名残惜しそうに遊びを切り上げ始めていた。
空は茜色から群青へと移ろい始めている。
その色は殿下の瞳の色に似ていた。
「そう、『リズ』だ。ナシェルの言っていた『リズ』は……殿下のことだったんですね」
思い出して、クロトは独り言を言う。
そしてすぐさま頭を切り替えた。
野営地に戻らなければ。
クロトはスカートのしわを伸ばし、歩き出す。
石畳を踏む靴音がやけに大きく響いた気がした。
騎士団の野営地が見える頃には、空はすっかり夜の色を帯びていた。
焚き火の灯りが、点々と瞬いている。
鎧を外す金属音。
乾いた笑い声。
遅れて戻ったクロトに気づいた騎士が、軽く手を挙げる。
「おかえりなさい、魔導士殿」
「ただいま戻りました」
形式的に答えながら、視線は無意識に人影を探していた。
騎士の中に混ざっても一際目立つ、すらりと背の高いあの姿が見えない。
クロトよりも早く修道院を出たから、当然もう戻ってきているかと思った。
辺りを見回してもどこにもいない。
あんなに目立つ人が見つけられないわけがない。
「魔導士殿〜、カレーができてますよ〜」
クロトは振り返る。
「レイドさん、殿下はどちらですか?」
「え? ご一緒じゃなかったでしたっけ?」
「ええ、まあちょっと」
クロトは言葉を濁した。
「あー……もしかしたら……」
レイドは何かを思いついたようだが、口が重そうにしている。
「なんですか? 心当たりがあるんですね?」
「うーん、あるような、ないような……」
クロトはレイドを睨む。
「早く言いなさい」
そして右手に火花を散らせた。
「それ、反則ですよ! 脅すなんてひどすぎます!」
レイドは肩をすくませて鳶色の瞳を潤ませた。
「もう、言っても殿下に怒られそうだし……」
「言わないと、二度と殿下に会うことはできませんよ?」
レイドは降参、と両手を上げた。
「わかりました、わかりました! 娼館だと思います」
クロトはきょとんとして、右手の火花を抑えた。
「……娼館?」
「はい」
「娼館って、娼館?」
「そうです」
クロトは理解できずに目を瞬いた。
「え? なんで?」
レイドはうんざりした様子で首を横に振った。
「なんでって……それは殿下だって男ですから」
言葉の真意が掴めず、しばらく逡巡していたが、急になんだか恥ずかしくなってきた。
聞いてはいけないことを聞いてしまったような。
クロトは町娘の格好のまま踵を返す。
「魔導士殿、まさか行かれるんですか!?」
ぎょっと、レイドが目を剥く。
「仕方ないでしょう! 護衛なんだから!」
レイドに怒鳴って、クロトは再び野営地を後にした。




