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第五の指

神都の大広間に、上位天使の泣き叫ぶような命乞いだけが虚しく響き渡っていた。

かつて天界で最も気高く、女神の威光を体現していたはずの純白の六枚翼は、今や見る影もなく大理石の床に擦り付けられ、恐怖のあまり小刻みに震え続けている。


「ひぃっ、お、お許しを……! 我ら神の残滓ざんしは、決して原初の王たる貴方様の玉座を脅かすつもりなど……ッ!」


その醜態を、ブライスは影の玉座の上からひどく冷めた瞳で見下ろしていた。


「……目障りだ。僕を見上げるな」


ブライスの唇から紡がれたのは、ただそれだけの、静かで平坦な言葉であった。

だが、その一言は絶対の『ことわり』となって天使の巨体を容赦なく押し潰した。


「ガ、アァァァァァァッ!!?」


天使が鼓膜を裂くような絶叫を上げる。

大聖堂の塔よりも巨大だった上位天使の肉体が、見えない巨大な万力で握り潰されるかのように、ミシミシと嫌な音を立てて収縮を始めたのだ。

骨が砕け、肉が圧縮され、膨大な神聖力が悲鳴を上げて暴走する。


「あ、あああ……! て、天使様……ッ!」


教皇や狂信者たちは、神の御遣いが泥人形のように形を変えられていく凄惨な光景に、己の髪を掻きむしりながら悲鳴を上げた。


数秒の後。

光の奔流が収まった時、そこに立っていたのは、人間の背丈ほどにまで極限圧縮された天使の姿であった。

だが、その姿は決して醜悪な化物へと堕ちたわけではなかった。


純白の法衣、背中で輝く六枚の光の翼、そして周囲を照らす神聖なオーラ。

姿形こそ人間サイズになったものの、放たれる光の純度はむしろ高まり、まばゆいほどの神聖力を纏っていた。


「ほう」


ブライスは、微かに目を細めた。

かつて女神から奪い尽くした己の深淵の魔力を流し込んだにも関わらず、この天使は完全に黒く染まることなく、純白の器を保ったのだ。


「面白い。神の残滓とはいえ、その純白の器、ただ握り潰すには惜しいな」


ブライスが玉座から立ち上がり、ゆっくりと天使の目の前へと歩み寄る。

天使は恐怖で動くこともできず、ただ涙を流しながら覇王の靴の先を見つめていた。


「命乞いをするのなら、その光で僕への忠誠を示せ」


底冷えする声と共に、ブライスの手が天使の純白の額に触れる。


「今日より、お前は僕の直属たる『十指じゅっし』……その第五位(五指)の席に座ることを許そう。名は、エルディスと名乗れ」


その瞬間、天使――エルディスの瞳孔がカッと大きく見開かれた。

恐怖で染まっていた天使の瞳に、絶対的な存在から『名』と『居場所』を与えられたという、狂わんばかりの歓喜が満ち溢れていく。


「お、おおおおおお……ッ!!」


純白の天使エルディスは、ブライスの足元にすがりつき、その靴の甲に何度も、何度も狂おしく口付けをした。


「感謝いたします、感謝いたします我があるじ様ッ! このエルディス、我が身のすべてと、この純白の光のすべてを、偉大なる王のために捧げますッ!!」


「ならばエルディスよ。僕の庭を勝手に汚した、あの愚か者どもを掃除しろ」


ブライスが、背後で震える教皇たちを顎でしゃくった。


「御意のままに!!」


弾かれたように立ち上がったエルディスが、ゆっくりと振り返る。

その姿は、どこからどう見ても神聖な女神の御遣いそのものであった。背中の六枚翼からは温かく美しい光が降り注ぎ、大理石の広場を神々しく照らしている。


だが、その純白の天使が向けている殺意は、他でもない、自らを喚び出した教皇たちに向けられていた。


「ば、馬鹿な……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!! なぜ、神の光が、悪魔の王にかしずくのだ!!」


教皇が血走った目で叫び、後ずさる。


「黙れ、不浄なる肉塊ども」


エルディスの声は、一切の慈悲を持たない冷酷な響きを帯びていた。

天使が両腕を広げると、空を覆っていた深淵の軍勢すらも目を細めるほどの、極大の神聖魔法陣が大聖堂の上空に展開された。


「我が主様の御前に、貴様らのような醜悪な存在は相応しくない。光に焼かれ、ちりとなって消え去れ」


「や、やめろ……! 助けてくれ、女神様ぁぁぁッ!!」


教皇の絶叫と同時に、魔法陣から無数の『神聖なる光の槍』が降り注いだ。

それは、彼らが毎日のように祈りを捧げ、不浄を滅ぼすと信じて疑わなかった、純度百パーセントの神罰の光。


「ギャァァァァァァッ!!」

「あ、熱い! 光が、光が私を焼く……ッ!」


皮肉にも、神都を滅ぼしたのは深闇の魔法でも、悪魔の爪でもなかった。

彼らが盲信した純白の光が、大聖堂の美しいステンドグラスを粉砕し、逃げ惑う狂信者たちの肉体を次々と灰に変えていく。


自らの信じた神聖な光によって、自らの都が跡形もなく消し飛ばされていく光景。

それこそが、ブライスが下界の羽……下等な人間どもに与えた、最高にして最悪の絶望であった。


光の暴風が吹き荒れる中、ブライスは背後の影の玉座に再び深く腰掛け、美しく崩壊していく白亜の都を、ひどく退屈そうに眺めていた。

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