第八十八話
「私を殺そうとしたの? まさか当子様がそんな事……」
「いえ、あれは毒ではございませんでした」
「毒でないのなら何です?」
「薬です、下剤の一種でした。計画の実行日が迫っていて、宮様が直接こちらの道満法師に会いたいと言われたのですが、勘のよいあなたにそれを知られたくありませんでした。それなら、また兄君のお邸に戻っていただたこうという事で……」
「私が体調を崩してまた里帰りすればいいと思われたのですね?」
「申し訳……ございません」
中将内侍さんは両手をついて頭を下げた。
毒でなくとも対象が自分であった事に衝撃を受ける。
そんなに私が邪魔だったの?
私は当子様が心配で駆け回ったこともあるというのに。
「その晩、月姫が中将様の手の者に連れ出されたのは関係しているね? しかも折良くその情報を得たという事は、邸内に中将様側の人がいたと考えられるけど」
「顕成様の推察の通り、食膳の件で解雇した新任の女房が中将様の手の者です。近江さん本人に見つかってしまったため、とっさの判断で即追放という形をとりましたが、彼女はその足で中将様のところに報告に戻ったのでしょう」
私は首を傾げた。
「今年になって入ってきた女房は、全員道長様からの紹介だと聞いた覚えがありますが」
「ええ、確かに私がそう皆さんに伝えたのは確かです。後から知りましたが、彼女は身元を偽っていたようです」
道長様から紹介された女房だと聞き警戒していたのだが、その中に道雅様が自分の手の者を忍び込ませていたと?
道雅様が何故そのような事を?
「で、中将様は部下に命じて月姫を連れ出させたと。それは月姫を守るためだという事は理解した。しかし、他にやりようはあっただろうに、拉致という形をとらせるとは、よほど慌ててたようだけど……」
顕成はそこまで言ってから腕を組んだ。
「毒――いや下剤の件が失敗したあの夜、更に月姫に何かするつもりだったのか?」
中将内侍さんはまた顔を伏せる。その目からぽとりと一滴の涙が落ちた。
「申し訳ございません。宮様の暴走を止められない私が悪いのです」
「当子様が……一体何をしようとしたの?」
「中将と同じ事をされるおつもりだったのだ」
泣き出した中将内侍様の代わりに道満法師が答えた。
「同じ事とは?」
道満法師は頷き、説明を続けた。
「拉致監禁だ。先程命婦殿も言われたように、あの翌日に私と会う予定だった。更にその翌日は実行日と、日が差し迫っていたから焦りもあったのだろう。近々、大殿が息子の頼通殿に摂政職を譲られるという情報を得ていたからね。あなたの拉致はあまり良くない連中に依頼したようだよ。それを知った中将はあなたを従者に保護させ、自分は直接上皇様に報告に行ったのだ。その結果、激怒した上皇様はすぐに宮様のお邸まで来られて長々と話し込まれた。宮様は馬鹿な考えは捨てるよう説得されるも、なかなか聞き入れようとされない。上皇様はやむを得ず、次男に頼んで母君の邸に無理矢理連れて行き、そのまま一室に幽閉させたようだ。結局、我々の計画は中止となった」
では、当子様が小一条第に遷御させられたのは、陰謀を止めさせるためだったということ?
「なのに、どうして今日あなた達がここに? まだ諦めていらっしゃらないの?」
中将内侍さんは顔を上げた。
「ええ、宮様も意地になってしまわれています。左大将様への摂政職の譲渡は阻めませんでしたが、まだ威子様入内は先の話。一度も何も実行せずに終えることはできないと丹波に文を託して私に連絡をしてこられました。この道満法師に改めて日を占ってもらった結果、今日がその日だったのですが……」
肝心の中将内侍さんが躊躇してしまったということか。
その時、
「命婦どの、惟義の件はいいのか?」
と、道満法師。
中将内侍さんははっとしてから、次の瞬間、私に縋り付いてきた。
「惟義さんがまだ邸内にいます」