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ーーリーフェント公爵家を出て数時間後。ユービィスト王国へ発つ前の出来事。ーー
私にとって、公爵令嬢が護衛もつけずに一人旅をする危険性も、両親が探しに来るだろうことも想定内だった。
だから、旅に出る前に店に立ち寄った。
モーリャント王国の港近くの暗く不気味な路地の奥に、『魔法使いの老婆が店を構えている』という噂。
以前からまことしやかに囁かれていたそれを信じて、あるものを買いにーー。
ものが溢れかえる薄暗い店内に一歩入れば、気づくと目の前に私をじっと見つめるローブを目深に被った人物が居た。一瞬明かりに照らされた顔には濃い紫の双眸がギラリと光り、ニタァと笑みを深めた。
「ほう。お前さん、いい目をしてるね」
「.....目?」
第一声がそんな言葉で、私は首を傾げた。
「何だい、気づいてないのかい。.....じゃ、忘れておくれ」
「............?」
戸惑いながら頷くと、老婆は店の奥へ行きまたすぐこちらに戻ってきた。手にはピンク色の液体が入った小さな小瓶を持っている。
「はいよ。うちは品揃えが豊富だから、色々な種族を取り揃えてるんだが。お前さんは狼獣人にしときな」
驚いた。まだ何も言っていないのに、私が何を買い求めに来ているのかこのおばあさんは見抜いていた。
私は金貨と引き換えにその『魔法薬』を受け取った。
「効果は10日間。飲んだ瞬間から効果を発揮する。これで他者から見たお前さんの容姿はどこからどう見ても狼獣人だ。もちろん、幻視魔法の類だから本当に姿かたちが変わるわけじゃない。.....ああ、ついでに視力矯正の魔法もかけておいたから、10日間は眼鏡なしで過ごせるはずさ。眼鏡でバレちまったら、たまったもんじゃないからね」
「.....っ、ありがとうございます!」
なんと便利なのだろう。
別人になれればあらゆる危険も回避できるし、探しにきた者に連れ戻されもしない。
地味だと言われる容姿で色々言われることもない。他者の視線を忘れて旅に集中できる。
まさに私の希望通りだった。
「お待ちよ!....人の話は最後まで聞くものだよ」
「..............」
そのまま店を出ようとする私を老婆は引きとめて低い声で注意を促した。
「.....この薬も万能じゃなくてね。瞳の色と自身の『におい』は誤魔化せない」
「瞳の色と『におい』.....」
「ああ。瞳は元来その人のもつ生命力が集中する場所でね。どんな上流魔法使いがかけても、幻視魔法の類は効かない場所なんだ。.....『におい』はそもそも幻視の範囲を外れる」
確かに。嗅覚は視覚とは別物だ。
「.....『におい』を誤魔化せないと何か不都合がありますか?」
人間の私は、人のにおいなんてそんなに意識したことがない。汗の香りならわかるが。獣達の嗅覚は人間の比でないと聞く。
「......まぁ、相手は獣人たちだからね。でも」
「...................?」
そこで一旦切った老婆は、何かを企む笑みを浮かべる。
「......不都合はない。お前さんにはね。.......長く生きた老婆のお節介だ。聞くも聞かぬもお前さん次第だよ。どうしても気になるなら、『におい』を変える薬もないことはない」
「......じゃあ、このまま行きます」
「くくくっ......素直な子は嫌いじゃないよ」
「ありがとう、お婆さん」
そして隣国への船に乗り込む直前、私はその『魔法薬』を口にしたーー。




