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一日目夜~過去を狙う~02


外は薄暗く、真冬ではないとはいえ十分寒かった。温度はどのくらいなのだろうか。

 時折吹く風が草木を揺らし、やけに不気味な音を立てた。

 九月とはいえ、夜中に出歩くべきではなかったかもしれないと早くも後悔の念を抱くが、かといって戻るわけにもいかない。これは観光ではなく捜査なのだから。

 カルーナ村の雰囲気は午前中に見たのと似ていた。確かに村の背後には不穏な雰囲気を醸し出す森が広がってはいるが、自然と共存しているからこそここは田舎なのだ。獣が村に押し寄せてくるようには思えない。

「今のところ、彼らの話す内容は一致している。事件の内容も捜査資料と同じ。アンナさんの様子も、証言に間違いはなさそうだなあ」

 王都の警察が、それも若い頃から容赦なく犯人を追い詰めて来たティモ警部が容疑者を絞ることすら出来なかった事件。

「あと二日、どうしたものか……」

 二日後には再びティモ警部と待ち合わせることになっているわけだが……。

「明日はフィリップさんのお宅へ行って、話を聞いて……。その後は村人に聞き込み、午後はアンナさんのお宅へ伺おう。有力な話を聞けるといいが……」

 それで何も情報が得られなかったら、どうしたものか。

「……はあ。それにしても、まさかマーリットさんがなくなっていたとはなあ」

 見上げる夜空は薄暗い雲のせいでよく見えない。手を伸ばして見せたところで、これじゃ掴めそうな物も掴めやしない。私の捜査の進捗のように、お先真っ暗だ。

「フィリップさんが心を痛めるのも、当然のことですね」

「──ぼくが、なにか?」

 ふいに、背後から声がかけられた。吹けば飛んでいきそうな、鳥の泣き声よりもか細い音だ。空気を震わせてこちらの鼓膜にまで届かせるのが精一杯に見える。いや、聞こえる。

 そうっと後ろを向くと、亡霊のように立っている少年がいた。

 分厚い上着を羽織ってはいるが、これじゃあ服に着られてしまっている。あまりにも身体が細すぎる。適正体重よりニ十キロは軽いのではないだろうか。

 今が夜だからというのもあるが、その肌は白く、青く、不健康そうだ。

 いや、彼は今「ぼくが、なにか?」と言ったな。その前に私が言った名前はフィリップさんだった。となれば彼は少年ではなく、青年だ。年齢にして二十七歳くらいか。

「貴方が、フィリップさん、ですか?」

 恐る恐る聞けば、相手は小さく頷いた。上着の前部分をぎゅっと握っているのは……そうか、私はこの村の者ではないから、警戒されているのか。思えば、少し後ろへ位置取っている気もする。

「私はエリック・ヨハンソンと言います。探偵をしています。その……十四年半ほど前の事件について、調べにこちらへ参りました。今はラース村長の家へ泊まらせていただいています」

 相手は警戒を緩めたのか、一歩、また一歩、こちらへと近づいて来た。彼の気分は重そうだが、足取りはあまりにも軽い。吹けば飛んでいきそうな身体の重みだ。

「ぼくは、フィリップ、です。ラースから、ききました……」

 話は既に行っていたのか。良かった、怪しまれずにすみそうだ。

「明日、午前中にお宅を訪ねようと思っていたのですが、お時間は大丈夫でしょうか?」

「うん、だいじょうぶ、ラースから聞いているから……」

 でも、と。

 本当に聞こえるかどうかという程度の声量で彼は零した。

「もし難しいようでしたら、後日に変える、あるいは文書などでも構いませんが」

 可能な限り彼の精神を傷つけることのないように、柔らかい口調でそう返す。一人の人間としては弱っている精神状態の彼に事件の話などさせたくないのだが、やはり探偵としてはそう言わざるを得ない。

「そうじゃ、なくて……」

「ん? では、何でしょうか……?」

 もごもご、もごもご。フィリップさんは幾度か口を開けては閉じを繰り返し、やがて意を決したように上着の袖を握る指に力を入れて言った。

「い、いま! いま! おはなし、したい……です……」

 言葉の最後の方は掻き消えてしまいそうだった。

「今、ですか」

「う、うん……。だめ?」

「いいえ、構いません。というか、むしろありがたい限りですよ」

「よかった……」

 胸を撫でおろす彼の顔に髪がかかる。暗闇でも分かった。金髪だ。しかし、何処か白っぽくもある。精神が参って痩せこけただけでなく、髪が年老いたのか。

「このまま、ここで、はなしても、いい、ですか?」

 ゆっくりと言葉を紡ぐフィリップさんは恐らく、私が寒がっていることに気が付いてそう聞いてくれたのだろう。

 私は少し大仰に頷いた。

「もちろん。せっかくの夜です。星はあまり見えませんが、空気が澄んでいて実に気持ちいですしね。さあ、ええと……どこかに座りますか?」

 彼は嬉しそうに歯を見せて笑うと、短く刈られた草の上にちょこんと座った。膝を抱えて空を見る彼の体躯は小柄だ。やはり、少年にしか見えない。背丈はそれなりにあるようだが、か弱く見える。

 口ぶりだって、そうだ。

「それで、たんていさん、なにをはなせばいいですか?」

 たどたどしく舌足らずで、まるで言葉を覚えたての子供のよう。

 ──心を壊したその時、彼の時間は止まってしまったのだな。

 彼の隣に腰を下ろすと、まずは軽い話題から選んで言った。

「幼い頃のことを、覚えていますか? 食べたり遊んだり……。私は王都の傍の街出身なのですが、親に学業を押し付けられて、中々遊ぶ機会がなくて。それはそれで大切にされていた証ですけれどね。でも、こうしてカルーナ村のような長閑な土地に生まれるのも、羨ましいものです」

 えへへ、とフィリップさんが笑う。頬を右手人差し指で掻きながら、実に照れくさそうだ。

「うん……。このむら、すごくたのしいよ。しぜんがいっぱい」

「何をして遊んでいたの? 聞いた話では、森へ入ることが多かったとか」

 当時、夜に森を捜索しようという時に子供を連れて行った理由は、エカテリゼが行きそうな場所を、つまりは普段森で遊ぶとき何処に行くかを知っているからだ。

 それを聞ければ、明日以降、私自ら森へ入って捜査をする際にも役立つかもしれない。

「えっとね、ゆきがふったひは、ゆきだまをなげたり、おしろをつくったりするの!」

 こんくらい大きなお城だよ、と。フィリップさんが身振り手振りで教えてくれる。

 精神を病んでいるというよりは、子供返りを起こしている……。しかし、癇癪を起すような気配はない。礼儀もなっている。

「雪は真っ白で綺麗ですからね。それで作ったお城は、きっと立派で美しいのでしょう。ぜひ見てみたいものです」

 こちらの語る内容を理解していることから察するに、脳はちゃんと成長している。言葉を覚えている。

 事件に心を痛め、何らかの理由で現実を拒んだ。大人にならないようにと。

 もちろん深い理由などない可能性もあるけれど。

「うん、きれいなんだよ。……でもね、いっかいだけ、いっかいだけ、きれいじゃ、なかったんだよ」

 それは凛然とした声だった。

「と、いうと? 白くはなかったという意味ですか?」

 自然とこちらも手に持った手帳に力が入る。ページは開いていないが、いつでも書けるようにと意識を寄越しておく。

「あかだよ」

 あか、あか、あか……赤。血の赤か。

「ねえ、たんていさん……ううん、エリックさん。そうさ、やめるつもりは、ないの?」

「──ありません」

 雲が動き、一瞬、月が顔を出した。あまりにも弱々しい月光ではあったが、それがお互いの顔を照らし出す。

 ロウソクの灯りよりも弱い光を受けたフィリップさんの表情はまるでこちらの覚悟を試すかのよう。

 幼子じゃない。少年じゃない。大人でもない。

 彼の精神の在りようの複雑さが伺える。

「絶対に、諦めません。それが探偵の仕事ですから」

 だからこちらも、真っすぐに見つめ返して答える。

 無意識のうちに、拳を握っていた。爪が肉に食い込む。相手は自分よりも若いというのに、少しだけ怖気づいていた。

「…………」

「…………」

 両者、何も言わず。

 空が動き、またしても雲に姿を隠してもらう月。

「…………そっか」

 何処か嬉しそうな、悲しそうな。

「じゃあ、おしえてあげる」

 口の端をわずかに緩めたフィリップさんは、親友に秘密を教えてあげる子供のようで、無邪気さを取り戻しているように見えた。

「しろはね、あかを、かくしてくれるの」

 質問を挟ませてくれる雰囲気ではなかった。

「エカテリゼはね、きれいなおんなのこだよ。でもね、しろのしたには、あかがあるんだよ」

 美しさの白。血塗れの赤。

 その対比の意味すら、比喩の意味すら、明確には教えてくれない。

「ゆきのひだったよ。ふぶきのひだったよ。ぼくたちは、あそびにでかけなかったよ。ゆきだまはなげなかった。おしろはつくらなかった」

 淡々と語る彼の表情は、もう見えない。

「ぼくたちはあかをかくすの。きれいじゃないから、かくすの。みんなやさしいから、かくすの」

 赤を、隠す。その意味するところを掴めれば、事件は終わるだろうか。

「えだが、おとされて。ないふが、のどをきずつける。あかが、あかをうんだの。だれも、そうなるなんて、おもっていなかった……」

 フィリップさんが立ち上がる。細い足で、確かに緑を踏んで立っている。

「エカテリゼは、どうおもったかな」

 目の前の少年は、何を何処まで知っている?

 もしや、全てを知っているのか?

 だが、今日という日まで心を痛め続けて来た彼が犯人とは……。

「ううん、エカテリゼは、いつも、わらっていた……。きっといまも、おそらで、わらっているんだよね」

 お空で。

 ──エカテリゼはやはり、死んでいるのか。

 遺体が見つからなかったことから一縷の望みがあると考えてはいたが、甘かったか。

「たのしそうに、あはは、あははって、わらっている……。ねえ、エカテリゼ、ぼくのこと、みてる?」

 もはや彼の語る内容が読めない。

 しかし重要参考人であり、もしかすると容疑者かもしれないとは分かる。

「フィリップさん。現状では貴方を拘束するわけにはいきません。証拠がありませんから。しかし、貴方の発言はどうやら重要なようです。もっと詳しく、聞かせていただけますね?」

「…………ぼく、うそはいえないよ。でも、ほんとうもいえないよ」

「それはどういう意味ですか」

「ぼく、ひんとしか、いえないの」

「今語ったことが、そのヒントとやらだったと?」

 こくり。フィリップさんが顔にかかった金髪を耳にかけ直しながら、柔らかく笑う。

「ごめんなさい。でも、いえないよ」

「それは、何故ですか。誰かを庇っているのですか」

「……ねえ、たんていさん。かみさまって、いるとおもう?」

「唐突ですね」

「うんめいが、あるならね。ぼくは、いまだとおもうよ。わるいことをしたら、ばつをうけるの。エカテリゼにおきたことが、ばつかどうか、わからないけどね」

 ──エカテリゼは、何らかの罪の制裁を受けた?

 ──四肢欠損は、強い殺意の表れではなく、制裁の結果だった?

一歩、フィリップさんが後ろへ下がる。

「やっぱり、にげられないね、ごまかせないね」

「それは、どういう」

 言いながら、ようやく強張る身体で立ち上がる。

 私と彼の視線の高さが同じになっても、やはりその真意は眼からは読めない。もう少し手掛かりがあれば、灯りがあれば、奥まで見えただろうか。

「でも、ぜんぶはね、たんていさん、しだい、だよ」

「私次第、ですか。それは私の捜査の進展、つまりは犯人を見つけられるか次第だと?」

「うん。だからね、もし、もし、うんめいが、ゆるすなら……」

「許すなら?」

「あした、きてね」

 それだけ言うと、彼は走って立ち去ってしまった。

「追いかけるべきか……?」

 彼の消えた方向に腕を伸ばし呆気に取られながら考える。

 彼の家の場所は分かっているのだし、車がない以上、村から逃げ去る手段はない。幸いここは田舎だ。歩きは無理。

「彼に逃走の意志はなさそうだったし、もう遅い時間だ、日が昇ったらすぐに伺おう……」

 ラース村長の家目掛けて歩き出す。人の姿は一つもなく、家々からは温かな光が漏れていた。

 家の群れの奥には果てしなく広がる森がぽつんと。

「……エカテリゼは、今、どこにいるんだ?」

 見つからなかった犯人と、遺体。

 白が隠した、赤。

「雪の底に、埋めた……?」

 だとしても警察が何らかの痕跡を見つけただろう。掘られた土、不自然な雪、スコップなんかもそうだ。

「心を痛めている人だからと、つい優しく接してしまったけれど。明日は、覚悟を決めて会いに行かなければ……」

 家へ戻れば、ラース村長が夕食を作り終えたところだった。

 今夜の食事はラプスカウス。ポテト、ニンジン、豚肉を角切りにして粘度あるスープ状に煮込んだ家庭料理だ。湯気が立ち上る光景だけでも、冷えた心と身体がほぐれていく。

「さあ、食べましょう」

「はい。実に美味しそうですね」

「でしょう? 俺の得意料理なんですよ」

 自慢げに笑うラース村長に、「先ほどフィリップさんにお会いしまして。なんだか意味ありげなことを言われたんですが……」とは言えない。誰を警戒すべきかよく分かっていない現状だ。ひとまずは、先ほどのことは秘密でいいだろう。

「では、どうぞお食べくださいな」

「ええ、ありがとうございます」

 十四年半前の二月。

 一家団欒の雰囲気のこの家にアンナさんは現れ、捜索が始められた。

 当時の様子を思い浮かべながら、私はハンセン家で食事をした。


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