188 修羅の攻防と唇ネットワークと私
「あの……アリオス様……私は……」
キラキラしたお嬢様が、アリオスに声をかけようとする。私のお腹の虫が、ぎゅるると警戒の音を鳴らした。
アリオスは、お嬢様が見ているにも関わらず私の耳元に唇を近づける。
「姫の腹の虫は、正直だな……」
そして、チュッと頬に唇を当て、お嬢様をひと睨み。
「……俺の姫は一人だけだ」
ポツリとアリオスが低い声で呟いた。
「オホホ……お邪魔だったかしら……また後ほど……オホホホホ」
なぜ、私の頬にチュッとするだけで、お嬢様は退散していくの? なんのおまじない? 私の耳の奥は、アリオスのせいでムズムズとくすぐったいだけなんですけど?
「王子様 お肉……」
「嬢ちゃん……少しはドキドキしろよ……」
私の首筋を指先で撫でながら、不満を漏らすアリオス。今日はやたらと私に触れてくる。お姫様と王子様ごっこには必要な演出なのかもしれない。
私たちに声をかけようとしてくる男女をアリオスがあの手この手を使って蹴散らしてくれるわけだけど、都度都度ほっぺにチュッとされるので、お腹の虫と私の耳奥がずっと騒がしい。
ようやく目的のお肉の鉄板焼きまで辿り着いた私のお腹は、もう限界だと盛大にぎゅるぎゅると騒ぎ出した。
白い長い帽子を被った恰幅のよいシェフが、私に焼き加減を聞いてきた。
ぎゅるるるるるるる……
ニッコリと微笑まれて、私もお腹の虫と一緒にニッコリと微笑んだ。
「ククククク……ウチの姫は、ミディアムを希望している……大将、とびっきりの美味いのを頼む」
「アリオス様……畏まりました」
ミディアム……初めて聞く単語にアリオスを見上げる。お肉の焼き方には、『レア』、『ミディアム』、『ウェルダン』があるらしい。よくわからないけど、アリオスは私の好みを熟知しているので、おまかせで問題ないはずだ。
「シェフ! レアをお願い! お姉ちゃんに美味しいところを食べさせてあげて!」
「!?……か、畏まりました!」
突如現れた黒髪の小さな男の子が、私を見上げて両手を広げてきた。思わず条件反射で男の子を抱き上げてしまう。
「おま!……なんでその姿なんだよ! さっきと違うじゃねえか! 殺されたくなかったらアルから離れろ!」
子どもを抱き上げた私を見て、アリオスがいきなり小さな男の子を見て物騒なことを言い始めた。王子様台無しだ……。
「……君、領主様だよね?」
「へえ……お姉ちゃんには、わかるんだ……」
「分かるよ……魔力が隠しきれてないじゃん! 赤い瞳もそのままだし?」
抱き上げた少年もとい領主様の頬を指先で突いた。ぷにっとして意外と柔らかい。
「ぐぬぬ……ふぅ……やはり殺されたいらしいな」
「おじちゃんには負けないよ!」
少年領主様が私の首に腕を回して、わざわざアリオスに見えるように頬にチュッと唇を押し付けた。
ちゅ、ちゅ、ちゅ……
何度も何度も繰り返しながら可愛らしいリップ音がこだまする。
「んがーーーーーー! クソ餓鬼!」
アリオスが王子様をかなぐり捨てた。
「……お肉」
私のささやかなお願いは、アリオスにも領主様にも届かない。
「あの……レア、ミディアム……焼けましたが……」
「ああん!」
「ヒッ!?」
縦に長い白い帽子を被ったシェフが、勇気を出して声をかけてくれたが、アリオスの睨みに萎縮する。
「王子様……お肉! お肉ですよ!」
お肉という言葉に反応した私を領主様がじっと見つめる。そして、小さな両手で私の両頬を挟み込むとゆっくりお顔を近づけてきた。
「ん?」
「この色ボケクソ餓鬼! させるか!」
ぷちゅっ
もぐ、もぐ、もぐ、もぐ
私と領主様のお口の間に、ミディアムの肉が割り込んだ。私の唇に、脂が乗った芳ばしいお肉が触れた。
アリオスが焼けたお肉をシェフから受け取り、一口サイズのフォークに刺したお肉を領主のお顔になすりつけ、程よく脂が落ちたミディアムなお肉を私のお口にホールイン……。
領主様のお顔には、べっとりとお肉の脂が跳ねまくる。赤い瞳が、ジトリとアリオスを睨んでいた。
「や、柔らかい……シェフさん! とても美味しゅうございます!」
「ハハ……ハハハハハ……そ、それは、何よりで……」
もう、脂まみれの領主様と王子様の仮面を捨てたアリオスは、ほっとくことにして、私はシェフにお姫様らしくお肉のお代わりをお願いする。
「お次は、レア? を所望します!」
「ハハ……ど、どうぞ……」
シェフは、食べやすいように一口サイズに切り分けて、銀色のフォークに刺して手渡してくれた。
いざ、実食!
パクンと大きくお口を開けて、「レア」と言われたお肉をもぐもぐと咀嚼。領主様を抱っこしたまま、私は身体をくねくねとうねらせた。
脂まみれの領主様の赤い瞳が、私を面白いものを見るようにじっと見つめる。先ほど「レア」がいいと言っていた。ひょっとすると、お肉を食べたいのかもしれない。
お姫様として、私はどう返すべきだろうか?
隣に立つアリオスを見上げると、フーフーと荒い鼻息で、私の腕の中にいる領主様を睨みつけていた。
せっかく美味しいお肉があるのに……。
「王子様……おすすめのお肉は、とっても美味しかったですわよ?」
アリオスおすすめの『ミディアム』なお肉を銀色のフォークでプスリと刺した。鼻息が荒いアリオスのお口の前にそっとお肉を差し出した。
「王子様……あーん?」
「!?」
アリオスのお顔が一瞬で真っ赤に染め上がる。やはり、お肉の誘惑には勝てないようだ。
アリオスは、私を見つめたままゆっくりと大きくお口を開いた。
「はい、どうぞ」
アリオスにニッコリ微笑み、銀色のフォークに突き刺したお肉をアリオスのお口へとそっと押し入れてあげた。




