悪逆なる簒奪
「……この、短命種の小僧がァァッ!!」
魔導大将軍シルヴィスの絶叫が、大樹の軍議の間に木霊した。
誇り高き高位森霊族である彼女にとって、人間の姿かたちをしたブライスに頭を垂れるなど、死よりも耐え難い最大の屈辱であった。
降伏などあり得ない。シルヴィスは己の魂の寿命すらも魔力に変換し、数百年の研鑽のすべてを込めた『極大の一撃』をブライスの眉間へと放った。
空間そのものを削り取る、回避不能の神速の光線。
だが、ブライスはそれを避けることすら面倒だったのか、ただ退屈そうに目を伏せただけだった。
――チリッ。
光線はブライスの絶対的な魔力障壁に弾かれ、霧散した。
しかし、その最後の余波が、ほんの僅かに、彼の美しい頬を掠め――一条の赤い血が、白い肌に滲んだ。
「――っ!?」
次の瞬間、大樹の間の空気が「凍りついた」などという生易しいものではなくなった。
「き、貴様ァァァァァァァッ!!!」
常に冷徹で完璧な執事として振る舞っていた第一の悪魔、ヴァイス。
その彼の口から、世界を叩き割るような、おぞましい激怒の咆哮が爆発した。
主の玉体に傷をつけられたという事実が、第一の悪魔の理性を完全に吹き飛ばしたのだ。
「我が主様に、その薄汚い魔術を……! 万死!! 億死!! 永遠の責め苦すら生温いッ!!」
「あ……?」
シルヴィスが己の放った魔法の結果を確認する暇すら、与えられなかった。
ヴァイスの足元から爆発的に膨れ上がった無数の影の刃が、狂乱の嵐となってシルヴィスを飲み込んだ。
ザンッ、グチュ、ドバババババァァァッ!!
「ぎゃ、あ、あああああ――」
悲鳴は、一瞬で肉の潰れる音に掻き消された。
誇り高き魔導大将軍は、文字通り「一瞬」にして、数万の細切れの肉塊へと変えられ、赤い雨となって広間の床にぶち撒けられた。
「……やれやれ。派手にやったな、ヴァイス」
ブライスは頬の血を黒手袋で静かに拭いながら、小さくため息をついた。
激昂したヴァイスはハッと我に返り、血の海に膝をついて平伏した。
「も、申し訳ございません、我が主様! 害虫の分際で御身を傷つけたこと、到底許すことができず……!」
「構わん。だが、これでは傀儡にする人形がいなくなってしまったな」
ブライスがそう呟いた時、壁際でガチガチと歯を鳴らしていた生き残りの大隊長たちが、恐怖で失禁しながら床にへたり込んだ。
「……貴様らも、あの肉塊と同じ運命を辿りたいか?」
ヴァイスが片眼鏡の奥で深淵の殺意を放ちながら一瞥すると、ハイエルフたちは悲鳴を上げて一斉に土下座し、床に額を打ち付けた。彼らの瞳にもはや、長命種族としての誇りなど微塵も残っていなかった。
「さて、どうしたものか」
ブライスは、床に散らばったシルヴィスだった『肉塊』を見下ろし、ある悪逆な閃きをその口元に浮かべた。
「……いい供物が散らばっているではないか」
ブライスが静かに呪文を紡ぐと、床の血肉を触媒として、禍々しい召喚陣が展開された。
呼び出されたのは、戦闘に特化した獣のような悪魔ではない。
燕尾服に身を包み、狡猾な笑みを浮かべた、政治や組織の支配に長けた『知将クラスの上位デーモン』であった。
「お呼びでしょうか、偉大なる王よ」
デーモンは恭しく一礼すると、床に散らばったシルヴィスの血肉を、長い舌で嬉々として貪り喰らった。
その光景を見て、ハイエルフの精鋭たちは絶望のあまり嘔吐し、白目を剥いて震えることしかできない。
「今日より、お前の名は『シルヴィス』だ。この魔導帝国を、僕の庭の一部として管理しろ」
ブライスが命じると、デーモンは裂けるような笑みを浮かべて深く頭を下げた。
「御意のままに。この『シルヴィス』、全霊を以てこの国の魔導技術と民を、王のために搾取いたしましょう」
――数時間後。
かつて誇り高き高位森霊族が支配していた魔導帝国は、完全に陥落した。
大樹の軍議の間に置かれた円卓。
そこには、上座で退屈そうに頬杖をつくブライスと、その傍らに立つ悪魔たちの姿があった。
そして円卓の席には、新たな『シルヴィス』と名付けられた悪魔と、逆らうという概念すら魂から消し飛ばされ、虚ろな目で書類に署名し続けるハイエルフの幹部たちの姿があった。
強大な防衛結界に守られていた超大国は、たった一日にして、原初の王の完全なる傀儡政権へと成り下がったのである。




