二日目朝~新たなる死者~01
目を覚ましたのは、朝八時のことだった。
私はいつも六時に目を覚ます。鳥が鳴かずとも、人に起こされずともだ。だからこの時は、旅の疲れが出ていたのだと思う。昨晩身体を冷やしたせいもあるかもしれない。
しかしいずれにせよ、もっと早く起きるべきだったと思う。
ラース村長が簡単な朝食を出してくれて、私はそれを世間話をしながらのんびりと頂いた。
世間話の内容は実に普通だ。
今年もそろそろ冬が来るだとか、そのための備えはどんなものなのかとか。王都とカルーナ村、つまりは都会と田舎の違いなんかを話し、お互いに驚き合った。
九時頃、支度を整えて家を出た。ラース村長と共にフィリップさんのお宅へ向かったのだ。
生憎村の地図はないので、彼に案内してもらわなければ家がどれか分からなかった。どれも同じような姿形をしているためだ。
「ここですよ」
ラース村長が示したのは、彼の家より一回りくらい小さな家だった。村長宅だから他より大きく作ったというわけではなく、単に家を建てた当時の家族人数の違いらしい。ハンセン家は当時十人が住んでいて、オルセン家は五人だったのだそう。
「フィリ、お客さんだ。昨日話した探偵さんだ」
しかし何度ノックしても返事どころか物音すら聞こえて来ない。
ラース村長が何度か強めにノックするも、駄目だ。
「フィリップさん、エリックです。お話を伺いに参りました」
私も声をかけてみるけれど、駄目。
「まだ寝ているんでしょうか」
「いや、フィリはいつも朝早くに起きている。今日に限って寝ていることはないと思いますけど……」
「じゃあ、家の奥にいるとか?」
「小さな家です。他に物音がないんですから、俺らの声が聞こえないことはないかと」
「フィリップさんは一人暮らしでしたよね」
「ええ。ご両親は亡くなっています」
「では、何か作業をしていて……いえ、その場合、彼の生活音が聞こえないのは不自然ですね。となると……話すのが嫌で、あえて出て来ない?」
一晩寝て、昨晩私に話したことを後悔したのかもしれない。居留守を使っているか、あるいは早朝から森なんかに逃げ出したか。
「あいつに限ってそんな逃げる真似はしないかと……。風邪でも引いてベッドから立ち上がれないのかな。昨日会いに来た時は、平気そうだったんですけれど」
「私もそう思います。実は昨晩、夕食前に出かけた時、お会いしたので挨拶だけしたんです」
もちろん嘘だ。挨拶どころではないくらい話した。
「その時はお元気そうでしたよ」
「そうだったんですね。じゃあやっぱり、おかしいな。ちょっと、入ってみましょうか」
俺が先に行きますね、というラース村長に従って後ろを付いて行く。扉は開いており、誰でも入り放題だった。
「フィリ、入るぞ?」
道を歩くおじいさんが、少し離れた場所から私たち二人を不思議そうな目で見ていた。
「フィリップさん、どこにいますか?」
二階建ての小さな家だ。とはいっても、二階には一部屋しかない。室内を見て回るのは簡単だった。すぐに一階を見終えて、私たちは階段を上がった。
一階にはなかった匂いが、ほんのりと扉の向こうから香って来る。
「あとはここしか、ないですね」
緊張した面持ちでドアノブに手を掛けたラース村長が、フィリップさんの名前を呼びながらそうっと開ける。
「入るぞ、ふぃ、り……うそだろ……」
前に立つラース村長の背中で、室内が見えない。しかし切羽詰まったその声だけでも十分過ぎるほど分かった。
「ラース村長、下がってください」
部屋へ入ってすぐにそう言って、ラース村長を入り口付近に立たせた。私自身は明かりも点いていない薄暗い室内へと進む。
木製の椅子と机。小さな本棚。床に落ちたままの上着。
「フィリップさん……」
床に座り、ベッドに上半身を寄せている一人の青年。
彼を囲うように流れている血は、赤黒い。時間が経っている。
力なく床に垂れている右手にはナイフがしっかりと握られている。
「ラース村長、彼は、亡くなっています」
かがんでフィリップさんの様子を見ながら、背後に向けてそう言うも、返事はなかった。
「ラースそんちょ、う」
もう一度、今度は顔を見て言おうとして、彼がしゃがんで嗚咽を漏らしていることに気が付いた。
口元を両手で抑え、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ。今にも吐いてしまいそうな様子。
顔色は青白く、ハンサムな顔立ちの面影もない。息が上手く吸えないようで、過呼吸になっている。
「うっ……ヴぇ……ふぃ……ふぃり……うあッ……」
──ヒトの死体を見れば、普通はこうなる。
そのことを思い出し、私は彼の背中をさすって立たせてあげると、部屋から出した。遺体が視界に入らないように。血の臭いがしないように。
「ラース村長。ゆっくり呼吸してください。いち、に、いち、に」
顔面蒼白という言葉が相応しい様子。
この様子では人を呼んで来てもらうことも、捜査協力も無理だろう。そう考えて、彼に言う。
「私はもう一度部屋の様子を見てきます。手がかりがあるかもしれませんから。ラース村長は落ち着き次第、一階へ下りて座っていてください。必要なことがあれば私がやるので、いつでも呼んでください」
呼吸が落ち着かないようで返事はなかったが、代わりに首が動く。こくこくと縦に振った、と思う。彼がガタガタと震えているためによく分からなかった。
私は再び部屋へ入ると、カーテンを開けて部屋に光を入れた。真っ暗闇では何も見つけられない。
室内には物が少ない。入って正面に椅子と机、右手側は壁があるのみで、左手側に進むとベッド。そこに亡骸がある。
窓は一つ。椅子に座り机に向かうと、ちょうどそこの壁に窓がある。
「まあ、銃撃ならともかく、死因が腹からの出血である以上、窓は関係ないですよね……」
私が開けるまで、窓はしっかりと施錠されていた。となれば侵入者がフィリップさんを殺害し、窓から逃げたというのはなしだ。わざわざ施錠していくのは難しいし、大した意味もない。
「死亡推定時刻は分からない。けれど、昨晩私が会ったのだから、死亡はその後。血は乾いているし、腹は一度しか刺されていないように見えるから、即死だったとは思えない。胃の内容物を見られればいいんだけれども、さすがにここで解剖は無理があるね。専門の人間もいない」
部屋が荒らされた痕跡はなく逃走の様子もないとなれば、残る可能性は二つ。
一つ、犯人は玄関から出て行った。
二つ、彼は自殺だった。
「凶器は、ナイフですね。ブレードは十センチ内。少し古い物だね、持ち手が色褪せている。ご両親の物だったのかな。それにしても、随分と強く握っているようだ」
彼の右腕自体はゆらりと垂れ下がっているというのに、ナイフを握る指は力強い。
「柄の部分に文字が入っているな……。ええと、オルセン、かな。彼の苗字ですね」
うん、やっぱり彼の私物ということで合っている。
「死亡したあとに握らされたわけではない、のかな。これを握ったまま硬直したと見ていいはずだ……。ああ、さすがに遺体を見るのは探偵の業務範囲外ですね。見立てが合っているのか、自信がないなあ」
衣服は寝巻のまま。
「あとで食卓を見るのを忘れないようにしなければ。夕食を取ったか、朝食を取ったか。死亡推定時刻を絞れれば、随分と進捗する」
現状は自殺という線が強い。
が、十四年半前、どう考えても自殺なんかではないエカテリゼ・ロマノヴァの事件は迷宮入りしている。
再び犯人が動き出し、ずば抜けた犯罪脳によって今度は自殺に見せかけているということもあり得なくはない。
「というか、このタイミングで死んだとなれば、エカテリゼとの事件を疑うのが必然ですよね」
フィリップさんに自殺の動機があったのかどうか。
遺書が見当たらないため分からない。
「うーん……。目ぼしい物はなさそうですね。ひとまず、部屋を出ますか」
窓を閉めて、最初の状態にしておく。もし窓から侵入でもあれば現場が荒れてしまう。それが人でなく鳥なんかの可能性もあるのだ。
「フィリップさんを運ぶのは、ひとまずはやめておきましょうかね。カメラがあれば良かったんですけれども。ああ、警察に言えば持って来てくれるかな」
もう一度室内を見渡し、目に焼き付けた。
そして廊下へ出ようとして──。
「エリックさん」
「わっ……。驚きましたよ、ラース村長。一階で休んでいて良かったのに……。ああ、それとも、私に何か御用でしたか?」
「エリックさん」
「ん? はい、何でしょうか」
虚ろな青の瞳は、何処かこちらを軽蔑するような色。
その肌はまだ青白く、さながら死人のよう。
「貴方は、よく、平気そうな顔で死者を見れますね」
「ああ、ええ、そうですね」
視界の隅に映った私の手は、いつも通りの血色をしている。
「仕事柄、見るのは初めてではなくて……。お気に触りましたら、ごめんなさい」
小さく頭を下げる。
その頭を上げる前に、ラース村長は掠れた鼻声で言った。
「昔来た警察の方たちは、そりゃ、俺たちみたいに取り乱しはしませんでしたけれど、青白くはなっていましたし、新人の警官の方は、森の隅へ走って行って、吐いていましたよ」
「……そうですか」
「指揮を執っていた偉そうな警部さんすら、落とされた四肢を見たときは、隠すこともなく顔を顰めていました。一日中、仏頂面でしたよ」
ティモ警部の顔を思い浮かべた。いつも仏頂面なのに、それがさらに歪んだのか。
「貴方は、警察よりも、遺体を見慣れているんですか?」
「それは分かりませんが……。警察から私に回される事件は今回のような迷宮入りした事件や、警察だけでは人手が足りない事件です。不可解な猟奇的事件に出くわした回数は、一度や二度ではありません。遺体を見慣れたというよりは、変わった遺体を見慣れたんです」
「……そういう、ものなんですか」
咎められているような気分がした。
けれど、怒りは湧いてこない。
彼からすれば、友人が亡くなっただけでもショックなのに、それを平然と眺め出す探偵がいるわけだ。自分と同じようにとはいかずとも、少しくらいは悲しむなり動揺するなりして欲しいのだろう。
「それだけの理由で、平気な顔で、遺体を見れるんですか……?」
こういう仕事をしていれば、よくある事。
だからいつもと同じ言葉を返す。
申し訳なさそうな顔を張り付けて、しぼんだ声で。
「遺体から手がかりを見つけ、真相を解明する。それが私という探偵に出来る、唯一の弔いの方法ですから……」
こういう仕事をしていれば、よくある事。
だからいつもと同じ言葉を返すわけだけれども。
「……四肢のないエカテリゼの遺体が、今、唐突に出てきても」
けれど、まあ、やっぱり。
そんな自分を誇れるかと言えば、誇れないし。
人間としてどうなのかと言われれば間違っていると思うし。
「貴方はきっと、平気そうな顔して」
相手の言葉が胸に響かないかと言われれば。
「遺体を眺め始めるんでしょうね」
響かないわけがないのだけれども。
「…………」
返す言葉がないし、そもそも相手は言いたいだけで弁明を求めているわけでもない。
十秒も無言を貫けば、相手は鼻声のまま言った。
「村人に、知らせてきます」
頼りない足音と共に階段を下りていく相手の背中に、
「私は一階にいますので」
とだけ知らせておく。
返事は特になかった。彼が家を出る扉の音だけがした。
「…………はあ」
呼吸一つ。
背筋を伸ばすと階段を下りて、キッチンへ向かった。




