第百十二話 俺 ー自立と決別ー
フェイは、我が耳を疑った。
「……なんだって?」
「心臓……治してくれたんだ」
イヴは、感情がそこにないような話し方をする。
それが今のフェイの神経を逆撫でた。
「それに釣られて、のこのこと教皇に祭り上げられたのか」
かっと釣り上がる菫の瞳を、同じ色の瞳が静かに見つめる。
「ユリクシス様は、ナシェル様を再現したかった……だけど、失敗した。器だけは作れるけど、ナシェル様の魂はもう、なくなっていたから」
あのとき、二年前にクロトを助けたからだ。
フェイはエッダの地下神殿での出来事を思い起こす。
「黒聖石は……間に合わなかった」
「だからって、ああそうですか、じゃあお前は悪くないね、とはならないよ」
冷たいものの言いにイヴがすこし怯んだように眉を顰め、わずかに足が半歩下がった。
白い法衣が衣擦れの音を微かに鳴らす。
「兄さんは……僕が助かって嬉しくないの」
今度はフェイが眉を顰める。眉間に皺を寄せたフェイは、左手に拳を作り、一度目を伏せた。
「――僕はお前が生きていてくれるなら、なんだってするって思ってたよ」
そして、菫色の瞳を開く。
「でも、こんなやり方じゃない」
その菫色の強さに、イヴは瞳を揺らす。
「人の道から外れてる。だから……俺は喜べない」
突きつけられた拒絶に、イヴはただ、不思議そうに首を傾げた。
136人もの同胞の命を啜って動くその心臓は、悲鳴をあげることもなく、ただ規則正しく、冷徹な鼓動を刻んでいる。
「……そう。兄さんは、僕より知らない誰かの方が大事なんだね」
寂しそうな響きすら含まない、無機質な声。
「えーと、ちょっとごめんなさいね」
ハルヒが割り込む。
「教皇サマはこの計画書の続き、知ってるかい」
「知ってます」
「そんな簡単に……?」
「ユリクシス様から言われてたので」
イヴは、静かに踵を返すと棚から一冊の紙の綴りを手にした。
「これを探してる人間が来たら、渡せと」
「……これを渡せば、ユリクシスは罪に問われることはわかってるのかい」
イヴは菫色の瞳を丸くし、小首を傾げる。
「そうなんですか?」
やれやれとばかりに、ハルヒは首を横に振った。
「まあ、これでアタシはリズ様にたっぷり報酬をもらえるからさ。返せと言われても遅いけどね」
「……僕は言われた通りにしたまでです。ユリクシス様がそうしろと言うなら、それが正しいのでしょう」
そのものの言い方に、フェイは眉を顰めた。
結局、依存対象を変えたにすぎないのか、と。
「んじゃ。さっさとずらからせてもらうよ」
暗色の長い髪が大きく揺れる。
素早く右手で印を切り、ハルヒはしゅるりと姿を消した。
「あいつ、魔導士だったわけ」
サラが黄金の瞳を見開いた。
「どうでしょう。変わった術式でした」
小首を傾げたフェイは、ハルヒのいなくなった床をじっと見つめた。
「しかし、これではっきりしましたねえ」
レイドが口を開く。
「あの人……グリズリッドのお兄さんさ、救われたかったのよ」
サラの言葉にレイドが頷く。
「二年前から始まったすべての不可解なことは、ユリクシスの手の内で起こったことだったってわけです」
それを聞いたフェイが目を細める。
「……最悪ですね」
それだけ言って、フェイはくるりと踵を返した。
「ちょ、ちょっと天才君。……いいの? 弟くんは!?」
「もう話すことはありません」
サラを見ることなく、フェイは前を見て答える。
「え、そんな感じ? ほんとにいいわけ?」
フェイはすこし俯く。
「……仕方ないです」
少し間を置いて、再び前を向いた。
「あいつが自分で選んだんだから」
「それはそうだけどさ……」
ふ、と小馬鹿にするように鼻で笑う。
「俺たちも、あと二年で成人ですから」
「あんた……急に最高位っぽくなったじゃん」
じとっと湿り気のある黄金の視線。
フェイは涼しい顔で答えた。
「ぽくないです。俺、最高位ですから」
レイドが横に並ぶ。
「フェイ殿、『俺』に変えたんです?」
「……真似です」
レイドに指摘され、すこし照れたようにフェイは唇を尖らせて小さく答えた。
「だれのよ?」
サラの黄金の瞳に半眼で睨まれたフェイは肩を竦め、相変わらず小生意気に鼻で笑ってみせた。
「……さあ」




