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「だめだわ。どうしてかしら.....?」
私は、一人きりの庭で花壇と睨めっこしながら頭を抱えていた。
リリアには先ほど、急ぎ追加の肥料を購入してきてもらうようお使いを頼んだ。
焦りと困惑。そして、迷路に迷い込んで出口の見えない感覚。様々な気持ちが入り乱れて、朝からずっと悄然としている。
うまく根付いてくれたと思っていた植物たち。これから大切な役目を担うはずのハーブたちが、ここ二、三日元気がない。
水や肥料の量、気温、隣り合う植物との相性。色々考えて試行錯誤してみた。
屋敷の庭師にもみてもらい、もらったアドバイスも実践してみた。が、全く改善が見られない。
むしろ、更に葉が萎れてきたような気がして。このままいけば、枯れてしまうのではと気が気ではない。
「ねえ....何が原因なの.....?」
必死に糸口を探るためパラパラとめくって猛スピードで再読していた分厚い図鑑を閉じる。
藁にも縋る思いで、指先でそっと葉を撫でた。
「教えてくれなきゃ、わからないわ.....お願いよ」
呟いて、地面に視線を落とす。
『.....いまは、いらない』
「.....え?」
ーーまたあの時の感覚。
指先から脳に真っ直ぐ響く声。
もちろん辺りには誰もいない。
「まさか....あなた、なの?」
そんなわけがないと思いつつ。もう一度、葉に指を滑らせる。
『いまは、なにもいらないの』
「っ、やっぱり....あなたの声なのね?」
『...........』
確認への返答はない。諦めず語りかける。
「何も手を出さないでってことかしら?」
『ただ、ねむらせて。そしたら、はがうまれかわるから.....』
「そうすれば、あなたたちは元気になるのね?」
『..........』
それから返事はなかった。
ーー試してみようと思った。
おかしいかもしれない。でも、どういうわけか不思議な声は植物の声だと確信がもてた。
私は追加で与えようとしていた肥料を中止して、水も枯れない最低限の量に減らし、そっと見守った。
それこそ、見るからに元気をなくしていった日数分、同じだけ待った。
すると、そっくりそのまま二、三日で息を吹き返すようにハーブたちの葉の色が青みを帯びてきて、ピンと張りを取り戻した。
それどころか、以前はなかった産毛が葉の表面にふわふわと生え、葉の厚みも増した。
「すごいわ....」
間違いない。『彼らの』声に従ったら、再び元気になった。
自分の手をまじまじと見つめる。
私は触れた植物の声が聞こえるらしい。
「目....」
今度は目元に指先を這わせた。
『お前さん、いい目をしてるね』
『何だい、気づいてないのかい』
耳の奥で、港で魔法薬を買った老婆の声がした。
「このことだったのね....」
昔から『紫眼』は魔力持ちだという云い伝えがある。どこまで信憑性があるものなのか。正直、ただの迷信だと思っていた。
自国ではこの瞳の色は珍しく、私より淡い色合いの父以外居なかったと理解しているくらい。
今までの人生で『力』を感じたことなんてなかったし、周囲だって瞳の色など気にしていなかった。
けれどーー。
港で会った老婆の瞳は、濃い紫色をしていた。
今回のことを鑑みれば、老婆ほど魔力は強くないものの、私の身体にもほんの僅かながら魔力が宿っていたのだろう。
窮地に追い込まれて目覚めたのか。植物の声を聞けるだけでも、私にとっては有難い。
いや、いっそ一番重宝する力だった。
「とにかく良かったわ、また元気になってくれて。もし必要なものがあったら教えてちょうだいね?」
『ふふふ....』
涼やかな笑い声が聞こえた。
◇
ジャスミンは今日も庭で花壇の手入れをしている。
その姿を見ながら、深い安息感に包まれる。
時折、眼鏡越しにラベンダーの瞳と目があって。照れたように笑んで、そっと視線を戻す。そんな仕草にも、ほうっと心が蕩ける。
彼女の侍女・リリアが、俺が現れる度にサイラスと同じ顔をして、まるで残念なものでも見る目を向けてくるのは納得いかないが。
ここに来ることはやめられそうもない。
やめたいとも思わない。
「フェンリル様?まだお時間は大丈夫なのですか?」
ああ、この声。
天使が歌うようにふんわりと軽く、耳を撫でていく。
「んー....もう少しだけ」
頬杖をついて、またじっと彼女を見つめる。
離れがたくなって、疲れた時に顔が見たくなって、姿が見えないと探してしまう。
先日贈ったネックレスが、毎日彼女の首元で煌めくのを見て、頬が緩む。
楚々とした笑みを浮かべて頷いたジャスミンだけが、俺の視界を埋め尽くしていく。
「あったかいな」
「ええ。清々しい陽気ですわね」
俺が言った意味を、天気の話だと思い込む様子に癒される。ジャスミンのことを言ったのに。
記憶を封じられてからも、一度番を認識した心と身体は正直だった。
思い出せないのに心は凍えて、寂しさと喪失感に襲われる。本音を言うと、生きていることさえ辛かった。
それが彼女と出会って、懐かしさを覚え、不思議な気持ちを抱いた。
お茶や気遣いのおかげで体調は上向きになり。彼女の穏やかな空気が、心をあたためてくれた。
「今日は肥料はやらないのか?」
「はい。この子達はあまり肥料は必要ないそうです」
「....そうか。確かに水だけでも元気だな」
「そうなのです。今は、水とたっぷりのお日様の光が必要なのです。もうすぐ最後の仕上げの時期がやってくるので、その時に肥料を沢山与えて欲しいそうですわ」
「うむ。なるほど」
植物のこととなると目を輝かせて生き生きと話す姿にも、笑みが溢れる。
話口調が、まるで植物たちと会話しているようなのも愛らしくて.....、とそこまで考えてハタと動きを止める。
愛らしい....? 俺は首を捻った。
「フェンリル様?どうかされました?」
「あ、ああ。何でもない」
「そうですか」
俺を気にかけるジャスミンの声に思考は霧散して、彼女を見遣る。
と、優しく表情を和らげた彼女の頬に、土がついていることに気がついた。
他の者なら声をかけるだけだ。決して手が伸びたりしないのにーー。
どうしたことか、無意識に手がスッと。彼女の白く柔らかな頬に触れて....指が滑らかな肌をすべっていた。
「.........っ」
瞬間、ジャスミンがビクッと全身を硬直させたのを感じて、パッと手を離した。
「す、すまな....、っ」
反射的に、無断で触れたことを謝罪しようと口を開いた。
だがーー。
最後まで言葉を紡げなかった。
作業中いつもまとめている艶やかな黒髪からのぞく、彼女の真っ白なうなじがみるみる真っ赤に染まって。
恥ずかしそうに視線を俯けたのがわかる横顔は、頬に朱が差していってーー。
俺は目を瞠った。
ぶわりと全身の毛が逆立つ。
身体を流れる血液がドクドクと猛スピードで駆け巡り、カッと熱を溜めていく。
彼女から視線が外せない。
この世で一番光り輝くーー
唯一、俺のすべてを掻っ攫っていく女性。
そんな心地になって、自分の矛盾した気持ちに再び戸惑う。
どうしてだ。俺には番がいるはずなのに。
唯一を定めた俺は、他に目をくれるはずもないのに。
「ジャスミン....」
ひとりでに動いた唇が、その美しい名を紡いだ時。
「ジャスミンお嬢様」
背後から彼女を呼ぶ男性の声が聞こえた。




