↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46歳のおじさん、左遷後に人生最大のモテ期到来  作者: とん汁ごはん
第1章:星野佳奈

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/53

第4話:作成者不明

翌日の13時。


都内の一等地にある大手外食チェーン本社の広大な会議室は、水を打ったような静けさに包まれていた。


長テーブルの奥には、クライアントの役員と決裁権を持つ部長陣がズラリと並んでいる。


彼らの鋭い視線の先に立っていたのは、入社1年目の星野佳奈だった。


「以上が、御社の新規ターゲット層に対する、弊社の最適なアプローチプランとなります」


佳奈は震えそうになる声を必死に抑え、プレゼンを締めくくった。


数秒の静寂。


それは佳奈にとって、生きた心地のしない永遠のような時間だった。


しかし次の瞬間、中央に座っていた専務が、深く、そして大きく頷いた。


「素晴らしい。市場データの分析が完璧だ。我々が漠然と抱えていた若年層へのリーチ不足という課題を、ここまで的確な数値で指摘し、ソリューションの根拠を明確に提示してきたのは御社が初めてだよ」


「えっ……」


「特に、あのスライド12枚目のクロス分析。あれは非常に説得力があった。ぜひ、この方向で具体的な契約の話を進めさせてほしい」


大絶賛だった。


会議室の空気が一気に好意的なものへと変わる。


同席していた営業第三課の『特攻隊長』こと橘咲と、中堅の中川留美は、目を丸くして佳奈を凝視していた。


昨日まで泣きべそをかき、的外れな企画書を作っては叱責されていたポンコツ新人が、一晩で完璧な資料を組み上げ、堂々とプレゼンを成功させたのだ。


おまけに、コンペの途中ではクライアントから意地悪な質問も飛んできた。


だが資料には想定Q&Aの補足スライドまで用意されており、それを読み上げるだけで相手を納得させてしまった。


咲と留美が絶句するのも当然だった。


何より佳奈自身が、この状況に驚いているのだから。



◇



「星野さん、あんた……やればできるじゃない! あの補足資料、いつの間に用意してたの!?」


帰りのタクシーの中で、咲が興奮気味に佳奈の肩をバシバシと叩く。


「そうね。私、あんな高度な分析手法やマクロの組み方、あなたに教えた覚えはないんだけど……。昨日、1人で徹夜でもしたわけ?」


助手席から振り返った留美が、鋭い視線を送ってくる。


同意の言葉の裏に、明確な疑問と探りが混じっていた。


「あ、えっと……! 大学時代の知人に少しアドバイスをもらって、その、昔の資料とかを必死に参考にして……」


佳奈は引き攣った愛想笑いを浮かべ、必死に誤魔化すことしかできなかった。


先輩たちからこんなに褒められるのは初めてだ。


本来なら天にも昇る気持ちのはずなのに、佳奈の心臓は別の意味で激しく鳴っていた。


(私が凄いんじゃない。全部、沢村さんからもらったあのUSBのデータのおかげだ……)


タクシーの窓の外を流れる景色を見つめながら、佳奈は鞄の中で、黒いUSBメモリを強く握りしめた。



◇



オフィスに戻った佳奈は、自分のデスクに座るなり、周囲の目を盗んで急いでノートパソコンを開いた。


昨日、健介から渡された黒いUSBメモリ。


あの魔法のようなファイルの正体を、もう一度確かめなければならない。


(コンペの資料だけじゃない。先方の役員が気にしていたピンポイントな懸念材料まで、まるで予知していたみたいに網羅されてた。あんなに完璧なマクロとフォーマット、普通の営業マンが作れるはずがない。絶対に沢村さんが私のために作ったんだ)


佳奈はExcelファイルを右クリックし、『プロパティ』から詳細情報を開いた。


しかし、画面に表示された文字を見て、佳奈は息を呑んだ。


作成者:――

最終更新者:――

作成日時:――

更新日時:――

コンピュータ名:――


「え……?」


思わず声が漏れた。


昨日開いた時は、焦っていて細部まで見ていなかった。


しかし、今こうして確認してみると、ファイルからは、「誰が、いつ、どのパソコンで作ったか」というデジタルな痕跡が、1つ残らず消去されていたのだ。


まるで、最初からこの世に存在しなかった幽霊のデータのように。


(どういうこと……? わざと履歴を残さない設定にしてるってこと? あんなに完璧なデータを作り上げておきながら、誰が作ったか絶対にバレないように、最初から細工されていたの……?)


背筋にゾクッと冷たいものが走る。


ふと視線を上げると、隣の席で、健介が「ああ、熱いっ」と言いながら、給湯室の安いインスタントコーヒーを啜っていた。


少し出た下腹に、人の良さそうな丸い笑顔。


身だしなみこそきちんと整っているが、どう見てもデジタルツールなど使いこなせそうにない、『冴えないおじさん』だ。


課長の霧島玲奈は、相変わらず健介を『窓際のおじさん』と見なし、完全に無視して業務を進めている。


佳奈は意を決して席を立ち、健介のデスクへと向かった。


「あの、沢村さん……」


「ん? おお、星野さん。お疲れ様。コンペ、うまくいったみたいだねぇ。さっき橘さんがすごく褒めてたよ」


健介はいつもの笑顔を向けた。


佳奈はエースの佐々木澪が席を外しているのを確認し、声を潜める。


「本当に、ありがとうございました。あのデータのおかげで、完璧なプレゼンができました。……でも、沢村さん。あのファイル、本当は誰が作ったんですか?」


佳奈の真っ直ぐな視線を受け止めても、健介の表情は一切崩れなかった。


「誰って……昨日も言っただろう? 僕が前にいた部署の奴だよ」


「嘘です」


佳奈は一歩踏み込んだ。


「あんなプロみたいなこと、ただの営業マンがするとは思えません。本当は、沢村さんが私のために――」


「星野さん」


健介ののんびりとした声が、佳奈の言葉を遮った。


口調はのんびりとしたままだ。


笑顔も、姿勢も、何一つ変わっていない。


けれど、その奥の瞳だけが、一瞬、ひやりとした光を宿したように見えた。


「僕はPCのことはからっきしなんだ。だから、前の部署の優秀な奴が作ってくれたものを、ただ渡しただけ。……それ以上のことは、おじさんにはよく分からないなぁ」


「……」


それ以上、追及することはできなかった。


健介は再びマグカップに口をつけ、「いやぁ、午後も眠くて敵わないね」とのんきに欠伸をしている。


佳奈は自分の席に戻り、USBメモリをそっと握り込んだ。


絶対におかしい。


この人は、ただの『窓際のおじさん』なんかじゃない。


周囲の優秀な先輩たちはほぼ全員、彼を無能だと見下している。


けれど、本当は違う。


あの魔法のようなデータを作り上げ、自らの痕跡を最初から完全に消し去るほどの、規格外の能力を持った人間なのだ。


(沢村さんの本当の顔って、一体……)


得体の知れない恐ろしさが胸に広がる。


だが同時に、誰も知らない彼の秘密の欠片に触れてしまったという、ざわつくような好奇心も芽生え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。