最終話 萌芽 ーたどり着いた場所ー
幽閉塔の石造りの螺旋階段を、グリズリッドは一段ずつ踏みしめるように上っていた。
塔の内側は昼だというのに薄暗い。
狭い窓から差し込む光が石壁に細長い影を落とし、足音だけが乾いた音を立てて反響する。
この塔へ足を運ぶのは初めてだった。
一般貴族化したとはいえ、王族でありながらユリクシスは王宮ではなくこの塔に幽閉されている。
「異常なしであります」
そう声をかけられ、看守役の騎士を見る。
ユリクシスには強力な魔力がある。
逆位相の力も使えるはずだ。
魔導士を看守にした方がいいのではないか。
「面会だ」
そんなことを考えながら、グリズリッドは部屋を開けるように命ずる。
がしゃん。
重い錠が動く音が響く。
薄暗い部屋の奥。
ユリクシスは寝台に横たわったまま、窓の外を眺めていた。
その姿を見た瞬間、グリズリッドの脳内に先ほどの考えが全て消え失せた。
「……薬を飲んでいないと聞きました」
「グリズリッド」
入室を気づいていなかったのか、驚いたようにユリクシスは目を少し見開き、顔を動かした。
「死ぬ気なのですか」
その言葉に、ユリクシスは薄く笑った。
「私は死ぬんだよ。今更薬なんて飲んでも治らない」
それはグリズリッドにも分かっていた。
死の匂いが濃い。
もうこの男に残された力も、時間もないのだと全てが雄弁に物語っている。
「嘲笑いにでも来たのかい」
ついこの前会った時よりも、随分とやつれた。
「そんな趣味はありません」
艶のない肌に血の気はない。
「ひとつ聞いてもよろしいですか。兄上は、私を殺す気だったのですか」
ユリクシスは静かにグリズリッドを見つめた。
同じ色の視線が重なる。
「……そうだね。クロトはグリズリッドを殺せると思っていたかな」
「チェスの盤面を見るかのように、全てあなたが仕組んだことなんですね」
くすりと優雅にユリクシスは微笑む。
「いつからですか。子どもの時から?」
ユリクシスは緩く首を横に振った。
「それは違うよ。だって、私だって子どもだったんだよ? 亡き王妃が、母上がやったことだ」
そうだよな。
グリズリッドは視線を横に移す。
「私はね、グリズリッドが羨ましかったんだ」
「羨ましい?」
グリズリッドは眉を顰め、再びユリクシスを見た。
「健康な身体に、恵まれた才覚……なんでも持っていたグリズリッドが、死ぬほど羨ましかったんだ。君は私を脅かす存在でしかなかった」
ユリクシスは微笑みながら、少し考えをまとめるかのように一息吐く。
「クロトはあの実験を傷だと思っているかも知れないけれど、私にとっては好機だった」
眩しそうに群青の瞳を細めた。
「成功すれば、父上に見てもらえると思った」
そして、目を閉じる。
長いまつ毛が痩せた頬に影を落とす。
「でも……アッサラートの血に選ばれたのはクロトだった」
「ナシェルを助けて足が動かなくなった、というのは本当ですか」
ユリクシスは目を開けて、微笑んだまま何も言わなかった。
「ナシェルはそれを……」
「知らないよ」
「言わなかったのですか」
「それきり会うこともなかった。クロトが適合体となり、あの実験室はほどなくして使われなくなったから」
昔を思い出すように、ユリクシスは遠い目をする。
「ナシェルと再会したのは、彼女が聖女になったときだった。彼女は、君に恋をしていた」
一度視線を落とし、再びグリズリッドを見上げた。
「もう行くといい。いつまでもこんなところにいてはいけない」
静かに嗜めるような口調。
「もう来ては行けないよ」
子どもに話しかけるような言い方。
少年の頃のユリクシスの面影が重なる。
「ねえ、グリズリッド」
呼ばれ、小さく息を呑む。
「そろそろ花が開くと思うよ」
相変わらず、抽象的で何を言っているのかわからない。
グリズリッドは丁寧に礼を送った。
重い扉が閉まり、再び錠が降ろされる音を背に、グリズリッドは静かに幽閉塔をあとにした。
石造りの螺旋階段を下り、外へ出ると痛みを覚えるほどの眩しさに、思わず目を細める。
塔の中にいた時間はそれほど長くないはずなのに、初夏の陽射しは別世界のように明るかった。
青空は澄んで高い。
鳥が鳴き、庭師が遠くで枝を払う音が聞こえる。
人々は今日という日を、何事もなかったように生きている。
――そろそろ花が開くと思うよ。
意味の分からない言葉だけが耳に残っていた。
花とは何だ。
何を見て、あの男はあんなことを口にした。
考えても答えは出ない。
小さく息を吐き、歩き出そうとしたその時だった。
「殿下〜! 大変ですよ〜!」
声を聞いて、その主を思い浮かべたグリズリッドは目を細めながら振り返る。
「大変です、妃殿下が」
「クロトがどうした」
気付けばレイドの襟を掴んでいた。
「ご懐妊です」
耳から伝わった情報を、脳で処理するのが遅れる。
「……は?」
「えっと、ご妊娠されたという意味で……」
「そんなことわかってる」
茫然とした顔でグリズリッドは口を開く。
「……こういうのは、具合が悪くなったりしないのか」
「未婚の私に聞かれましても。……人によるんじゃないでしょうか」
グリズリッドは一度緩慢な瞬きをしてから、急に大股で歩き出した。
「殿下、落ち着いてください」
「俺は落ち着いている」
「すんごい早歩きになってます」
「気のせいだ」
「もはや走ってません!? これ!?」
「黙れ」
短くそう言って、陽光の下を王太子と騎士団長は全速力で王宮を駆け抜けた。




