195 神の名と揺れる魔力と私
「アルちゃん……教会の住所と地図よ」
ジェシカから一枚の地図を受け取る。マローの市場から東に抜けた先に目的地の教会があるようだ。
「お姉ちゃん……僕も一緒について行っていい?」
「ヴァン君も?」
アリオスの膝の上で抱っこされているヴァンが、赤い瞳をにっこりと細める。
「お姉ちゃん……僕は、この街の領主だよ 僕の街で保護したのなら、その少女も僕の愛すべき子供だ」
胸の奥がふっと温かくなる。あどけない顔なのに、こんなにも大きなものを背負っているんだと気づかされる。
少年の姿と相反した言葉に、改めてヴァンの底知れなさを感じながら、晩餐会の挨拶の時に大人の姿をしたヴァンが「愛すべき子供たち」と言っていたことを思い出す。
「俺の膝の上で、領主づらしやがって」
ビチッとアリオスが、ヴァンのおでこを指先で弾く。
「クソ餓鬼が行くなら……俺もついて行くか……」
「師匠も来るの?」
「気にするな……俺は荷物持ちだ! 俺なら教会の場所も知ってるし、嬢ちゃんも迷子にはならんだろ?」
アリオスは、相変わらず素直じゃない。荷物持ちなんて言っているけど、世間知らずな私を心配して、一緒についてきてくれようとしているだけだ。
「えへへ 師匠……ありがとう」
ジェシカとエルビスに見送られ、私たちはギルドマスターの執務室を後にした。
アリオスに抱っこされたヴァンは、自分が領主を務めるマローの整地された街並みや活気あふれる住人たちに視線を送りとても嬉しそうな笑顔を見せる。
その笑顔を見ているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。ヴァンも、領主様としてこの街に愛されているんだと分かって嬉しくなった。
「お姉ちゃん……みんなが笑って賑やかだね」
「そうだよ……みんな、マローが大好きなんだよ」
街の住人たちは、アリオスに抱かれている黒髪の少年が領主様だとは気がついていない。ヴァンだって、自分が領主だと触れ歩くつもりなんて毛頭ない。
だから、私は、ヴァンにマローの街の代表の一人として、感謝の言葉を伝える。私もマローの街に救われた一人の人間だ。
「ヴァン君……ありがとう」
「……うん……アリオス……人間は、興味が尽きぬな」
「だからって……俺の耳を引っ張るな」
少し頬を赤らめたヴァンが、少年ではなく領主の姿を見せる。照れ隠しにアリオスのお耳を引っ張っている姿が、ほほえましいのか街の住人たちも遠巻きに柔らかな表情で眺めていた。
真っ白で大きな建物……下から見上げても荘厳な雰囲気が漂ってる。近づくほどに胸の奥が静かに澄んでいくような、不思議な感覚が広がった。まるで誰かにそっと背中を撫でられたみたいに。教会というからには、何かの神様を祀っているのだろうか?
「守護の神……ヴァルハラを祀ってるんだとよ」
「あ……私もヴァルハラは聞いたことはある」
アリオスは、少しニヤリとしながら私とヴァンに教えてくれた。
「ヴァルハラ……ヴァルハラ……はて、何処かで聞いたことのある名だな?」
ヴァンの瞳が深く沈み、その奥で古い扉が軋むような気配がした。本人は気づいていない。ただ名前だけを、何度も噛みしめるように呟いていた。
その横顔は、少年ではなく、遠い昔を思い出そうとする“誰か”のように見えた。
アリオスに抱っこされながら、「ヴァルハラ」と顎を擦りながら何度も何度も呟くヴァンは、少し少年の仮面が剥がれている。おそらく、ヴァンの中に眠る膨大な記憶を一生懸命掘り起こしているのだろう。
守護の神様であるヴァルハラを祀っているのなら、冒険者の一人としてお参りするのもありだろうか?
「お参り……そんなのいらねえよ」
「ええ? 神様なのに? 師匠は、意外と信心深いところがあるから……その言葉は意外だ」
「ククッ……まあ、中に入れば自ずと分かる」
ちょっと意地悪に口角を上げるアリオスの腕には、未だ「ヴァルハラ」と反芻し続けるヴァンがいる。アリオスだけが分かっている理由があるらしい。
「さあ、行こうぜ」
アリオスから差し出された左手を改めて握りなおし、アリオスを通じてヴァンへ魔力を供給しながら教会の中へと足を踏み入れた。
「……あ、この魔力……」
外部との境界線を一歩踏み越えた瞬間、私に纏う魔力が変化する。肌に触れる空気が柔らかく揺れ、まるで誰かに抱きしめられたような感覚が走った。この魔力……知っている。忘れようとしても忘れられない、この気配。
イタズラが成功したかのように笑うアリオス。抱っこされたヴァンだけが、未だ気がついていない。
「ようこそ、ヴァルハラ神の御許へ……ご加護があらんことを……」
青の衣を纏ったシスターが、私たちに深く頭を下げて迎え入れてくれる。
礼拝堂の中央に光り輝く御神体……私が、今、一番よく知る魔力に包まれている。胸の奥がざわりと揺れる。知っているはずの魔力なのに、どうしてこんな場所に……と、言葉にならない違和感が私に正解を教えてくれた。
「嬢ちゃん……気がついたか?」
「えへへ……わかったよ! 確かにお参り要らないね」
ニヤニヤと笑うアリオスに、私もくすくすと微笑み返す。
アリオスの笑みに、胸の奥で小さな点と点が繋がる。まさか……この魔力の正体は。
アリオスの首元の黒の刻印と私の首元の白の刻印が共鳴する。触れ合っていないのに、初めて感じる微かな熱が首筋に灯る。私たちの刻印が、“何かを教えようとしている”そんな感覚だけが胸に残った。
「む!? 何じゃ、お主ら……コホン、お姉ちゃん……ズルイな……僕だけ仲間外れ?」
領主の仮面を脱ぎ捨てて、少年の仮面を被りなおすヴァン。クイズの答えが、自分だけ分からずに少し拗ねている。
ぷにぷにとしたほっぺを突けば、ぷっくりと頬を膨らませるヴァン少年。この子どもの仕草の奥に、果てしない年月を生きてきた影が一瞬だけよぎる。けれど今は、ただの拗ねた少年にしか見えない。
悠久の時を生きてきた証が、ここに在るんだよと教えてあげたいけど、どうしようかな?
私もアリオスのイタズラ好きが、少し移ったのかも知れないね。




