光と闇の双璧
白い灰が降りしきる神都の跡地。
原初の王たるブライスは、足元に平伏する二つの影を見下ろしていた。
純白の光を纏う元上位天使、五指のエルディス。
深淵の黒剣を携える漆黒の戦乙女、六指のアリア。
「この脆き人間の庭は、お前たち二人に委ねる」
ブライスの静かな、しかし絶対的な重みを持つ声が響く。
「光と闇の双刃を以て、僕の定めた静寂を乱す者をすべて切り捨てよ。……教国の残党がいれば、生かしておく必要はない」
「「御意のままに、我が主様」」
エルディスとアリアが、狂信的な忠誠を込めて同時に深く頭を垂れる。
かつての神の御遣いと、絶望から這い上がった新世界の女王。この対極にある二人が並び立つ光景は、もはや人間界においていかなる反逆も許さない、絶対的な支配の完成を意味していた。
ブライスはそれ以上言葉を交わすことなく、背後に控えるヴァイスたち四柱の悪魔を引き連れ、虚空を引き裂いて次の領域へと跳躍した。
人間界から遥か北の果て。
決して人が足を踏み入れることの許されない、幾重もの絶対防衛結界に守られた不可侵の領域――『深緑の魔導帝国』。
何千年もの悠久の時を生き、世界で最も高度な魔導の秘術を操る長命種族、高位森霊族たちの国である。
その中心にそびえ立つ大樹の軍議の間で、帝国軍の最高司令官たる魔導大将軍・シルヴィスは、水晶玉に映る神都の消滅を冷徹な瞳で見つめていた。
「……愚かな短命種どもめ。一夜にして都ごと灰と化すとはな」
シルヴィスが、美しいが酷薄な唇を歪めて嘲笑う。
長き時を生きる彼らにとって、数十年で死にゆく人間など、路傍の石以下の存在でしかなかった。
「大将軍閣下。教国が滅びたとなれば、今後の『供物』の供給が断たれることになりますが」
「構わん。我らが与えた魔導兵器の破片と引き換えに、自らの同胞を禁忌魔術の生体実験の贄として差し出してきた、あの醜悪な教皇も目障りだったところだ」
シルヴィスは、人間たちの浅ましさを心底見下していた。
教国が「女神の奇跡」と称して使用していた広域殲滅魔法陣も、元を正せばハイエルフたちが実験の対価として投げ与えた、旧時代の技術の残滓に過ぎない。
「人間の時代は終わった。これからは、最も気高く、最も優れた叡智を持つ我ら高位森霊族が、この世界を管理する――」
シルヴィスが傲慢な宣言を口にした、まさにその時であった。
――パキィィィィンッ!!
世界樹をも守護するはずの、帝国が数千年かけて構築した超広域・絶対防衛結界が。
まるで薄氷を踏み抜かれたかのように、ただの一撃で粉々に砕け散ったのだ。
「なっ……!? 結界が、破られただと!?」
常に冷徹を気取っていたシルヴィスの顔に、初めて動揺が走る。
軍議の間にいた大隊長たちが一斉に武器を構える中、砕け散った結界の破片を悠然と踏み越え、五つの影が静かに歩みを進めてきた。
先頭を歩くのは、深闇の黒衣を纏った青年。
そしてその背後には、圧倒的な死の重圧を放つ四柱の古き悪魔たち。
「僕がまどろんでいる間に、随分とつまらない玩具を作っていたようだな」
ブライスの低く、底知れぬ威圧感を孕んだ声が、大樹の広間を震わせた。
「貴様……! いかなる魔術を使ってこの聖域に踏み入った! 我ら魔導帝国を何だと心得ているッ!」
シルヴィスの怒号と共に、数百名からなるハイエルフの精鋭魔導部隊が一斉にブライスたちを取り囲んだ。彼らが一糸乱れぬ動きで展開した多重詠唱の魔法陣は、一撃で山脈を吹き飛ばすほどの極大魔力に満ちている。
だが、ブライスは一切の歩みを止めない。
それどころか、魔法陣の輝きを退屈そうに一瞥しただけだった。
「……一指。目障りだ」
「御意に」
ブライスの背後から、第一の悪魔ヴァイスが一歩前に出る。
ヴァイスが片眼鏡の奥の瞳を細め、指先を軽く振るった瞬間。
「な――!?」
ハイエルフたちが全魔力を注ぎ込んで展開していた数百の極大魔法陣が、瞬く間に漆黒の影に侵食され、音もなく霧散した。
そればかりか、大隊長クラスの魔導兵たちの両腕が、自らの足元から伸びた影の刃によって一切の抵抗も許されずに斬り落とされ、大樹の間に絶叫がこだまする。
「ぎ、ぎゃあぁぁぁッ!?」
「ば、馬鹿な……我らが数千年をかけて構築した術式が……ただの指先一つで……ッ!」
シルヴィスは、己の目を疑った。
歴史の長さ。知識の深さ。魔導の優位性。彼らが「人間より優れている」と誇っていたすべての前提が、眼前の存在の前では何の意味も成していない。
「悠久の時を誇るというのなら、せめてもう少し、僕を楽しませる術を用意しておくべきだったな」
ブライスは血溜まりの中を悠然と歩き、腰を抜かして這いずるシルヴィスの目の前で立ち止まった。
その深淵の瞳が見下ろしているのは、もはや敵ですらなかった。
「さて、魔導大将軍とやら。お前のその冷たく、傲慢な絶望の顔……悪くない」
ブライスは、恐怖に凍りつくシルヴィスの顎を黒手袋で無造作に持ち上げた。
「僕の直属たる十の配下……その七番目(七指)の席が空いている。その命と引き換えに、僕の靴を舐める栄誉をお前に与えよう」
それは、誇り高き長命種族に対する、一切の慈悲を持たない絶対的な支配の通告であった。




