第32話 帰る場所
読みに来てくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは本編をどうぞ。
青く澄み渡る空の下。
美桜は、いつものように神殿で祈りを捧げていた。
静かな朝。
神殿には穏やかな空気が流れている。
美桜もまた。
必死に平静を装っていた。
だが。
少しでも気を抜くと――
『私と結婚してほしい』
昨日のユリウスの声が。
勝手に頭の中で再生される。
(ぐわぁぁぁぁっ!!)
結婚って言われた……!
いやいやいや!
私、まだ高校生なのに……!?
待って待って待って!!
「……私、まだ返事してない!」
思わず声に出してしまった。
神官が不思議そうに振り返る。
「聖女様……?」
「あっ!」
「い、いえ!」
「なんでもありません!」
慌てて首を振る。
神官は苦笑した。
「お疲れのようですね」
「本日はこれくらいになさいますか?」
「……はい」
耳まで真っ赤になりながら頷いた。
◇ ◇ ◇
王都は平和だった。
王は順調に回復している。
カイルはユリウスを支える道を歩き始めた。
ローゼン公爵も。
罪を背負いながら国のために働いている。
ラシスもまた。
自分の未来を探し始めた。
王都の人々も笑顔を取り戻していた。
誰もが前を向いている。
「この世界……」
「見事にハッピーエンドって感じだな」
美桜は小さく笑う。
だけど。
胸の奥に。
小さな引っ掛かりが残っていた。
皆が未来へ向かって歩いている。
なのに。
自分だけが。
その輪の外に立っているような気がした。
……私がこの世界の人間じゃないからかな。
そんなことを考えていた。
その時だった。
ふわり。
空気が優しく揺れる。
淡い光が神殿いっぱいに舞った。
美桜はゆっくり顔を上げる。
そこに立っていたのは。
銀色の髪を揺らす美しい女性。
優しい笑顔。
懐かしい瞳。
美桜はその人の名前を知っていた。
「セレスティア様……!」
セレスティアは柔らかく微笑む。
「久しぶりね」
美桜は思わず駆け寄る。
「セレスティア様!」
「お元気でしたか!?」
「私は死んでいるのだけれど」
くすりと笑う。
「あっ……そうでした」
美桜も照れ笑いを浮かべた。
セレスティアは神殿を見渡す。
穏やかな表情だった。
「平和になったわね」
「はい」
「皆、頑張っています」
「そうね」
セレスティアは嬉しそうだった。
まるで自分の子ども達を見守る母親のように。
しばらく二人で神殿を見つめる。
静かな時間が流れた。
やがて。
セレスティアが口を開く。
「今日はお礼を言いに来たの」
「お礼?」
「ええ」
「ユリウスを助けてくれてありがとう」
「この国を救ってくれてありがとう」
美桜は慌てて首を振った。
「そんな」
「私は何も……」
「いいえ」
セレスティアは優しく微笑む。
「貴方がいたから」
「救われた人がたくさんいるわ」
その言葉に。
美桜の胸は少しだけ温かくなった。
だが。
一つだけ。
ずっと気になっていたことがある。
「そういえば」
「どうして私だったんですか?」
セレスティアが瞬きをする。
「私?」
「どうして私を選んだんですか?」
「もっと凄い人がいたんじゃないですか?」
「私は普通の高校生ですよ?」
セレスティアは少し考えた。
そして。
にっこり笑う。
「勘よ」
美桜は固まった。
「え?」
「聖女の勘」
「よく当たるの」
「それだけですか!?」
思わず叫ぶ。
セレスティアは楽しそうに笑った。
「だって当たったでしょう?」
「結果論ですよね!?」
神殿に二人の笑い声が響く。
ひとしきり笑ったあと。
セレスティアの表情が少しだけ変わった。
優しい。
だけど。
どこか寂しそうだった。
「時間がないの」
美桜も表情を引き締める。
「時間……?」
「ええ」
セレスティアは自分の手を見る。
その指先は。
少しずつ光へと変わり始めていた。
「私の力はもうすぐ消える」
美桜は息を呑む。
「だから」
「最後に貴方へ伝えなければならないことがあるの」
神殿の空気が静まり返る。
「美桜」
「はい」
セレスティアは真っ直ぐ見つめた。
「貴方は」
「元の世界へ帰ることができる」
美桜の思考が止まった。
「……え?」
聞き間違いかと思った。
「帰れるの」
セレスティアはもう一度言う。
「貴方がいた世界へ」
「家族のいる世界へ」
「貴方が生まれ育った世界へ」
「帰れるわ」
美桜は言葉を失う。
帰れる。
元の世界へ。
家族の待つ世界へ。
そう聞いた瞬間。
嬉しい。
そう思うはずだった。
なのに。
胸の奥へ浮かんできたのは。
家族ではなかった。
真っ先に浮かんだのは。
紫色の瞳。
不器用で。
優しくて。
真っ直ぐな人。
『私と結婚してほしい』
その声が。
何度も胸の中で響く。
「どうして……」
美桜は小さく呟いた。
帰りたい。
そう願っていたはずなのに。
その答えが。
急に分からなくなってしまった。
美桜はもう一度確認した。
「本当に……?」
「本当よ」
セレスティアは静かに頷く。
「選んで」
「この世界に残るか」
「元の世界へ帰るか」
美桜は俯いた。
頭の中が真っ白になる。
帰りたい。
そう思っていたはずだった。
ずっと。
なのに。
今は。
その一言が言えない。
家族の顔が浮かぶ。
お父さん。
お母さん。
友達。
元の世界。
帰れば。
きっと元の日常に戻れる。
なのに。
もう一つの景色が頭に浮かぶ。
王都の街並み。
神殿。
王宮。
皆の笑顔。
そして。
ユリウス。
胸がぎゅっと締め付けられた。
「少しだけ……」
美桜は顔を上げる。
「少しだけ考える時間をください」
セレスティアは優しく微笑んだ。
「そうね」
「貴方らしいわ」
ゆっくりと頷く。
「一時間だけ待っていてあげる」
「一時間後」
「もう一度迎えに来るわ」
美桜は小さく頷いた。
「はい」
セレスティアの身体が。
少しずつ光に包まれていく。
「美桜」
最後に。
優しく微笑んだ。
「どちらを選んでも」
「後悔だけはしないでね」
次の瞬間。
その姿は光とともに消えた。
神殿には静寂だけが残る。
美桜はその場に立ち尽くしていた。
帰れる。
元の世界へ。
ずっと望んでいたはずなのに。
胸が苦しい。
嬉しいはずなのに。
涙が出そうだった。
「どうしよう……」
ぽつりと呟く。
空を見上げる。
青空が広がっていた。
美桜は目を閉じた。
大きく息を吸う。
ゆっくり吐き出す。
「……聞かなきゃ」
私は。
どうしたいのか。
帰りたいのか。
それとも。
残りたいのか。
答えは。
まだ分からない。
だけど。
一つだけ。
今、はっきりしていることがあった。
ユリウスには。
ちゃんと話さなければならない。
何も言わずに消えるなんて。
そんなことはしたくない。
美桜は小さく拳を握る。
残された時間は。
あと一時間。
「……行こう」
決意したように顔を上げる。
その足は。
自然と王宮へ向かっていた。
王宮までの道は。
いつもと何も変わらない。
行き交う人々。
楽しそうに笑う子どもたち。
店先に並ぶ果物。
パンの焼ける香り。
三十日前。
初めて見た景色。
あの時は。
何もかもが知らない世界だった。
それなのに今は。
どれも懐かしく感じる。
「私……」
いつの間にか。
この国が好きになってたんだ。
そして。
この国にいる一人の人を。
その事実に気付いた瞬間。
胸がまた苦しくなった。
帰れば。
この景色とも。
皆とも。
ユリウスとも。
もう会えない。
「そんなの……」
考えたくない。
美桜は唇をぎゅっと噛む。
そして。
少しだけ足を速めた。
ユリウスに会いたい。
今は。
その想いだけが。
胸いっぱいに溢れていた。
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