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第八十九話

 顕成と私は先程通った築地塀の崩れた所まで戻った。

 振り返ると中将内侍さんを乗せた牛車はもういない。

 彼女も一緒に来ようとしたのを顕成が止めたのだ。


 さて、私たちは邸内に戻って散歩の続きをしなくては――

 前に向き直し、真っ黒な煤で汚れた築地塀を見てふと思い出した。

「そう言えば、この辺りって昨年火事があったんじゃなかった?」

「近江にいたのによく知ってるね。確か夏頃だったかな。この辺り五百軒近くの家が灰になったんだよ。ここ土御門邸も全焼だったらしい」

「やっぱりそうなのね。寝殿は新築のようだったけど」

「中心部分は再建されたばかりだからね。だけど、この辺りや池の南側の建物など、まだこれから工事に入る箇所も残っているらしいよ」

「この崩れたままの築地塀もそのうちの一つなのね」

 周りに人がいない事を確認して、順に塀を跨いで中に入る。

 この辺りは土御門邸の北東側で、植樹されたばかりのような、背の低い木がたくさん植えてある。

 それら樹木の間を擦り抜けていった先に見えてきた建物は恐らく北の対。南側に寝殿と透渡殿が見える。

 さて、どこをどう探せばいいのか――

「宇治殿で床下に潜んでいた輩は惟義だったのよね」

「先程大殿がそんな事を言われてたね……。あっまさか、床下に潜り込むつもりじゃないだろうね?」

「さすがにこの格好でそんな事はしないわよ」

 少しはそれもありかなと思っていたのでぎくりとした。

「しないけど、覗いてみる位ならしてみようかと……」

「怪しすぎるよ?」

「探し物でもしているフリをすればいいわ。見つかっても言い訳になるし。そうね、私の紫水晶の髪飾りを落とした事にするわ。二手に分かれて探しましょう」

「えっ? 別々に? いや、僕は君のそばから離れないよ」

 私の目をじっと見て真面目な顔で訴えられ、一瞬ドキッとする。

「そういう台詞は男姿に戻ってから言って欲しいわ…」

 ボソリと呟くと、顕成の顔は真っ赤になった。

「付き添いで来てるからって意味だよっ」

「分かってるわよ」

 今はこんなやり取りをしている場合じゃないと、気を引き締め直す。

「中将内侍さんには惟義を止めて欲しいって頼まれたけど、もう既にだいぶ時間が過ぎてるじゃない。二手に分かれて探した方が効率的よ」

「僕は惟義殿の顔を知らないのだけど……」

「あっ、そうだったわね。狐目に頬に傷がある中肉中背の男よ。ほお被りとかしてるかも知れないけど」

「了解。見つけたら中将内侍からの伝言で今すぐ引き上げるようにと伝えればいいんだよね? しかし、大丈夫だろうか。確かに既に時間が経っている。いつまでもウロウロしていたら怪しまれるかも知れない」

「散歩していいって言ったのは道長様なんだから、そのついでに髪飾りを落としたから探している、この線で大丈夫よ」

「君は本当に逞しいね――でもせめて、君はこのまま北をぐるっと廻って西の車宿に向かってくれる? 僕は南の方を廻って行くから」

「分かったわ」

「足は大丈夫?」

「走らなければ大丈夫よ。北からの方が距離は短いし」

「懐剣は持ってる?」

「いつも胸元に入れてるわよ。じゃあもう行くわね」

 私は顕成から離れて歩き出した。


 時は酉の刻ころで、もうすぐ夕方――でもまだ明るい。

 建物の中の奥の方から、時折女性や子供の笑い声が聞こえてくる。

 高床の下を時折覗いてみたものの、暗くてよく見えない。

 それに何も気配を感じなかった。


 先程、中将内侍さんは、

――惟義さんは私が思い留まるのを見て、『では俺は俺でやりたいようにやらせてもらう』と独りで行ってしまわれたのです。元々彼自身、道長様に対する私怨がありましたので――

と言っていた。

 そうなると、惟義は威子様ではなく、直接道長様を狙っているのでは?

 北の対は帝の母后様の御所のはず。その妹君の威子様も同じく北の対にいらっしゃる可能性が高い。

 惟義が潜んでいるのはこちらの建物ではなく、寝殿の方かも知れない。


 特に何も収穫はなく、車宿についてしまった。

 このまま南を回るか、折り返して北側をもう一度探るか――迷いながら西門の方を眺めると、何か違和感を感じた。

 二階部分のある楼門のようだけど――上に誰かいる?

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