004 雨上がり
カフェルームに隣接する談話室に入って右側は奥の窓際までパーテーションで仕切られており、さらにそこは3つの区画に仕切られている。
一番奥、窓際の部屋のドアプレートが”使用中”となっており、そこから強く吹き出す低い騒音が繰り返し聞こえてくる。
ぶおぉおおぉおおぉー
「ドライヤーほんとにあったんですね。
で、ブラシはヨウキさんの自前ですか。」
ヨウキからシャツを借りることを断固拒否したアオバは、その代わりに髪を乾かさせてくれと言うヨウキの頼みをため息とともに了承した。
そこに居合わせたハトバが気まずそうにしていたからと言うのもある。
しゅっっ、しゅしゅっ
「ブラッシング、手慣れてますね。」
片手にドライヤーを持ち、片手にブラシを持ってプロの美容師並みに髪を整えるヨウキに、本当に何でもできる人だとアオバは呆れていた。
「シキの髪をカットするために美容師の友人に頼んで教えてもらったからね。」
「シキさんの髪をカットしてたんですか?ヨウキさんが。」
淡々としたアオバの声に対して、和らかな口調で機嫌よく答えるヨウキ。
「ああ、シキが学生の頃までだけど。
あの頃のシキは今以上に他人に話しかけられるのが苦手で、髪を切りに行くのも嫌がってたから。
知らない人より俺の方がマシだって。
容易に想像がつくだろう?」
確かにそれは容易に想像がつく。
その頃を思い出しているらしく、頭の後ろからクスクスとヨウキの笑みが聞こえる。
「流石に今は切ってあげてはないけどね。
ほら、とりあえず髪は乾いた。」
ドライヤーを談話室のテーブルに置いたヨウキは、アオバの濡れていたシャツの袖口を握ると軽く擦って乾き具合を確かめた。
「服の方も、さっきのずぶ濡れよりはましになってるかな。」
「もう、ほとんど乾いてますから問題ありません。
それより、本題をさっさと済ませましょう。」
本題と聞いて口元を引き締めたヨウキが、空いている椅子を大きく手前に引いてテーブルに向かって座るアオバの方に回転させると、アオバも座ったまま椅子の角度をずらして向き合った。
足を組んで座ったヨウキはアオバに向かって片手を差し出して話しを促す。
「・・・シキさんが気にしてるのは。
昨日の、ヨウキさんの一言です。
プラチナプラスユーザーに向かっての
『、、、バグがあっても、問題なく対応できるって信じてるよ。』
の一言。」
口を片手で覆ってアオバの足元を見たヨウキから、小さく舌打つ音が聞こえた。
「言ったと思う。」
「バグ有り前提のこの一言に引け目を感じたみたいです。」
「そうか。」
バグを潰し切れないことにと言うよりは、恐らく、テスターたち、特にタクトさえも見つけることのできない不具合を含ませてしまっているだろうことに引け目を感じたと言うところだろう。
そのせいでシキは水たまりに気がつかないくらい考え事をしながら歩いてたのだろう、それは自分のミスだ。
「ヨウキさんが悪いと言う訳では無いですし、それは俺も分かってます。」
「そうか。」
自分を擁護するアオバの珍しい発言にも、自分の一言が弟を落ち込ませたと言う事実に不甲斐なさを感じているヨウキは素直に喜べない。
「バグのでないプログラムなんてないと思いますし、そこまで気にする必要は無い、と、俺は思っています。」
「うん。」
「シキさんが気にしてしまうのも、シキさんらしいと思いますし。」
「うん。」
「ただ、その発端がヨウキさんだということが割り切れなくて。
だから、話しかけないで、、、と、言ったんです。」
「うん?」
外してテーブルに置いていた眼鏡を手に取り、両手を添えて掛け直したアオバは整えられた髪を無造作にかき上げた。
「これで話は終わりなので、俺もシステム室に戻ります。」
「えっと?」
椅子を引いて立ち上がろうとしたアオバの肩を咄嗟に抑えたヨウキは、そのまま自分を見上げるアオバと数秒視線を合わせた。
「なんですか?」
アオバの表情筋はあまり仕事をしないが、眼鏡の奥の瞳は結構雄弁であることを知っているヨウキは、その声に瞳に何の動揺も無いことを見て取ると少しの落胆を感じた。
「いや、普通だなと思って。」
「普通です、ね、それが何か?」
「いや、俺の失言は分かった、バグを話題にするときには気を付ける。
あと、それとは別にもう一つ教えてくれ。」
アオバの瞳が怪訝に曇ったことを見て取ったヨウキは、フッと息を漏らして椅子に座り直した。
「昨日、ヒイロが金の星を打ち抜いたとき、顔を顰めてたけど何か気になることでもあるのか?」
「・・・顔を?何のことですか?」
少しの考察の後、本当に分からないとアオバの瞳に困惑が浮かんだのはヨウキにとって想定外のことで。
「無自覚。
アオバの無意識の中で表情筋が仕事をしたのか?」
「表情筋が仕事したって、何のことですか?
確かにヒイロさんが金の星を打ち抜いたのを見て、不快には感じましたけど。
というか、あんな暗さでよく俺の顔なんて見えましたね。」
「アオバが不快に?
まさかとは思うけど、ヒイロが早々にここを辞めた理由が原因、とかないよな?」
「・・・それが何か?」
肯定とも否定とも取れない答えを期待していたのだがこれは肯定としか取れない。
ヒイロの辞めた理由とアオバが無意識に睨んだ理由の繋がりは全く分からないが、本当に無自覚にヒイロを睨んだのだと確信したヨウキ。
今は表情筋は休んでいて、呆れ口調に言うアオバだが。
「困ったな、無自覚に睨んだのか、無意識に何か思うことがあるということか。
もしかして、いや、まさかそれは無いよな。」
「何ブツブツ言ってるんですか?
らしくないですね、面倒くさいんではっきり言ってください。」
「ん、ああ、じゃあ念のために。
アオバはヒイロのこと恋愛対象として好きと言う可能性は無いか?」
「はっ?」
アオバの瞳には更なる呆れとして「何言ってるんだこの人」感がプラスされている。
「違うと思いますけど、実際は分からないですね。
俺、恋愛経験ないので。
シキさんの書いたプログラムを読むと胸が高鳴るので、それが好きだとは分かるんですけど。」
アオバは首を横に振ると背もたれに背を預けた。
「ああ、シキの書くプログラムにね、それはわかるな。
前回はそれでかなり困らせられもしたし。」
テスト中のゲームに、ココアから提案されたスケジュール外のそれを、アオバはその動作を見たいがために、ヨウキやプロマネだったマシロに無断でプログラムに組み込んだのだ。
結果を見れば良かったのだが、当時はかなり困らせられたことを思い出し、ヨウキの眉は自然と下がった。
「それ以外のことは、前にも言ったことがあると思いますけど、今も好きということが理解できません。」
「そうだよな、以前そう聞いた。
しょうも無いことを聞いて悪かった。」
「マシロさんに彼氏ができたと言って辞めたヒイロさんとは単純に関わりたくないと思ったからです。
無意識に睨んでいたとしても、恋愛に繋がるとは思えませんね。」
相手に興味が無ければ、顔を顰めるどころか眉1つ動かさず、瞳を揺らすことも無いだろうに。
「無意識か、困ったな。」
「まだ、納得して無いようですけど、ついでに言うと、俺にはタクトさんのあの態度の変化も全く理解できません。
前カノたちと付き合っているときと、今との違い俺には意味不明としか。
ヨウキさんに告白したチャナさんの気持ちも理解できませんし。」
「俺に告白したチャナの?
ああ、前作のイベント動画はアオバがコンパイルしてたから知ってるか、オフィス内非公開でも。」
「再生テストまでが俺の仕事なので、他意はないです。
そんなことより俺が気になったのは、ヨウキさんの誘導の仕方ですね。
チャナさんは気がついてなかったようですが、どちらが本命か、から、どちらが大切か、にすり替えられてましたよね。」
「ああ、あれ。
チャナみたいに真っ直ぐな子を相手にしたこと無かったからどうしたものかと思って、ゲーム前に少しタクトと話していて気がついたんだ。
裏技ワードで何を聞かれるか分かってたから、部分的な言葉の入れ替えで回答を変えられるって。」
「俺的には、ヨウキさんに挑むチャナさんは、最前列にいるモブ兵士のように瞬殺されると思ったんですが。」
「うーん、瞬殺はちょっと。
そう言えば、アオバも学生のときとか告白されたことあるよね、好きと言われてどう思ってどう答えた?」
「何でヨウキさんが知ってるんですかって、聞くだけ無駄ですね。
別に何も思わないので俺は、それで?って聞きなおしたと思います。」
「相手に、それで付き合って欲しいとか言われなかった?」
「だから何でそれを、、、。
よく覚えていませんが、「何で?」ってまた、聞き返してたと思います。」
「流れとしては、付き合ってる人がいないなら付き合ってほしいとか、そんな感じで食い下がられるかな。」
「そんな自分本位な理屈を言う相手は相手にしても時間の無駄なので、悪いけど興味ないから、で、大抵終わります。」
「なるほど、ほぼ瞬殺って感じか。
あの時は、粉砕覚悟なのはわかってたから、出来るだけ誠意をもって答えたかったんだけど、さすがに本命は教えられないからね。」
アオバの瞳に微かな困惑が浮かぶ。
「気を使ったということですか?
俺はヨウキさん忙しいから恋愛が面倒でそうしたんだと思ってました。
人を好きになるとか、自分以上に気にしてしまうとか。」
「ははは、確かに面倒だとは思う。
うん、人を好きになるって面倒だと思うよ、俺も。
ただ、瞬間的にでも、時間をかけてでも、いつの間にか始まってしまったものは厄介でね。
面倒でもいいと思ってしまうんだ。
俺の一番はシキだけど、本命はアオバだよ。」
肩をすくめて両手を軽く広げて見せたヨウキは、視線を真っ直ぐにアオバに向け、アオバが視線を合わせるのを待った。
「試しにハグしていい?」
「なんですか、それ?嫌ですけど。」
そう言いながら、アオバは視線を逸らさず、席を立つ気配もない。
「嫌だって言いましたよね?」
「逃げなかったから、それに試しにって言ったよね。」
「なんの試しか理解できませんが、俺はジタバタと落ち着き無く動くのは嫌いなんです。」
ヨウキの耳にかかるアオバの息使いには、確かに何の動揺も感じられない。
「うん、それだけみたいだな。
それでも、そんなアオバが俺は好きだよ。」
「そうですか、気が知れませんね。」
後ろに回した手を外すと、目を細めて眉間に皺を寄せる顔が目に入り、「それで?」とも言わず、自分にだけ呆れや怒りを向けるアオバにヨウキは少しの安堵を感じた。
ヨウキが椅子に座り直すと、狙ったようなタイミングでポケットのスマホが揺れ出し、ミーティング時間を知らせるアラーム音が響く。
「ヨウキさんは、俺に付き合ってほしいとか言わないんですね。」
「ああ、言わないよ。
断られるの分かっているからね。」
ポケットから取り出したスマホをタップしながら答えるヨウキの口調は平然としている。
「そうですか、じゃあ現状維持ですね。」
「まあ、おいおいと。」
「無駄だと思いますよ、本当に分からないんで。」
「はは、無駄なら、時間をかけて消して別の情で満たすか、永遠に抱え込んで慣れてしまうか、かな。」
無造作にかき上げて乱れたていたアオバの髪を、片手で撫で下ろすと「出ようか」と談話室のドアを開けて外に出るように促した。
椅子から立ちあがったアオバの目に、雲の間から地上に向けて指す光が見えた。
「雨、上がってますね。」
ヨウキもアオバの視線を追って窓の外に目を向けると、確かに雨は上がって、雲の間から幾重にも光が射している。
「ちなみに俺は後者、たぶんタクトもかな。」




