005 インスピレーション
カフェルームに隣接する談話室の閉じられたドアの僅かな隙間からドライヤーの騒音が漏れ聞こえ、組んだ腕の片方の指先で軽く触れるように頬を叩いていたココアの口元に薄い笑みが浮かんだ。
「葉稀ったら、何が『連れ込む訳ないだろ』よ。
しっかり連れ込んでるじゃない。」
「んー?一応ハトバも一緒だったし、嘘では無いんじゃない?」
テーブルに背を向けて寄りかかるココアの横で、肘をテーブルにつけて次々とスマホに届く申請依頼を忙し気に確認しているマシロの興味なさ気な言葉にココアは軽く目を細めた。
確かに、「頼まれたドライヤーを受け取ってきました。」とやってきたハトバの「えっ、俺はここでいいです、戻りますから。」と言う訴えをスルーしてヨウキはアオバとハトバを談話室へと引きずり込んで。
「でも、ハトバだけ数分しない内に出てきて、そそくさとカフェルームから出て行ったじゃない?
だからノーカウントよ。」
少し怒った口調のココアはそう言いつつ、テーブルに肘をつけていたマシロの肩に自分の肩を強く押し付けた。
「ココア、手が滑るからやめて。」
スマホから目を離したマシロの鼻に指をあてたココアは、その指をゆっくり顔の前まで離すと左右に振って見せた。
「私が言いたいのは、今は二人っきりでいるってこと。
それが一番大切なの、それ以上でも以下でも無いの。」
「ココア、そんなドヤ顔されても。
ハトバをノーカンにするとしても、カフェルームでドライヤー使うと今聞こえている以上にうるさいから仕方ないんじゃない?」
「そうよね、ドアを閉めているのにここまで音が聞こえるんじゃ確かにうるさいわね。
防音強化と言っても所詮パーテーションってことね。
でも、私が言いたいのはそう言うことじゃないの、そう、言う、こと、じゃ。」
首を左右に振り鮮やかな黒髪を揺らすココアは、マシロの肩に手を添え「フッ」と息を漏らして耳元でささやいた。
「最近わかりやすく行動してると思わない?ヨウキ。
だから何かあったんじゃないかと怪しむのは当然のことよね?」
「何かって?
あっ、チャナたちからも申請が入ったみたい。」
「マシロ、、、あら?私の方にも何か通知が来たみたい。」
残念な生き物を見ているような微妙な気持ちが湧き始めたココアのスマホがポケットの中で揺れていた。
ドライヤーの音や近くを通るカフェスタッフロボットの稼働音に邪魔されて、至近距離で話す二人の会話はカフェルームにいる他のメンバーたちには全く聞こえていない。
聞こえていないから尚更なのか、他のテーブルのメンバーたちが俄かに騒めき始めた。
「ま、マシロさん、あのココアさんの鼻ツンからの囁き攻撃にビクともしていないようで、流石です。」
「私はココアさんがマシロさんの耳元で一体どんな話をされているのかが気になっています。」
細い銀縁メガネをかけた小柄な女性がじれったいとばかりに拳に力を入れている。
「それよりココアさんとマシロさんの親密な距離と同じだけ親密な距離にいるニコさんが、無心にマジシャンだけを見つめている姿が可愛らしい。」
「ほんと、それも。」
ほとんど触れていそうな距離のマシロの横でテーブルに手を添えて飲み物では無く魔法のオーダーをしているニコに熱い視線を送るメンバーたち。
その隣のテーブルでも。
「何あのスリーショット、今日は何かのサービスデーだったっけ?」
「きっとそうです。
あのテーブルの女の子マジシャンの放つ光の華や蝶!
ロングストレートの黒髪のゴシック風お嬢に挟まれて、モカブラウンの髪をシンプルに束ねてお後れ毛を揺らすマシロさん、絶妙にタイプの異なる三人の美女の背景効果として抜群!
サービスデー以外の何ものでもないです。」
「やっぱり、ヒイロがメインユーザーの構築世界への申請が多いかな。」
「それは当然ね。
タクトが主人公で入るし、そんなのプラチナプラスユーザーだけじゃなくうちのスタッフたちも興味津々になるでしょうし。
ところで、ヒイロの構築世界の主人公のタイプなかなか面白いんだけど。」
たった今スマホに届いた構築世界ID申請受理の通知を確認したココアは、プラチナプラスユーザーたちの構築世界の主人公のタイプが公開されていたことに気がついた。
「前回私たちがテストした後で主人公の4つの冒険者、剣士、魔法使い、神官のタイプにプラスの要素を追加してたでしょ。
タクトにピッタリ。」
「何?」
マシロに自分のスマホを向けようとしているココアの横を女性マジシャンが飛ばした光の蝶が横ぎり、それを目で追っていたニコは蝶の向こうに先ほどシステム室に戻ると言ってカフェルームを出て行ったはずのシキの姿を捉えた。
「あれ、シキが戻ってきたみたい。
タクトを引き連れて。」
「タクトを?」
覗き込もうとしていたココアのスマホから顔を離して振り向くと、確かにシキとタクトが連れ立ってカフェルームに入ってきている。
「マシロ、今日タクトはお休みって言ってたよね。」
「そうなんだけど、どうしたのかな。」
「マシロさん。」
カフェルームに入ってすぐ一直線にマシロに向かってきたタクトの前で、ココアはマシロの首の前に手を回しもう片方のマシロの肩に添えていた手と繋いで抱きしめ、タクトを振り向き可憐な華が開くような笑顔を放った。
他メンバーが集うテーブルに沸き上がった歓喜のどよめきとは反対に、広げた手の行き場が無くなり顔だけ振りむいているマシロとココアの前で立ち止まるしかないタクトは仕方なさげな笑みを浮かべている。
「ナニコレ的に戸惑うマシロさんも可愛い。」
「私に退けとも言わずスルー、自然体でのマシロファースト。
全くこれにも動じないなんてつまらないわね。」
「そうね。」
マシロの肩を抱きしめる腕に力を籠めたココアの言葉にすかさず同意するニコ。
ココアの腕越しにタクトを振り向いているマシロから「お帰りなさい、タクト。どうしたの?」と声が聞こえる。
「ちょうどエレベーターを降りたらシキに会って、マシロさんがこっちにいると聞いたから来たんです。
シキ、あっ?」
振り向いたタクトの肩を避けたはずみで真後ろに倒れかけたシキの背に、すかさず両手を回して引き寄せたタクトは長い息を吐いた。
「ごめん、タクト。」
「間に合ってよかった。
心臓に悪いから今みたいに棒立ちのまま真後ろに頭から倒れるような避け方はやめてくれ。」
「あ、うん、ごめん。」
何度も謝るシキの背を軽く叩いて離したタクトは首を振った。
「いや、俺が急に振り向いたからだな、ごめん。」
シキの潔い倒れ方に唖然としていたココアの力の抜けた腕を擦り抜けたマシロはシキが落とした白衣を拾い上げた。
「あ、マシロもごめん。
俺はさっきここに忘れた白衣を取りに来ただけで、だからもう行こうかと思ってそれを伝えたかっただけなんだ、、ごめん。」
ずれた眼鏡をかけ直してマシロから白衣を受け取ったシキの横を光るネズミやカボチャが通り過ぎる。
テーブルの上でマントを翻したマジシャンが今度は野菜や果物、小さな動物を思わせる光を放ちだした。
もちろんオーダーはニコ。
「義理の母や姉に虐められボロボロの白衣を着て耐え忍ぶ研究者
落としていった白衣を手掛かりに探し回る王子。」
「ん?いや、この白衣のことならそんなにボロボロじゃないぞ。」
片手にかけていた白衣を両手に持って広げ、タクト越しにだが白衣はボロボロじゃないとニコに主張しているらしいシキにタクトとマシロは少なからず驚いていた。
「あら、珍しい。
いつもは私たちに目も合わせようとしないのに、白衣のことは主張できるのね。」
ココアに指摘にされたシキは自分でも驚いたようだったが広げた白衣を抱きしめ「いや、主張と言う程でも」と俯いた。
マシロが抜け去った腕を広げて肩をすくめて見せたココアはいたずらな甘い笑みを浮かべた。
「ふふふっ、そう言うことにしといてあげるわ。
白衣は実際にボロボロじゃなくてもいいの。
ニコは今のタクトとシキを見たインスピレーションを唱えているだけ。」
「唱える?」
呪文のような表現を怪訝に思ったタクトの呟きに、ココアは当然とばかりに答えた。
「そう、ニコは唱えているだけ。」
ココアの甘い笑みが更に目を弧にした妖しい笑みに変わり、これ以上は踏み込まない方がいいと悟ったタクトは口を噤むことにした。
「根暗で気弱な研究者とそれをおかかえとして雇ってる伯爵家の気配り御令嬢。」
「シキとトウリね?」
ココアに頷いたニコは両手を合わせて空を見上げさらに続けて唱えている。
「機敏で腕の立つお嬢様騎士とそれを支える執事。」
「それは、俺とマシロさんかな?」
「あら、マシロは機敏と言うより意外と天然よ?」
それもそうね、とニコはコテンと首を傾げすぐに唱え直した。
「シゴデキ天然鈍感お嬢騎士とお嬢様命な元暗部の年下執事、良い。」
満足気に頷くニコは更に続けた。
「無表情天才魔法少年と、その少年に優しく親切なおかんに見せかけて近づき、懐に入れるために手段を選ばず裏で画策している腹黒宰相。
テストゲームで勝つために手段を選ばなかったAIヨウキ、あれが本来の本性だから。」
「今談話室に籠ってる二人ね?」
「談話室に?
そう言えばさっき談話室から変な音が聞こてたな、ヨウキさんと誰かいるの?」
「ヨウキとアオバだ。
俺のせいで雨に濡れたアオバをヨウキが乾かしてるはずだ。」
「でも私としては逆がいい。」
「逆?ニコとしては年下攻めが好みですものね。」
「外堀を埋めようとして画策する優しく親切で無敵に包容力のある宰相(敵にすると怖い)を手のひらで転がしている無表情天才魔法少年。
うん、良い。」
「俺が濡れたのはシキさんのせいじゃないですよ。」
談話室のドアを開けたアオバはシキのもとに足早に近づいた。
「で、誰がなんだって?」
談話室のドアの前まで来るとニコの声が聞こえ、めんどくさいことになりそうだと出るのを躊躇していたアオバだったが、続いて聞こえたシキの声に何の迷いも無く外に出ていた。
その後に続いて出てきたヨウキの質問にココアは口元を隠して白を切っている。
「あら、もう出てきたのね、別に何も言ってないけど?」
「そんな顔して言っても誰も信じないぞ。」
人の恋愛ごとに敏感なココアの後ろに「ふっふっふっ」と笑い声の背景効果が見えるようだとヨウキは肩をすくめた。
「ちょっとインスピレーションの話をしてただけ、、、。
そんなことよりシキの私たちへの態度ほどの進展も無さそうでがっかりだわ。」
アオバとヨウキを交互に見てみるがその様子に何の変化も見て取れない。
「現状維持だよ。」
今度はココアが肩をすくめ、ヨウキが不敵な笑みを浮かべている。
「最近タクトさんがマシロさんに絡む姿に見慣れてきてしまって萌え度が下がってきてましたが、今日はとても良いものが見れました。」
銀縁メガネをかけた女性が大きく伸びをして、まるで映画を見終えた後の余韻に浸るように目を閉じた。
「うん、良いものを見た。
でも、俺実はシキさんがニコさんと話すの初めて見てそっちに一番驚いた。」
「あっ!うん。
タクトさんに隠れるようにしてニコさんに話しかけるシキさん。
それもめっちゃテンション上がった。」
話ながらカフェルームから出て行くメンバーの声が耳に入ったアオバはシキを凝視していた。
「何だアオバ?」
「いえ、何でもないです。
システム室に戻りましょう。」




