7 あふれた想い②
◇◆
ーーその夜。
「眠れない。今夜は冷えるわね。昼間は暖かかったのに。....植物の様子でも見に行こうかしら」
ぐるぐると昼間の出来事を思い返していたら、目が冴えて眠れなくなった。
ベッドから起き上がり、寝衣の上から分厚めの羽織を着て、合わせ目をきゅっと締める。
そうして、ランタンを手に部屋を出た。
夜の庭は薄暗い。手に持った淡い明かりが足元を照らしてくれる。
使用人たちは仕事を終え、すでに休んでいる頃。あたりはシンと静かだった。
遠くの門に、門番の小さな人影が見えた。
屋敷の裏側に回って、花壇へと向かう。
「誰だ」
「きゃっ」
角を曲がろうとした所で大きな影が前に立ちはだかった。思わず小さな悲鳴をあげる。
「ジャスミン?」
「フェンリル様....」
トンと優しく両肩を掴まれ衝突は避けられた。
至近距離にある影を見上げれば、昼間お会いしてからお顔を拝見していなかったフェンリル様が立っていた。
今帰宅したのか、まだ騎士服を着ている。
「驚かせてすまなかった。足音がしたから侵入者かと」
「いえ、大丈夫ですわ。....おかえりなさいませ」
昼間は気まずくわかれた。もしかすると、まだ怒っていらっしゃるかもと彼の顔色をうかがうも、普段と変わらなかった。
気にしすぎていたかもしれない。
「ただいま。ところで、どうしたんだ?こんな時間に。眠れないのか?」
「ええ、少し.....。それに、今夜は冷えますし。花壇が心配で」
「うむ。俺も一緒に行こう」
「そんな。やっとお仕事を終えられたのでしょう? せっかくの余暇時間に申し訳ないですわ」
当然のように横に並ぶ彼に、丁重に断りをいれる。ずっと忙しくしているのだ。ゆっくりして欲しい。
「君と居る方が癒される」
だが、彼は優しく笑ってなんてことない風にサラリと言った。それがどれほど私を喜ばせるかも知らないで。
「そう、ですか....」
「ああ」
公爵家の庭は広い。花壇までの道のりを二人並んで、会話しながらのんびり歩く。
「昼間は....すまなかった。怖がらせただろう? その場で謝れば良かったんだが、少し冷静になりたくてな。夕食も、ひとりにして申し訳なかった」
唐突に謝られて目を丸くする。
「いいえ.....っ、そんな、私が失礼なことをしたから」
「違う。あれは本当に、君が悪いんじゃないんだ。ただ....俺が狭量だっただけだ」
「......?、は、はい」
どういう意味だろうと首を傾げた時、その場を風が吹き抜けた。
「寒くないか?」
夜の冷えた空気にほんの僅かに身を震わせたのを目に留めて、フェンリル様が自身の上着をかけてくれた。
「ありがとうございます」
「いや」
と、それから動かず、シルバーの瞳がじっと私を貫いた。
「......?」
「君は小さいな。俺の上着にすっぽりおさまって。....とても可愛らしい」
柔らかな目つきで言った声が、妙に甘く響いた。
まただ。彼の言葉はいつでも私を乱す。
それにしたって、今日は特にだ。
可愛らしい、だなんて。
「フェンリル様が....大きくていらっしゃるんですわ」
「ふっ....ああ。そうだな」
勘違いしてはいけない。
彼には愛する番が居る。
だからーー
これ以上、優しくしないで。
◇
花壇を確認してから、また屋敷までの道のりを歩き始めた。
しかし、そんなに歩かないうちに彼が不意に立ち止まる。
「寄り道して行かないか?」
「寄り道、ですか?」
「ああ。こっち」
言って、彼はそっと私の手を握った。
「もっと暗くなるから、転ぶといけない。少しだけ我慢してくれ」
「い、いえ。お気遣い、ありがとうございます」
私の手を引いて屋敷とは反対側へ向かっていく。
「どちらへ?」
「俺の秘密の場所」
「秘密の....」
イタズラに言う彼は、なんだが楽しそうだ。
黙ってついていくと、大きな木が目隠しになって隠れた位置に、鍵のかかった鉄扉がひとつあった。
「これは....?」
「くくっ、知らなかっただろ?」
おもむろにポケットから鍵を取り出してカチャリと回していく。「サイラスには、内緒だ」と指を唇にあてた。
どうやら普段つかってはいけない扉らしい。
サイラスごめんなさいと心の中で謝りながら、好奇心は抑えられなかった。
「足元に気をつけて」
「はい」
ギィ、と錆びついた音を鳴らして開いた扉をくぐる。
屋敷の整えられた庭とはガラリと雰囲気が変わって、自然のままの芝をサクッサクッと踏みしめて進んでいく。
両サイドに生えた木々の葉が、微かな光も覆い隠して、より薄暗さが増していた。
どのくらい歩いただろうか。
「もう着くから。.....ほら」
ーー着いた。前を向いて?
「え?」
足を掬われないよう注視していたら、顔を俯けていたらしい。フェンリル様の声に、ゆっくり顔を上向けた。
「....わぁ」
大きく目を見開いた。口から感嘆の声と息が漏れて、それ以上何も言葉にならない。
いつのまにか、見晴らし台のように張り出した丘に立っていた。真っ直ぐに見える景色は高台の美しい景色。
眠らない街の明かりとーー
相反する暗さに浮かび上がる満月とキラキラ輝く星。
まるでーー
ダンスの夜、フェンリル様と見た星空みたい。
「綺麗だろう?」
「....はい」
胸がいっぱいで、深く頷くしかできない。
でも私の表情から察してくれたのだろう。
フェンリル様は嬉しそうに笑った。
「少し座ろう。ほら、ここに」
どこから出したのか、二人が座れるほどの敷物をその場に広げてくれた。
二人で腰を下ろして、じっと夜の景色を眺めた。
言葉はいらなかった。
どちらからともなく黙ってーー
そして、そっと肩を抱き寄せられた。
「ジャスミン」
「フェンリル、様....」
声の甘さにあらがえなくて、
緩慢な動きで彼の瞳に視線を滑らせていく。
至近距離で交わった銀の瞳が
ゆっくりとーー
視界いっぱいに広がって、見えなくなった。
温かな感触が伝わる直前....まるでそうすることが自然なように、滑らかな動きで私の唇は言葉を紡いだ。
大きく膨れた彼への気持ちと、あの日を彷彿とさせる景色を前に、脳のリミッターは完全に外れていた。
「好き....」
聞き取れるか曖昧なほど小さな声は、重なった体温に言葉ごと呑み込まれた。
唇が離れたあと、私の身体を包み込んだ逞しい腕に安心して、私はそっと目を閉じた。
「.....眠い?」
ぼんやりした頭で彼の声を拾った気がするが、返事はできなかった。
ーー可愛いな。俺も好きだよ、ジャスミン.....
眠りに落ちていく意識のなかで、自分にとって都合のいい.....夢でも見ているような言葉を聞いていた。




