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第百六話 夜営 ーサバイバル殿下とサイコ王太子妃ー

「領地というより……要塞ですね」


 馬車の窓の外を見つめ、クロトは呟く。

 断崖絶壁の頂に築かれた夕陽に照らされる黒灰色の城塞。


「アズール・フォートレス……だそうだ」

「十四才の男の子が考えそうな名前ですね」

「……そうか?」


 馬車が止まり、窓がノックされる。

 グリズリッドが扉を開けると、レイドが覗き込んだ。


「これ以上先には馬車では進めなさそうなんです」


 別の馬車に乗っていたフェイとサラも出てくる。

 

「話に聞いてたより、山が険しいわね」


 アズール・フォートレスを睨んだサラは、くびれた腰に手を当てた。

 

「もうじき日が暮れるな……」


 グリズリッドは遠い目をして呟く。


「夜営するか」


 その言葉に一同が目を剥く。

 いち早く反応したのはレイドだった。

 

「え? あ、そうなります?」

「ここまで来たのに街に戻るのか?」


 驚いたレイドに、グリズリッドは嫌な顔をした。

 

「だって、二時間くらいで戻れるじゃないですか。妃殿下もいらっしゃいますし」

「往復四時間だ」

「そうですけど……」


 言い淀んだレイドに、グリズリッドは目を細める。

 

「無駄だ」


 はっきりと言い放つ。

 

「食糧足りないですよ? 鍋はありますけど」

「問題ない」


 グリズリッドは当然のように森へ視線を向けた。


「食料も薪も、そこにある」

「……え?」


 一同は眉を顰めて固まる。


「本気、なんですよね、殿下……」

「本気だ」


 フェイの言葉に被せるように言う。


「フェイ、行くぞ」

「お待ちください。どちらへ……」

「鹿を獲りに」

「……殿下、嘘でしょ!? なんで僕!?」


 目を剥いたフェイが、グリズリッドを追いかける。


 

「……え、本当に鹿獲ってきたんだけど」


 火起こしして待っていた三人は、片手に一頭ずつ鹿の首を掴み、肩に担いで現れたグリズリッドを見て目を瞬いた。

 

「……誰が捌くんですか」


 釣りが趣味でも、釣るだけで魚が捌けない者もいる。

 グリズリッドもそれだろうと決めつけたレイドがじとっと睨む。

 

「もちろん、全員で」


 涼しげに言い放つ。


「ええええええええ! 俺無理ですううう!」


 レイドの大きな声に驚いた野鳥が数羽飛び立つ。


「……うるさい」

「だって、目が! 目がなんか訴えてませーん?」

「じゃあ向こうに行け」


 クロトがおずおずとグリズリッドに近寄る。


「殿下、フェイ君は?」

「ああ、遅いから置いてきた」

「そんな……」


 森の方へ目をやると、よろよろと鹿一頭を引きずるフェイの姿が見えた。


「血は抜いてある。クロト、水を呼べ。毛皮を洗う」

「……は、はい」


 クロトが右手をかざすと、水の魔導が現れる。

 

「レイド、お前やれ」

「えええええ……」


 喚きつつ、レイドはびくびくしながらも毛皮についた泥を落としていく。

 それを見届けたグリズリッドは、短剣を握った。


「一回しかやらないからな」

 

 手慣れた手つきで腹を切り内蔵を取り出し、皮を剥ぎ、肉を分断していく。

 もはや肉の業者でしかない。

 

「何故そんなに手際がいいんです」

「生きるためだ」


 なるほど、と小さく呟き、クロトは負けじと短剣を握る。視界の端にそれを認めたグリズリッドが目を剥いた。

 

「クロト、お前は触らなくていい」

「何故ですか」

「……力がないと出来ないから……座ってろ」

 

 クロトは短剣を持ったまま唇を尖らせた。


「妃殿下妃殿下、殿下はですねえ、『下手そうだから』を遠回しに言ったんですよ。優しさです、優しさ」


 レイドに耳打ちされ、む、とクロトが膨れる。

 ちらりと隣を見ると、フェイが意外にも器用に鹿を捌いていた。


「うわ……内臓……」


 そう言って怯みながらも肉塊と格闘しているではないか。


「フェイ君……器用ですね、平気なんですか?」

「全っ然平気じゃないです。吐きそうです」

「はいはーい! 捌けたやつ持ってきてー!」


 サラの景気の良い声が響き、右手からは火の魔導が飛び交う。


「サラさん。火、強くないです?」

「あ、ほんとだ。失敗した」


 肉塊は一瞬で黒焦げだ。


「中は大丈夫じゃない?」

「……うーん、生ですねえ」

「じゃ、もう一回焼いとく?」

「完全な炭が出来上がります」


 サラはあからさまに嫌な顔をした。


「じゃ、騎士団長がやんなさいよ」

「えぇ……」


 薪に火をつけるのだけは簡単だ。

 レイドは仕方なく、串に刺した肉を焼き始める。


「ねえ、騎士団長ってやめてくれません?」

「は?」

「名前、言ってませんでしたっけ?」

「し、知ってるけど……」


 サラの顔が真っ赤に染まる。

 

「名前呼べたらご褒美あげます」

「なっ……なによ、それ!」

「へー仲良いですね」


 新たな肉塊を持ってきたフェイが目を丸くした。


「いつの間にそんな仲良くなったんですか? あ、あのときかあ。大聖堂で、レイド卿に助けてもらったとき」


 無垢な菫の瞳が二人を見つめる。


「付き合ってるんですか?」


 二人同時に、顔を真っ赤に染めた。


「違う!」

 


 そんなやり取りを背中で聞いていたクロトが、頬を膨らませた。


「……私だけ仕事ないです」

 

 やったことと言えば、鹿の毛皮を洗うために水を呼んだことくらい。


「肉を焼くのも、私の方が上手いと思うんですけど」

 

 不貞腐れたクロトは、仕方なく森を歩き始める。

 目につくのは色とりどりのきのこ。

 きのこといえば、初心者が迂闊に食してはいけない食べ物だ。そんなことくらい知っている。


「……まあ、問題ないでしょう。最悪解毒できるし」


 ぶつぶつ言いながら両手いっぱいに謎の野草と謎のきのこを抱え、戻ってくる。

 誰もクロトに注意を払うものはいない。


「あれ、この鍋……具が入ってない」


 くすりとクロトは笑う。

 そして誰にも言わずに、謎の具を鍋に投入した。


 異変に一番早く気がついたのはフェイだった。


「……なんか変な匂いしません?」


 フェイが犬のようにすんすんと、鼻を鳴らす。

 きょろきょろと辺りを見回すと、大鍋の横に怪しげな影を見つけた。

 眉を顰めたフェイが近寄る。


「あれ、クロト様? え、それ毒ですよ」

「知ってますよ」

「怖。殺人鬼の思考じゃないですか」


 くるりとフェイが振り返る。


「でーんかー! クロト様がー!」


 呼ばれたグリズリッドがすぐに飛んでくる。

 

「クロト」


 神妙な声音だ。

 

「はい」

「座っていろ。俺は命の話をしている」

「そのセリフ、前に聞いたことありますね」


 しぶしぶ切り株に腰をかける。

 ちらりと周りを見渡すと、一帯は野草だらけだ。


「……これならいけるんじゃないですか。最悪神経麻痺るけど、微量なら疲労回復に……」


 謎の毒草を手に持つと、すぐにフェイの声が響いた。


「でーんかー! またクロト様がー!」


 何かしたかっただけなのに……。

 

「クロト」

「はい」


 背後から低い声で名を呼ばれ、クロトは項垂れて振り返る。

 

「座れ」

「……はい」


 肩を落としたクロトは、再び切り株に腰を下ろした。

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