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婚約破棄騒動からしばらくーー。
コンコン。ーーカチャ。
「ジャスミンお嬢様。時間でございます。....まだお休みですか?」
ジャスミンの私室の白いドアをノックして入ってきたのは、侍女 リリア・ノースラント。
リーフェント公爵家で働く使用人の娘だったリリアはジャスミンが生まれた時から遊び相手としてそばに居た。成人してからは、ジャスミンの侍女として働き、今では彼女の全ての手伝いを任されていた。
そばかすの散った色白の肌にクリッとした大きな目、二つのお団子ヘアーがトレードマークのリリアは二十九歳だ。
サァーとベージュのカーテンを両側へ引いて、先ほどまで隙間から漏れていた朝の光が、部屋全体を照らし出した。
ホワイトウッドの可愛らしい彫刻を施された机と、ソファ。毛足の長いふかふかのベージュの絨毯。あとはジャスミンが眠るキングサイズの大きなベッド。
部屋に置いてある家具は少なく、至ってシンプルだった。
「.....お嬢様?」
ジャスミンは朝に強く早起きだ。
普段なら、リリアが部屋を訪ねてくる前に目を覚まし、ベッドの背もたれに身体を預けて本を読んでいる頃なのに。
ベッドを凝視して、リリアが訝しむ声をかける。
掛け布団の真ん中がもっこりと膨らんでいるのに、もそりと動く様子もない。.....何かがおかしい。
「.....失礼しますね?」
カーテンから離れ、静かにベッドサイドへ歩み寄ったリリアはサッと布団を剥いだ。
「.....きゃあーーー!!」
途端、リリアが叫び声を上げた。
ただならぬ声に、父・トリスと母・ミルラ、リーフェント公爵家で働く使用人達がゾロゾロと集まった。
何事かとジャスミンの私室に勢いよく駆け込んできた皆は、震えるリリアから信じられない言葉を聞かされる。
「....お、お嬢様が....お嬢様が!おられません!!」
「なっ、な、なんだと!?」
両親の顔からは血の気がサァッと引き、青ざめた。
急いで部屋の中を見回し確かに娘の姿がないことを確かめると、白い机の上に一枚の紙を見つける。
『
お父様、お母様。
ーー我儘をお許し下さい。
色々と思うことがあり、少し自分を
見つめ直す時間が欲しいのでございます。
嫁入り前の娘が一人で旅に出るなど
許されないことだと重々承知しております。
お怒りもご心配も尤もですが、
どうか私に時間を下さいませ。
必ず戻ります。
リリア、突然ごめんなさいね。
帰ったら説明させてちょうだい。
ジャスミン・リーフェント
』
「.....ひっ」
「.....ジャスミンっ」
「なんてことを.....!」
覗き込む様に皆が一斉に置き手紙を読んで、リリアは小さな悲鳴をあげ、母・ミルラはがたりと足元から崩れた。
父・トリスは怒りか心配か、身体を小刻みに震わせながら言葉を漏らしていた。
*****
「お嬢様、いつ頃お戻りになるのでしょうか」
パタパタとはたきで埃を払いながら、侍女のリリアが漏らした。
「.....わからないわ。でも信じて待ちましょう。あれから必死であの子を探したけれど、港で足取りがパタリと消えていたのだから」
ミルラは悲痛な面持ちで、自身に言い聞かせるように言った。
ジャスミンが家を出てから、十日が経とうとしていた。未だに彼女は戻らず、連絡もない。
置き手紙を見つけてからすぐに人を手配し、大勢で捜索した。結果、彼女がモーリャント王国いち栄える港に向かったという情報までは掴めたが、何故かそこからパタリとジャスミンの痕跡が消えていた。
船に乗り国を出たとしても何かしら痕跡が残るはず。
それが綺麗さっぱり残っていないのだからどうしようもない。
犯罪に巻き込まれた気配はなく、トリスの指示で一旦様子を見ることになったのだ。
だが、心配は尽きない。あれからずっと屋敷全体にどんよりした空気が満ちていた。
そしてこの日、さらなる現実が追い討ちをかけるーー。
大きな足音がドカドカとすごい速さでトリスの執務室へ近づいてきたのだ。
「旦那様!」
「.....何だ、騒がしい」
飛び込む勢いで足を踏み入れたのは、家令のケインだった。力無く答えたトリスは視線を俯けたまま、声だけで返した。
「至急、王城へ。国王から呼び出しです。緊急事態だと.....!」
「.....なに?」
未だ力の入らぬ身体をゆっくり動かして、トリスはケインの抱える“赤い封筒“を見遣った。




