第百四話 計画 ーヤバいものー
「殿下」
涼しい少年の声が聖堂に響く。
新教皇――イヴだ。
「時間だね。では、失礼するよ」
「待て」
車椅子の車輪を回したユリクシスを、グリズリッドが止めた。
「ナシェルを闇に落としたのは……お前なのか」
ユリクシスはゆっくりと口角を上げる。
「憶測でものを言うのは良くないよ、グリズリッド」
車椅子が回廊の角を曲がる直前。
振り返らないまま、ぽつりと落とす。
「……彼女に生きてほしかっただけだ」
車椅子の車輪が小さく軋む音が、遠ざかっていく。
グリズリッドはそれを呆然と聞いていた。
「面会の方が」
その声が重厚な扉越しに響いたとき、既に太陽は地平線の彼方へ沈み、執務室には冷ややかな夜の気配が満ちていた。
「通せ」
短く答えると、見慣れない男が笑みを浮かべながら執務室に入る。
長い暗色の髪。銀に近い灰色の瞳。
妖艶な顔立ちと目尻の下の泣き黒子を認め、グリズリッドは小さく笑った。
「ハルヒ……いや、ハルアム、だったか?」
「やだぁ、リズ様。本名で呼ばないでぇ」
ハルアムはくねくねと腰と肩をくねらせ、わざとらしく唇を尖らせた。
「娼館以外で会うのは初めてか」
「ほんと、お陰様でこんな格好する羽目になったよ。それよりびっくりよ。あのときの金髪の子、奥方様になっちゃって」
この子の強さと正しさが苦しくなるときが来る。
リズ様はこの子から逃げたくなるかも知れない。
それでもこの子を選ぶなら、信じて丸ごと曝け出す勇気が必要だよ。
グリズリッドは言われた占いを思い出す。
「……お前の占い通りだった」
「でしょ? 昔からよく当たるんだ」
ハルアムは楽しげに目を細める。
「リズ様ったら、いい顔になられましたね。もちろん前から上等の男前だったけどさ。今はホンモノって感じ」
執務机のグリズリッドに近寄ったハルアムが、顔を覗き込む。
「いい女はいい男を育てるのよねえ」
短い沈黙。
「……で?」
グリズリッドが先に切り込む。
「何を掴んだ」
ハルアムは赤く塗った唇を横に引いた。
「持ってたら殺されそうだから、すーぐ渡しちゃおうと思って」
ハルアムは外套の内側から、革紐で厳重に綴じられた一束の書類を取り出した。それを、冷たい石の机の上に滑らせる。
「教会筋からの拾い物だよ」
グリズリッドは黙って紐を解き、頁をめくる。
そして視線が止まった。
「……黒聖石、作成書?」
グリズリッドは低く呟く。
中を見てみるも、逆位相、正位相とクロトやフェイが言っていた単語が並ぶ。
「魔力の根源である魔導士の心臓を取り込ませる……」
「なんか、ヤバいでしょう?」
読み上げるグリズリッドの声に抑揚はない。
だが、最後の頁に記された、王家の封蝋と署名を目にした瞬間、グリズリッドの指先がわずかに白く強張った。
「偽造の可能性は?」
「筆跡も封蝋も本物。側近経由で正式に下りてるわ」
三日前の日付……。
グリズリッドの視線が、その数字の上で止まった。
「陛下の指示……」
呟いたグリズリッドは眉を寄せる。
ひとつの疑念が浮かんだ。
「いや……」
聖力がグリズリッドにあることは、国王の計画通りなはずだ。
しかし、王太子になるまでは、グリズリッドは従順な第二王子を演じていた。
だが今は違う。
聖力を持ちながら、王の思惑通りには動かない。
そこが想定外だとすれば——
「……俺を排除するため、か」
口にした途端、腑に落ちた。
「付属文書B-7参照……」
ぼそりと読み上げて、グリズリッドはハルアムを見やる。
「この計画書は続きがあるはずだ。そこに恐らく実行者のサインがある」
グリズリッドは書類を閉じる。
「探してくれ」
静かな命令。
ハルアムは数秒見つめたあと、ふっと笑う。
「高いよ?」
ハルアムは、グリズリッドの心臓あたりを人差し指で小突いた。
「今のリズ様なら払えると思うけど?」
「どうだろうな」
ハルアムは、紅く塗った唇を引いた。
「お金じゃなくてもいいけど?」
「失礼しま――」
ノックと同時に扉を開けた女が息を呑んだ。
「クロト……」
もうすこしで唇が触れそうなほどの至近距離にいる、ミステリアスな美男と、グリズリッドを見比べ、クロトは目を瞬く。
「……えーと、ハルヒ、さん?」
「ええ、やだ。覚えてくれてたのかい、やだぁ好き」
くねくねと身体を揺らしたハルアムに、クロトは目を細める。
「まあ、なかなかインパクトありますからね」
「やだ、褒めてる?」
ハルアムの肩越しに、クロトは机の上の書類を目にした。
「なんです? あれ」
「いや、あれは」
グリズリッドを睨む。
「見せなさい」
グリズリッドの抵抗も虚しく、クロトはずかずかと執務室の机に歩を進めていく。
「黒聖石……?」
書類を手に取ったクロトは眉を顰める。
ページを捲るごとに、眉間の皺が深くなっていく。
「これ……やばいですね」
「でっしょぉ」
「どうやってこんなもの手に入れたんですか」
「ヒ・ミ・ツ」
ばさりと音を立てて、書類を置く。
「やっぱり……黒魔導はないのかも知れません」
「どういうことだ」
「黒魔導とは、聖石の構造を逆位相にしたときの力なんじゃないかという仮定です」
「……ところでお前、何しに来た」
「アッサラートの老人が容体が急変したそうです」
「早く言えよ」
すぐにグリズリッドは外套に袖を通す。
「行くぞ」




