194 子守り騒動と少女の記憶と私
「おい……アリオスさんが、子守りだと?」
「子どもできるの……早くねえか?」
ギルドの冒険者たちが、アリオスの姿を見て遠巻きにヒソヒソと囁く声が聞こえる。
アリオスの胸には私の依頼主である領主様のヴァンが抱かれている。依頼の内容は、私からの魔力共有なんだけど……。
「師匠……私がヴァン君を抱っこするよ?」
「……いやだ」
その短い言葉に、胸がほんの少しだけ跳ねた。ただヴァンを抱きたいだけのはずなのに、どうしてこんなに近く感じるんだろう。刻印を刻んでから、アリオスの気配が前よりも“鮮明”に胸へ落ちてくる。
ジロリと睨まれる。私の依頼内容を知ったアリオスが、私の膝からヴァンを取り上げた。
「俺と嬢ちゃんは、この首筋に刻んだ刻印で繋がっている……なら、魔力共有は俺からもできるだろ!」
「アリオス……お主、狭量すぎるぞ」
ヴァンとアリオスの会話を聞いて、どうやらアリオスは無類の子供好きだったらしい。私が抱っこしていたヴァンを取り上げるくらい、子供を抱っこしたかったんだと思う。
アリオスは、マザーの孤児院でもお土産を買っていったりしてるもんね。ぶっきらぼうな表情を見て、クスリと笑った。
アリオスと繋ぐ右手を通じて今はヴァンへ魔力を共有しているんだけど……。ヴァンはアリオスの腕の中で、じっと私とアリオスの手元を見ていた。
まるで“刻印の意味”を知っているかのように、赤い瞳が静かに揺れている。
そして、そんな私たちの姿を見たギルドの冒険者たちの反応がこれだ……。
「俺の子供じゃねえ……子守りだ、子守り!」
「SSSランクが……子守り……」
ですよねぇ……。
だけどアリオスが笑われているのを見るの、ちょっと好きかも。
アリオスは、強すぎるがゆえ、唯我独尊を地で歩く人だったから、こうしてマローの冒険者とのやり取りをみて、少し嬉しく思うのは内緒にしておこう。
「ブハハハハハハ! 何だそりゃ」
ギルドマスターの執務室に入れば、ヴァンを抱っこするアリオスを見て、執務机に座るエルビスが指を出しながら大爆笑。
「うるせえ……タコ親父 このクソ餓鬼が、嬢ちゃんに依頼をしたのが原因じゃねえか……」
ブスッと仏頂面のアリオスが、ヴァンを抱っこしたままソファーにドカリと腰を落とす。私も、魔力供給中なので、アリオスと手を繋いだまま隣に座った。
「あら……アリオスが、お父さんみたいね」
「……こんな餓鬼いらねえ」
執務室にやってきた私たちにジェシカがお茶を出してくれる。本日のお茶は、ミルクのよく合うダージリンティだ。バタークッキーとの相性がいい。
「ちなみに……アルちゃんは、お母さんって感じかしら?」
「お母さん!?」
元奴隷で家族のいない私にとって、『お母さん』とはとてもくすぐったい言葉だ。今まで、一度も呼ばれたことのない言葉に少しだけ胸がきゅんとなる。
「お母さん……お母さん……えへへ」
おままごとであったとしても、家族ごっこだとしても、ポカポカと心が温かくなる。そんな私を見てヴァンが「へぇ……」とアリオスのお膝で呟いた。
「……僕、ママのお膝の上がいいな……」
私の胸がぎゅっと掴まれた!
「ママ!?……私……ママ?」
「ママ……ダメ……?」
潤んだヴァンの赤い目が、私を見上げてくる。もう、きゅんきゅんに私のお胸は鷲掴みされている。
「……パパで我慢しとけ……」
「ぶほっ! パパ! アリオスに一番似合わねえ言葉だな!」
アリオスの「パパ」発言は、エルビスに致命傷を与えたらしい。
「……ママの方が……柔らかいのに」
「ああん?」
せっかくのパパ設定なのに、アリオスはお父さんになりきれてない。残念なパパだ。
「ヴァン君……パパが抱っこしたいんだって」
ママ設定のお手本として、ヴァンの頭を撫でてアリオスを見て笑う。どう? 私、ちゃんとママできた?
「……おう」
頬を赤らめたパパ役のアリオスが、無言でヴァンを抱きしめた。私はアリオスに抱かれるヴァンの柔らかいぷにぷにとしたほっぺを指先で突いて、アリオスに体重を預けて笑った。
「それで……今日の用事は何だ?」
パパ、ママごっこに夢中になって、今日ジェシカとエルビスに呼ばれたことを改めて思い出した。
晩餐会の夜やヴァンからの依頼を受けた昨日も何も言われなかったけど、わざわざ私たちを呼び出した理由を聞いていなかった。
「アルちゃん……実は、あなたに会ってもらいたい人がいるの」
「私?……私に会いたい人?」
私にわざわざ許可を求めてまで会わなければならない人なんて、まったく心当たりがない。会いたければ、直接会いにきたらいいんじゃないの?
ジェシカの問いかけに、目をパチパチと瞬かせ、首を傾げる。
「覚えているかしら……合同演習の時、アルちゃんが助けた少女のこと……」
ジェシカに言われるまでもない。ゴブリンの巣で一人囚われていた少女の姿。汚物まみれで、ぐちゃぐちゃに涙を浮かべていた幼い少女の姿を鮮明に思い出す。
私が助け出した後、ジェシカによってギルドに保護されたところまでは知っていたが、その後その少女がどうなったかは、まったく報告を受けてはなかった。
「ああ……あの時の少女か……何か問題が起きたのか?」
アリオス自身も少女の悲惨な姿を思い出したのか、眉間に皺を寄せてジェシカに尋ねた。
「あの後、医療機関がある教会で保護をしたんだが、アルちゃんのおかげで大きな怪我もなく、体力も順調に回復した……だがな……身元がわからん」
「そんなの助けられた少女、本人に直接聞けばいいじゃないか」
エルビスの説明に、アリオスが意見をする。
「……ないのよ」
「何が……ないんだ?」
少し困ったように眉を下げたジェシカが、少しため息を吐いて言った。
「記憶がないのよ……自分の名前、アルちゃんに助けられたこと この二つしか記憶に残ってないのよ」
ジェシカのいう意味がわからず、アリオスとエルビスに視線を向けるも二人とも眉間に皺を寄せ、難しい顔をしたままだ。
「私のことは……覚えてるの?」
「真っ暗な絶望の淵から天使のようなお姉さんが助けてくれた……って言ってたらしいわ」
そうか……。あのゴブリンの巣で受けた陵辱や激しい暴力は全て忘れてしまえたんだ。あんな思い出、なくして正解だ。
「真っ暗な中、アルちゃんの魔力だけは温かかったって……それだけは忘れなかったみたい」
ジェシカの言葉を聞いて、私はそっと自分の胸を押さえた。
「いいよ……私、会うよ」
あの少女が、これから真っ直ぐに生きていけるのなら、何度でも私は付き合うよ。
隣に座るアリオスに「ね!」って微笑みかけたら大きな手のひらがポンと頭に乗せられた。
「嬢ちゃん……お前は真っ直ぐだな」
アリオスが、眩しそうに目を細めて私を見て笑う。
違うよ……アリオスが、エルビスやジェシカがいたから、私は真っ直ぐでいられたんだよ。ただ、真っ直ぐでいられる場所をみんながくれただけ。
ちょっぴり恥ずかしい本音は、心の奥に隠して「えへへ」と笑ったのだった。




