198 歌声と揺らぎと私
マリアベルは、両手を握りしめ俯いた。そしてその指先はわずかに震えていた。
この人は、自分にも厳しいのかもしれない。ただ、私はマリアベルを責めるつもりはない。
「マリアベルさん……この問題に正解なんてないですよ。でも、誰かを想って悩む気持ちは、きっと間違いじゃないと思うんです」
私の言葉にハッとしたのか俯いていた顔をあげた。何が正解なのか誰にもわからないことだ。逆にいえば、全ての答えが正解だとも思う。
「私は、いっぱい失敗します。いつも師匠に迷惑をかけて怒られます。師匠も私にイタズラばかりして文句も言います」
「おい!」
「えへへ……本当のことじゃん! いつもアーくんとケンカしてるじゃん」
マリアベルが、私たちをじっと黙って見つめている。
「励まされたり、手を差し伸べてくれたり、いっぱいお話もします! そして、私にはこんなにも暖かい場所ができました」
隣に座るアリオスを見上げると少し照れ臭いのか、ヴァンの頭をグリグリ撫でまわしながらそっぽをむいた。ヴァンもアリオスの両耳を引っ張って、不満を露わにする。アリオスの隣は、とても暖かくて居心地が良い。
マリアベルが、眉間に寄せていた皺を緩めふっと綻んだ笑顔を見せた。
「本当に……アル様のおっしゃる通りかもしれませんね」
「えへへ……マリアベルさん、何度でもお話ししましょう」
さっきまでとは異なり、スッキリした顔で笑みを浮かべたマリアベル。「ぜひ、お願いします」と頭を下げた。
解放された窓からお日様の香りと共に爽やかな風がカーテンを散らす。何処からか風に乗って、静かなメロディが私たちのもとへ届いた。風に溶けるような、澄んだ声だった。
アリオスの腕の中のヴァンが、身を乗り出すようにお耳をピクピクさせるように風が運んできたメロディに耳を傾ける。
アリオスのお膝の上で、身体を左右に揺らし、短い足をパタパタさせながら、リズムをとっている。人間の私たちとは違って聞こえているのかもしれない。
「……聞こえてきましたか?」
「僕……このお歌好きだなぁ……」
ほにゃりと笑顔をみせたヴァンの頭をそっと撫でると、もっと撫でてと頭をすりつけてきた。
私たちの様子を見て、マリアベルが静かにソファーから腰を上げ、ゆっくりと窓辺へ近づいていった。
「この時間……いつも中庭で、アル様が助けた少女が歌っているんです。私は、この音色が好きでいつもこの窓から聴いています」
窓辺から少女が歌う姿が見えるのだろうか? 窓から差し込む光の中で、柔らかな表情を見せるマリアベルは、とても優しかった。
「ヴァン君! 一緒にお歌聴きに行こうか?」
「うん! お姉ちゃん、僕もっと近くで聴きたい!」
マリアベルに、中庭に行って少女に会っても良いかを確認したところ二つ返事で了承をもらえた。
「アル様……私も、アル様の仰ったことをもう一度噛みしめて考えたいと思います 本日は、お会いできて本当によかったです」
マリアベルがゆっくりと頭を下げる。とても綺麗なお辞儀だと思った。
私たちは、また異なる意見になるかもしれない。
少女の未来を願うマリアベルさんと、少女の今の笑顔を守りたい私。目指す場所は同じでも、そのやり方でまた喧嘩をしてしまうかもしれない。
だけど、私たちは思っていることをお互いに伝え合うことで、理解し合えるし一緒に悩むこともできる。私が間違っていても、同じようにマリアベルは意見を言ってくれる。また一つ、小さな出会いが私とマローの街の結びつきを強くしてくれた。
「ふふふーん ふふふーん」
アリオスに抱かれたままのヴァンが、風が運んでくる少女の歌のメロディに合わせて、鼻歌を歌う。ヴァンパイアの鼻歌を聴くことになるなんて以前は想像もつかなかった。
「音程外れてんじゃないか? 同じメロディとは思えん」
「ぬぬ! 我の耳は確かじゃぞ! ……お姉ちゃん、僕のお歌、どうかなぁ?」
アリオスには領主として、私には甘えたい幼児として表情をくるくる変えながら、接してくるから思わず笑ってしまう。
「師匠の鼻歌よりも上手だよ」
「おま……いつ聴いた……」
「えっ? お風呂で師匠が、気持ちよさそうにお歌歌ってたじゃん」
アリオスが、真っ赤になりながら「あの時か……」と小さく呟いた。
ギルドの合同演習の打ち上げが終わった翌日、アリオスの従魔である毛むくじゃら(ガル)と泡のお風呂に入って鼻歌を歌っていたことをしっかり覚えている。
「なぬ! 主ら、一緒に風呂に入る仲なのか?」
「んな! なんちゅうこと言うんだ! 入ってねえ!」
「うん……一緒に入ろうとしたら……止められた」
「バカ! 嬢ちゃんも誤解を生むような発言はやめてくれ」
別に誤解じゃないもん。お風呂に入ろうとしたら、先にアリオスが入ってたんじゃん。すぐにバートに首根っこ掴まれてリビングに強制送還されたけどね。
「お姉ちゃん! 今度僕と一緒にお風呂に入ろうよ」
「うん いいよ!」
「バカタレ! 入らせるわけねえだろ!」
まさかの速攻で却下。
「ヴァン君 ちびっ子だよ?」
「ああん! 中身だ中身! お前も大人の姿知ってるだろう」
「僕のお家には、とっても広いお風呂があるよ? アーくんとも一緒に入れるよ?」
「何それ! 素敵!」
「……やっぱり一度殺されたいらしいな」
アリオスが、ヴァンの頭をがしりと掴み、ギリギリと力を込めていく。やめて、ヴァンの頭が破裂しちゃう! アリオスの腕を掴んで必死に止めると「ああん」と低いお声で凄まれる。
「痛いぞ! 主も狭量だな……そうじゃ、アリオスも一緒に入るか?」
「バ……バカヤロウ! できるわけねえだろ!」
ヴァンのとっても魅力的な提案を聞いて、思わず喜んでしまったけど、またしてもアリオスによって速攻で却下されてしまった。
そんな賑やかなやり取りの最中にも、風にのって優しい調べが聞こえてくる。
扉を開けた私たちの目の前に、緑豊かな中庭の庭園がそこにあった。




