第七話:忘筌(ぼうせん):手段を捨て、ただ真実だけに向き合う
「驀直」の一念で、泥濘を駆け抜けた玄龍。
ついに親友・黒龍のもとへ辿り着きます。
しかし、間に合ったはずのその瞬間、玄龍が目にしたのは「救済」ではなく、純粋すぎる心がゆえの「絶望の反転」でした。
友を救いたいという一念が、修行の成果さえも忘れさせ、ただ一つの真実へと彼を突き動かします。
玄龍は泥を蹴り飛ばし、激しい雨のカーテンを強引に切り裂いて突進します。
目の前では、人間たちの強欲な刃が、尽き果てて地に伏した黒龍の鱗を今まさに切り裂こうとしていました。
修行で得た筌の形さえ、この時の玄龍からは消え去り。ただ、友を救いたい一念のみが、彼を一点へ穿つ弾丸へと変えていたのです。
「そこをどけえっ!」
放たれた凄まじい衝撃波が、黒龍を囲んでいた村人たちを木の葉のように吹き飛ばしました。ようやく、親友のすぐ傍らへ辿り着きます。
しかし――そこで玄龍が目にしたのは、安堵の表情ではありません。
泥にまみれた黒龍の瞳からは光が失せ、その体から溢れ出すどす黒い霧は、降り注ぐ雨を腐らせ、周囲の地面を無惨に枯らしていました。
「……玄。君は、いつも遅いんだ」
一粒の涙と共に漏れた言葉。
それは、かつての穏やかな響きではありません。弱々しく震えながらも、芯まで冷え切った悲しみがそこにありました。
「俺は信じていたんだ。この者たちのために命を捧げれば、素晴らしい世界が来ると。でも、違った。俺が守ろうとしたのは、醜い獣たちだったんだ」
「違うんだ、黒! こいつらは正気を失っているだけだ。俺と一緒に、もう一度やり直そう!」
泥に沈む黒龍の手を、玄龍は必死に握ろうとします。
しかし、その指先が触れる直前。
黒龍の全身が、爆発的な闇の奔流に包み込まれました。
純粋すぎた光が、あまりに深い裏切りに遭ったことで、途方もない闇へと転じてしまったのです。
「もういい。すべてを壊して、余がこの世界の王になろう。他者に期待などしてはいけない。それが――この世の真理だ」
そう言い残すと、黒龍の姿は、膨れ上がった闇の向こうへと音もなく消え去っていきました。
友に並ぶために磨いてきたその掌には、黒龍が大切にしていた、主のいない「空っぽの鳥籠」だけが、虚しく取り残されます。
玄龍は、降りしきる激しい雨の中で、ただ叫ぶ。
自らの無力さ。そして、黒の優しさを誰よりも知っていながら、間に合わせられなかった自分への、激しい怒り。混じり合う雨と涙が、彼の黄金の鱗を、虚しく、冷たく濡らし続けていました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
手段を忘れ、ただ一念に生きる「忘筌」。
しかし、その一念さえ届かないほどに、黒龍の絶望は深いものでした。信じていたものに裏切られたとき、純粋な心ほど、激しく、深い闇へと染まってしまう。
残された「空っぽの鳥籠」は、失われた黒龍の心の象徴かもしれません。玄龍の心に刻まれた、消えない傷跡の物語。
次回、第八話「人龍倶忘」。
友も、自分も、修行の成果さえもすべて失った玄龍は、ただ降りしきる雨の中で独り、立ち尽くします。すべてが消え去った「空」の果てに、彼は何を見出すのでしょうか。
合掌




