193 膝上のバトルとご褒美と私
「おい……嬢ちゃん……その膝に乗せているものはなんだ……」
アリオスの声が少し荒くなるたび、胸の奥で刻印がかすかに熱を帯びた。怒られているわけでもないのに、その熱は“怖い”ではなく“ざわつく”に近い。
……これ、魔力の反応?
それとも刻印のせい?
ソファーでくつろいでいる私に、帰ってきたアリオスが、ヴァンを睨みつけてヒクヒクと頬を引き攣らせた。
「やだなぁ……アリオスおじちゃん 僕の顔を忘れたの?」
「ああん!?」
「アリオスさん! 相手は子供! 子供ですから……」
私のお膝の上で、ちんまりとおとなしく座る黒髪の少年が、愉快そうにアリオスを挑発し始める。慌てたバートが、アリオスの肩を掴み必死に宥めようとした。
バートは、知らない。私の膝に座っている少年が、トランバニア侯爵で領主様だということを……。
今日、私はギルドでAランクの指名依頼をジェシカから請け負った。依頼主は、今私のお膝に座っているトランバニア侯爵だ。
「依頼主は、ヴァン・トランバニア……領主様ね 依頼内容は、定期的な魔力供給よ アルちゃん、受けてくれるかしら?」
依頼票をヒラヒラとさせて笑みを浮かべるジェシカに、私は二つ返事で快諾したわけだけど……なぜか、領主様が、お膝の上で座ることが依頼になるなんて思いもしないじゃないか。
依頼を受諾した瞬間、目の前に現れた領主様。晩餐会の夜と同じ、少年の姿で、赤い瞳のままにっこりと微笑んだ。
「お姉ちゃん! 依頼を受けてくれてありがとう 僕のことはヴァンって呼んでね」
人懐っこい笑みを浮かべる領主様が、私にガバッと抱きついた。
「魔力の供給方法は、吸血か……もしくは、こうして密着することでも供給できるから安心してね」
「えっ? えっ? ええーーー?」
領主様もといヴァンが、抱きついたまま私を上目遣いに見上げる。
「僕ね……お姉ちゃんも知っての通り、ヴァンパイアだから……生きるために魔力が必要なんだ……」
切なそうに潤んだ赤い瞳で見つめられ、私の意思は脆くも崩れ去る。どうせ有り余る魔力だ。吸血ではなくても身体の密着で供給できるならいいじゃないか。私の三人目のお友達が、困っているなら助けるのもお友達の役割だ!
そして、魔力供給という名で、私のお膝にちょこんと座り、目の前のアリオスをからかい始めているわけで……。
「あのね……ヴァン君、生きるために魔力がどうしても必要らしいんだよ」
「……ヴァン君……だと……」
アリオスの機嫌がすこぶる悪い……。私に何かを訴えかけようとする視線が熱く、首筋の白の刻印をヒリヒリとさせる。
密かに隠しておいたこし餡みっちりのお饅頭を献上する必要があるのではないだろうか……。
「我が姫の高貴なる魔力を……このような諸悪の権化にお譲りするなど……私は腹立たしい限りでございます」
「クソ悪魔……意見が合うな」
なんと、いつも全肯定してくれるアーくんまでも、ご立腹の様子!
「ん? この悪魔……お姉ちゃんの従魔?」
「そうだよ……アークデーモンのアーくん 私の家族の一人だよ」
「おお……我が姫……私めのような者を家族と呼んでいただけるなんて……」
アーくんは、怒っていても、通常運転でした。
「へえ……じゃあさ、アーくんもお姉ちゃんの魔力……欲しいんじゃないの?」
ヴァンが、少し狡猾な笑みを浮かべ、アーくんに尋ねた。
その一瞬だけ、ヴァンの赤い瞳が“子ども”ではなく領主としての冷静な光を宿した。背筋がすっと伸びるような気配に、思わず息を呑む。
あどけない少年の姿だけど、その瞬間はトランバニアの領主様だと感じさせる。
そういえば、私、一度もアーくんに魔力をあげたことがない……。
「アーくん……ヴァン君が言ったこと……ほんとう?」
大きく赤い瞳を見開いたアーくんの表情がとても切なくて、ヴァンが真実を告げたのだと理解した。
「我が姫……私めなどは今のままで十分でございます ただ、姫のために尽くすことが、私めの生きがい……」
私は、ふるふると首を横に振る。アーくんのご主人様としてだけでなく、家族として、私は何一つアーくんに与えていない。アーくんは、いつでも私に無性の愛をくれていたのに……。
「アーくん……今まで、気づいてあげられなくて……ごめんね 私、いつももらってばかりだった……本当は自分で気づかなきゃいけなかったのに……」
「……姫」
「ヴァン君……アーくんにも、私の魔力を分けてあげたいの……一緒に良いかな?」
「!? じ、嬢ちゃん! 今、何と言った……」
アリオスが、信じられないものを見るように私を見た。アリオスなら、きっとわかってくれる。だって、アーくんも私たちの家族だから。
「お姉ちゃん……僕は、アーくんと一緒でもいいよ」
「ありがとう! ヴァン君!」
私は、お膝の上でにっこりと微笑む優しい黒髪の少年を思いっきり抱きしめた。
「ク、クソ餓鬼! 調子に乗るな!」
「ア、アリオスさん……相手は、子供……ん? 本当に子供なのか?」
今にも暴れそうになるアリオスを押さえつつも、ヴァンの正体に疑問を抱き始めたバート。その疑問、正解です!
「アーくん お膝にどうぞ?」
私は、赤い瞳でじっと見つめるアーくんに向かって両手を広げた。眩しいものを見ているかのように目を細め、アーくんが胸を抑える。
『ホッホー』
ポンッと霧を纏い、いつものフクロウの姿へ変わったアーくんが、大きく翼を広げ私の胸に飛び込んできた。
私は、すでにお膝に座っているヴァンと一緒にアーくんをぎゅうっと抱きしめる。
「んなーーーーーーー! クソ悪魔! クソ餓鬼! テメエら……」
大人気なく大きな声を上げるアリオス。残念ながら、私のお膝はもう満席です。
「お姉ちゃん!」
『ホッホー!』
丸くて赤い瞳が私を見上げる。少年姿のヴァン、そしてモフモフで可愛い私の従魔のアーくん。二人が私の胸の中で柔らかい笑みを浮かべむにゅっと頬を寄せた。
「柔らかいね……」
『ホッホー……』
ヴァンの言葉を聞いて、アリオスが言葉を失う。お部屋の中が少し冷んやりとしてきたのは、気のせいかな? でも、バートの言う通り、お子様相手にアリオスは、少し大人気ない……。
……ヴァンは、普通のお子様じゃないか……。中身はトップクラスの怪物、ヴァンパイアだってことを忘れちゃう。
私の目の前で、お膝の席が埋まって、ピキピキと青筋を立てるアリオスに、「えへへ」と微笑み返した。後で、お饅頭をあげるからね。
「アル……お前、怖いものないだろう……」
バートが静かに呟き、アリオスが眉をひそめた。




