5 パープルサファイア
すっきりと澄んだ青色が、どこまでも続いていく。
雲ひとつなく晴れ渡る空も、燦々と降り注ぐ太陽も。この良き日を心から祝福してくれていた。
集まった参列者達は、皆、優しげな笑みを浮かべている。
「だめだ」
「.....フェンリル様」
「.....だめだ、だめだ。絶対、だめだ」
「............」
「うっ....」
そんな中、めでたい日の真っ青な空を、まだ眺められない者がいた。
繊細で上品なベール。
ひと針ずつ丁寧に刺された、ジャスミンの花と狼の刺繍がスカートを彩るウェディングドレス。
花婿が花嫁へ贈ったパープルサファイアのネックレス。
そして、結い上げた黒く艶のある髪を飾る、瑞々しいジャスミンの生花。
花嫁のチャームポイントである眼鏡も、今日は特別仕様だ。細く優美なフォルムで、ドレスやベールに合うものをつくった。
そのひとつひとつが、今日改めて愛する人と結婚式を迎えるジャスミン・ウィルフォードを、一際美しく煌びやかに包んでいた。
彼女の目の前に立つフェンリルは、質の良い艶のある生地で誂えたタキシード。胸元にはもちろん、花嫁とお揃いのジャスミンの花が挿してある。
晴れ舞台のために磨き上げられた耳や尻尾は、銀の艶々の毛並みがより一層輝きを放っていた。
その顔立ちも逞しい体躯も相まって、とにかく全てが麗しい。幾度となく花嫁の口からうっとりとしたため息が漏れている。
けれど、彼の表情は何かに葛藤している様子だ。
愛する番であり、今日の主役の妻が、あまりに美しすぎてーー。
「君が....」
「.........?」
「君が.....っ、美しすぎるのがいけない」
「........っ」
「そんな綺麗な姿で、俺以外に笑顔を向けるなんて許せない。
着飾るのは、俺の前だけにしてほしい。
だめだ、だめだ。
.....君を誰の目にも触れさせたくない!」
妻への独占欲が溢れて止まらないのだ。
そろそろ時間だというのに、折れない夫と先ほどから不毛なやりとりが続いていた。
ほとほと手を焼いて困っているジャスミンだが、それでも、駄々をこねる夫を可愛いと思ってしまっているあたり、自分も同類かもしれない.....。
そう思ってしまった。
「.........ふぅ」
「............」
妻が息を吐いた気配に、ピクリと大きな身体を揺らす。彼女の反応を恐れ、せっかく整えられた耳は無意識にぺたんと寝て、尻尾は垂れ下がっていた。
自分がどれほど無茶なことを言っているのか、フェンリル自身、十分わかっている。
それでも....
不安なのだ。
人間のジャスミンは、『番』がわからない。
彼女も自分を好いてはくれているが、きっと想いの強さや執着心でいえば、自分の方がよっぽど上だ。
限界などないほど、日毎、彼女への想いは膨れていくのだから。
狼獣人が番を見つけたら、生涯その番だけを愛する。当然、自分は彼女以外視界に入らないし、彼女以外欲しいとも思わない。
だが、ジャスミンは.....。
そう思うと、居ても立っても居られなくなる。
例え、ただ参列者への感謝を述べているだけだとしても、きっと自分は耐えられない。ましてや、この美しい姿で。
妻の瞳に他のものが映るだけで、大きな不安や嫉妬に駆られて、どうしようもないのだ。
「....フェンリル様?」
「.....ん?」
意外にもかけられた声音は、怒りや呆れを含んでいない。それどころか、丸みを帯びた優しいものだった。
おそるおそる顔を上げると、目尻は垂れて、ラベンダー色の瞳をたたえた目は愛らしく細められていた。
「.....これ」
チャリ。と微かな金属音を響かせて、彼女がそっと前に差し出したもの。贈った日から毎日彼女の首元で、輝くパープルサファイアだった。
「フェンリル様が、私の瞳みたいだと贈ってくれたネックレス....」
「.....ああ。とても似合っている。今日のドレス姿にも相応しい」
フェンリルも、ふっと顔を綻ばせた。
ジャスミンは彼の銀の瞳を見つめて、心を伝えていく。
「これも、あなたが贈って下さった日から、私の宝物です」
「宝物.....?」
「ええ。あなたは出会ってからずっとーー
私に、沢山の宝物をくれます。
いつも私が、あなたの真っ直ぐな言葉や視点、行動にどれだけ救われているか。きっとあなたは知らないでしょう?」
「俺が.....?」
ジャスミンは、コクリと深く頷く。
フェンリルの手を取り、そっと自らのあたたかな心音が響く場所へと導いた。
「あなたにもらったものは、全て。私のここにありますわ」
「............」
「大切にしまって....
時折思い出しては、私の全身をあたためる。
きっと、これからの人生ずっと」
「..........っ」
フェンリルが息を呑んだ気配がした。
「あなたが大好きですわ、フェンリル様。
人間の私は、獣人のあなたの気持ちを汲み取れない時があるかもしれません。
けれど、そんな時は教えてほしいの。
あなたの気持ちは、どんな気持ちでも
私にとって宝物だから」
「ジャスミン....」
彼女の笑顔は、春の陽光のようだ。
あたたかくて、
どんなフェンリルでもふわりと包み込んでくれる。
「不安、なんだ....。君が他の者を、好きになって、しまわないかと.....」
言いながら、自分の余裕のなさに呆れ返る。
だが、彼女は変わらず柔らかく笑っていた。
「フェンリル様」
「............」
「パープルサファイアの石言葉があるのをご存知ですか?」
「.....いや」
「初恋の思い出」
「初恋の....思い出?」
「ええ。
知ってましたか?
フェンリル様は、私の.....初恋なのです」
「え.....だ、だが....
君は婚約者が、いたんだろう?」
そう。テリウェルがリーフェント家へやって来た日言っていた。
テリウェルの甥・コーネルとジャスミンが婚約していたと。
適齢期の貴族の娘だ。少し考えればわかることなのに、彼女に夢中で、目まぐるしく変わる状況や感情にのまれて。その日まで他の者と婚約していた過去に、思い至っていなかった。
それを知ってから、フェンリルを不安が襲った。
過去のことなのだからと流せればいいのだが、どうしても、彼女の気持ちが昔、自分以外の男にあったかもしれない事実が、脳裏をちらつく。
と、間を置かず、彼女は答えた。
「いいえ。私の初恋はあなたですわ」
「本当に.....?」
「はい。そして、きっと....。いいえ、絶対に」
ーーこれが、私にとって最初で最後の恋なのです。
「.....最初で最後の恋....?」
コクリとまた頷いた。
その顔は誰が見ても、目一杯の幸せに包まれている。
「確かに、私は獣人ではありません。
でも....
当然ながら人間にも、色々な方がおられるのです。
私の、あなたへの恋心はとーっても!」
ーー重いのですわ!
「見くびってもらっては、困ります!」
次の瞬間には人差し指を立てて、少しムッと唇を突き出して強く主張する姿を見て、フェンリルの心に熱いものが込み上げる。
「....だからね。私にピッタリだと思いません?」
「..........?」
「あなたの贈り物のセンスが、素晴らしいって話です。
このパープルサファイア.....
あなたの仰る通り、
ラベンダー色の瞳で植物が好きな私に、
色も形もピッタリですしーー
『初恋の思い出』だなんて。
ずっと、ずっと。この先の人生、ずーっと....
あなたへの重い初恋を、育み続ける私に
石言葉まで、ぴったりだなぁって....
そう思うのです」
ふふ、と頬を染めて照れくさそうにはにかむジャスミンは、凶悪なまでに可愛かった。
「ジャスミン.....っ」
「フェンリル、様....」
暴れ出す本能のまま、抱きすくめそうになって、何とか思いとどまる。そっと、髪やドレスを崩さぬよう配慮しながら、柔らかな唇に己のものを重ねる。
うっとりと受け入れてくれる番への愛が、また溢れる。
「だから....安心して下さいませ。
私は、あなた以外、見えませんわ。
それに、私は大好きなあなたと結婚式がしたいです。
以前は....番の方がいずれ戻ることを考えて、控えた方がいいと思っていましたから」
「ああ。そうだな。では行こう」
「ええ!嬉しいです」
「可愛い....。愛している、ジャスミン。
二人きりになったら....沢山君をーー」
耳にぽそりと吹き込まれた言葉。
ジャスミンの顔がカァと真っ赤に染まって、目が潤む。
彼女は恥ずかしさで言葉にできず、そっと首を縦に振った。




