7. ステファン
「早く跪けよ!!」
「私の婚約者に、何をしている?」
ふいに耳元で聞こえた声。俺の肩を抱き寄せたのは、ルーファスだった。
力強くて温かい腕に護られ、ふっと体から力が抜ける。今までもルーファスが傍にいてくれたから、俺は嘲笑の中でも堂々と立っていられた。ルーファスがいてくれたから……。
見上げると、ルーファスは眉間に皺を寄せて子爵令息を睨みつけていた。
(わっ、こ、怖いっ……)
この表情を見慣れた俺でもそう思うのだから、子爵令息は当然震えて腰を抜かしそうになる。それでも彼は口を開いた。
「この人が、僕にひどいことをしたので……」
「事実か?」
「ノエル様は丁重にご挨拶をされ、ご質問にもお答えされておりました。そちらのお方が一方的にノエル様を責め立て、罵倒なさったことが事実です」
ルーファスが後ろにいる護衛に問うと、淡々とした答えが返った。
「っ、違いますっ……その人は、国外追放された身です。あなた方は騙されているのです。婚約者とおっしゃいましたが、罪人を婚約者にするなんて……」
「誰を婚約者に選ぶかは、私が決めることだ」
敬語もなく、怒りを押し殺した低い声で言う。
俺を抱き寄せてくれる手は優しいのに、ルーファスの声だけで震えてしまいそうになる。それなのに子爵令息は、ルーファスを見つめたままで口を開いた。
「っ……僕は、親切で言っているのですよ? それにあなたには、地味なノエルじゃなくて、僕みたいな華やかな人間の方が相応しいと思いませんか?」
「大変失礼ながら、こちらのお方を皇帝陛下のご子息と承知の上で発言なさっているのですか?」
「は!? 皇帝陛下!?」
子爵令息の手がルーファスの服を掴む前に、先ほど屈んで話してくれた護衛がルーファスの前に歩み出た。
母国よりもこの帝国の方が強国だ。帝国の皇子の不興を買えばどうなるか、彼も理解したようだった。
その時、廊下の向こうから足音がした。
「すまない、待たせたな。……ノエル? 何故、ここに……」
(ステファン様……)
どうしてだろう……断罪された時とは違う、昔みたいに優しい瞳が俺に注がれる。
「ノエル……」
俺を呼ぶ声も、昔みたいに穏やかで……。
でも、視線が重なったのは一瞬だった。
目の前が暗くなり、ルーファスの手に遮られたのだと気付く。
「ノエル様。参りましょう」
「……うん」
肩を抱く力強い腕に促され、ステファン様に背を向ける。
「ノエルっ、そいつは誰だっ?」
「ステファン様っ、あの黒髪の人は皇帝陛下の子息らしくて……ノエルさんは、婚約者だと言っていました……」
「何だと……?」
二人の会話を背後に聞きながら歩き出すと、俺たちの正面から体格のいい数人の男性が現れた。
「ルーファス殿下。そちらのお二方を別の階へご案内するよう、皇妃殿下より仰せつかっております。お話はもうお済みでしょうか?」
「ああ。これだけの騒ぎを起こしたのだから、母上も見過ごすわけにはいかなかったのだな」
「なっ……僕は悪くない! あいつがっ……」
「ステファン殿のパートナーは、随分と天真爛漫なお方ですね」
ルーファスはステファン様の方を振り向き、さらりと嫌味を言った。
「いえ……その……いつもは、こうでは……」
「そうでしたか。私の最愛の婚約者を罵倒し、執拗に土下座を要求したのも、虫の居所が悪かったとでも?」
「っ……まさか、そんな……」
ステファン様の震える声が聞こえる。
ルーファスに背後から肩を押さえられていて振り向けないけど、子爵令息の驚く声と、ドサッという音がした。続いて二人の謝罪が聞こえる。
……もしかして、土下座させているのか?
「ルーファス、これ以上はっ……」
「…………………………貴方がそうおっしゃるのでしたら」
長い沈黙の後、ルーファスはいかにも渋々といったふうに了承した。そして何事もなかったかのように俺に優しく微笑んで、俺たちの席がある部屋までエスコートしてくれた。
「ルーファス、助けてくれてありがとう。本当に感謝しているよ。……ただ、彼らに土下座させたかもしれないのは、やり過ぎだったかと……」
いくらあちらに非があるとしても、ステファン様は王族だ。従者も見ている中でひれ伏させるのは、王族全体の尊厳にも関わる。
「ご心配には及びません。あの男はひれ伏しておりません。婚約者を自ら床に押さえつけて謝罪し、誠意を見せてはくださいましたが」
「……そうだったのか」
そんなことをする人だったのかと、胸が痛くなる。でも、もしかしたら、国のために謝罪と尊厳を両立させる、苦渋の選択をしたのかもしれない。
「……あの男の元に、戻りたいですか?」
「まさか。もうあの人に未練はないよ」
何故以前のように俺を見つめるのか不思議に思っただけ。俺はもう二度と、あの人を愛するつもりはない。笑ってみせると、ルーファスは安堵したように微笑んだ。
(今の俺には、ルーファスがいてくれるもんな)
俺を見つめる黒曜石の瞳。俺の名前を呼んで、頬を撫でてくれる。
「さっきの皇子らしいルーファス、頼もしかったよ」
「ありがとうございます。城下に暮らす平民同然の皇子でも、皇帝の息子には違いありませんね」
あの場で機転を利かせた護衛を暗に褒めると、タイミング良く彼がテーブルに飲み物を運んで来てくれる。
「ルーファス様ほどのお方が、ご謙遜を」
クスリとした笑いを残して、彼は部屋を出て行った。
(十三番目の皇子でも、母方の権力が強いからなぁ……)
兄弟の中でも特別な位置にいたのではないだろうか。祖母が元王女なら、ルーファス自身も人の上に立つ教育を受けてきたのかもしれない。
やはり俺には勿体ない。そう思っていると、ルーファスはまた眉間に皺を寄せる。
「私はあの二人と、何度も顔を合わせているはずですが……?」
「今日のルーファスは印象が違うから、気付かなかったんじゃないかな? 俺でも一瞬誰か分からなかったよ」
「見惚れてくださっていましたね」
「っ……格好いいから、仕方ないと思う」
本人から言われると何だか恥ずかしくて、炭酸の弾ける飲み物に口を付けた。
「怒った顔もいつもと違って怖かったし、ルーファスに本気で怒られたら、俺も泣くかもしれないな」
「…………そのうち、泣かせて差し上げます」
「!? 怒られたいわけじゃないよ!?」
「泣くのは、怒られた時だけではないでしょう?」
「それはそうだけど……」
本気で怒られたら泣くかも、という話をしていたんだけど……珍しく噛み合わない会話に首を傾げる。でもルーファスは何故か上機嫌に見えて、嬉しそうだからいいか、と考えることを放棄した。
それからほどなくして公演が始まり、俺たちは舞台へと視線を向けた。
(ルーファスは、俺のことを離さないでいてくれた……)
この部屋に入るまで、ずっと肩を抱いていてくれた。子爵令息に見つめられても、惹かれなかった。俺のことを見つめて、微笑んでくれた。
俺の役割が悪役令息でも、ルーファスは俺の傍にいてくれた。そのことが泣きたいほどに嬉しくて、目の奥が痛む。
ルーファスが俺を大事にしてくれるから、俺はもう、大丈夫だ。
(大丈夫だから……その時になったら、解放してあげないとな……)
今度こそ間違えずに、大切な人の幸せを願いたかった。




