第十二話 生還
第十二話 生還
怪物と化したハウンドが咆哮を上げた。
天井が震える。
コンクリートが剥がれ落ちる。
人間の形を辛うじて保っているだけだった。
膨れ上がった筋肉。
血走った瞳。
理性を失った獣。
それがブーストの完成形だった。
「ハァァァァァァァァ!!」
突進。
床が砕ける。
普通の人間なら回避不能だった。
だが玲司は違う。
リーが教えてくれた。
怪物と戦う方法を。
恐怖へ飲まれない方法を。
「力任せの奴は単純だ」
昔のリーの言葉が脳裏をよぎる。
玲司は飛んだ。
横へ。
わずかに。
ハウンドの拳が壁を粉砕する。
地下施設が揺れた。
そしてその一瞬。
玲司は矢を放った。
一本。
二本。
三本。
全て関節へ。
肘。
膝。
肩。
「ガァァァァ!」
怪物が絶叫する。
だが止まらない。
さらに突進。
この化物は痛みすら感じなくなっていた。
「だから嫌なんだよ」
玲司が呟く。
「ブーストは」
人間じゃなくなる。
リーもそう言っていた。
だから破壊しなければならない。
三年前に終わらせるべきだった。
美月が叫ぶ。
「玲司!」
拘束されたまま涙を流している。
玲司は小さく笑った。
「大丈夫だ」
不思議なくらい落ち着いていた。
もう迷いが無い。
やるべきことが決まっているから。
ハウンドが襲い掛かる。
玲司は弓を捨てた。
そして走る。
真正面から。
「なっ……!」
美月が息を呑む。
距離がゼロになる。
怪物の拳が振り下ろされる。
玲司は潜り込む。
腹部へ。
最後の矢を突き刺した。
心臓の真下。
三年前。
リーが教えてくれた急所。
人体で最も力が抜ける場所。
「終わりだ」
玲司が告げる。
直後。
ハウンドの動きが止まった。
時間が静止したようだった。
怪物の目がゆっくりと玲司を見る。
そして。
初めて正気に戻ったような顔をした。
「そうか……」
ハウンドが笑う。
血を吐きながら。
「お前が……リーの答えか」
怪物の身体が崩れ落ちる。
もう立てない。
再生もしない。
ブーストが身体を破壊し始めている。
「俺は間違ったらしい」
ハウンドは天井を見上げた。
「結局……人間は兵器になれない」
玲司は何も言わない。
男は小さく笑った。
そして。
二度と動かなかった。
静寂。
三年前から続いた戦いが終わった瞬間だった。
その直後。
施設全体が揺れ始める。
ハウンドが最後に起動していた自爆装置だった。
「まずい!」
玲司は美月を解放する。
二人で走る。
地下通路。
崩落。
爆発。
瓦礫。
寸前で地上へ飛び出した。
背後で施設が崩壊する。
轟音が島中へ響いた。
朝日が昇っていた。
長い夜が終わったのだ。
それから二日後。
救助隊が到着した。
偶然ではなかった。
島に残っていた古い通信設備を高城達が修理し、榊原が遭難信号の送信を成功させていたのである。
生存者は二十八名。
失われた命は戻らない。
だが。
生き残った者達は帰ることができた。
数週間後。
学校。
日常が戻っていた。
あの地獄が嘘だったかのように。
高城隼人は変わった。
以前のような人気者ではある。
だが軽さが消えた。
クラスをまとめる責任。
判断の重さ。
人の命。
それらを知った。
後に生徒会長になったと噂される。
榊原雪乃も変わった。
正しさだけでは人を救えない。
それを学んだ。
大学では心理学を専攻するらしい。
人の心を理解するために。
姫川愛莉は最も変わった人間だった。
事件の後、美月へ真っ先に謝った。
何度も。
何度も。
そしていつの間にか親友になっていた。
今では一緒に昼食を食べている。
久我翔だけはあまり変わらない。
相変わらず馬鹿で明るい。
だが誰よりも仲間想いになった。
あの島で最後まで美月を信じようとした一人だったから。
そして。
李美月。
彼女はようやく過去から解放された。
父の死。
監禁生活。
三年前の地獄。
全てを受け入れ始めていた。
放課後。
教室に二人だけの時間が流れる。
窓の外では夕日が差し込んでいた。
「玲司」
美月が呼ぶ。
「ん?」
「ありがとう」
短い言葉だった。
だが十分だった。
玲司は笑う。
昔みたいに。
少しだけ軽い顔で。
「どういたしまして」
だが美月は知っている。
その仮面の下を。
三年前。
自分を守ってくれた少年を。
玲司は窓の外を見る。
青空が広がっている。
リー。
神崎。
失った人達の顔が浮かぶ。
それでも前へ進む。
生き残った自分達が。
そうしなければならないから。
そして心の中で呟く。
――約束は守ったよ。
風が吹く。
どこかで誰かが笑った気がした。
玲司も少しだけ笑う。
こうして。
無人島で始まった悪夢は終わった。
だが。
彼らの人生はまだ終わらない。
未来はこれから続いていくのだから。




