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偽りの奇跡

神都の大広場は、凄惨な恐怖と絶望の坩堝るつぼと化していた。


空を覆い尽くす四百の高位悪魔たちと、その頂点たる影の玉座に君臨する原初の王。

放たれる圧倒的な死の重圧の前に、数万の信者たちは声すら出せず、ただ大理石の床に額を擦り付けて震えることしかできない。


だが、大聖堂の祭壇にへたり込んでいた教皇の瞳には、恐怖を塗り潰すほどの『狂気』が宿っていた。


「ば、馬鹿な……神の都が、このような不浄な魔の眷属などに蹂躙されてたまるものか……! 私が、私が直接、女神様の奇跡を喚び起こしてやる……ッ!」


教皇は震える手で、純白の宝杖を高く掲げた。

その瞬間、彼の周囲で祈りを捧げていた数百人の高位神官たちの身体が、ビクンと大きく跳ねた。


「あ、あぁ……!? 教皇猊下、私の魔力が、命が……ッ」

「光の礎となるのだ! 喜んでその身を捧げよ!!」


それは、聖職者にあるまじき外法であった。

教皇は信者たちの命を強制的に生贄いけにえとし、莫大な魔力として宝杖へと吸い上げたのだ。

生贄となった神官たちが次々と干からびて倒れていく中、教皇の足元に、神聖な黄金の巨大召喚陣が展開される。


「おおお、光の御遣いよ! 今こそ降臨し、我らの敵たる不浄なる悪魔どもに、絶対の神罰を!!」


教皇が血を吐くような声で叫んだ。

黄金の召喚陣から天を貫くほどの光の柱が立ち昇り、空を覆う悪魔たちの暗雲を一直線に切り裂いた。


奇跡は、確かに起きた。

光の中から姿を現したのは、純白に輝く六枚の翼を持ち、黄金の聖剣を携えた、美しくも荘厳な『上位天使』であった。

神の息吹そのものと言える圧倒的な神聖力を放つその姿に、地を這っていた信者たちが一斉に顔を上げ、歓喜の涙を流す。


「おお……! 天使様だ!」

「女神様は我らを見捨ててはおられなかった!!」


教皇もまた、狂ったように笑い声を上げた。


「見たか、悪魔ども! これが女神様の御力だ! さあ天使様、あのような薄汚い魔の眷属を、一匹残らず聖なる炎で焼き尽くしてくだされ!!」


空に顕現した天使は、下界の教皇の叫びに応えるように、ゆっくりと黄金の聖剣を上段に構え、大空を埋め尽くす悪魔の軍勢を見据えた。

天使が纏う聖なる闘気が最高潮に達し、神罰の一撃が放たれようとした――まさに、その時である。


天使の視線が、悪魔の軍勢のさらに上空。

全てを見下ろすように作られた『影の玉座』と、そこに退屈そうに頬杖をつく一人の青年――ブライスの姿を、捉えた。


ピタリ、と。

天使の動きが、文字通り完全に停止した。


天使は、知っている。

かつて天界が真っ赤な血に染まったあの日。神の軍勢が紙切れのように引き裂かれ、全知全能たる女神が為す術もなく地下の底へと引きずり下ろされた、あの終わりの日を。

その全てをたった一人で成し遂げた、理外の覇王の顔を、魂に刻み込まれるほどの恐怖と共に記憶していた。


カランッ……。


静寂に包まれた神都に、奇妙な音が響き渡った。

天使の震える手から黄金の聖剣が滑り落ち、遥か下の大理石の床へと虚しく落下した音であった。


「……て、天使様?」


教皇が間抜けな声を上げる。

だが、次の光景は、教皇の――いや、神都にいる全ての狂信者たちの理解を完全に超えていた。


空に浮かんでいた六枚の翼を持つ上位天使が、自ら翼を折りたたみ、真っ逆さまに大聖堂の祭壇へと墜落するように降り立ったかと思うと。

そのまま自らの両膝を激しく床に打ち付け、影の玉座に座るブライスに向かって、これ以上ないほど深々と額を擦り付けたのだ。


完全なる『土下座』であった。


「お、おおお……原初の王、ブライス様……ッ! な、なぜ、貴方様がこのような下界に……ッ!」


天使の口から漏れ出たのは、荘厳な神の言葉などではない。

歯の根が合わないほどガチガチと震え、涙と鼻水を流しながら許しを乞う、ただの惨めな命乞いであった。


「……は?」


教皇は、完全に思考が停止した。

自らが命を削って喚び出した最高位の天使が、自分たちが討伐を命じた悪魔に向かって、震えながら平伏している。



「て、天使様……? 何を……なぜ、悪魔などに頭を下げておられるのですか……っ!? そいつらは、女神様の敵……!」



「黙れ下等生物ッ!!」



教皇の言葉を遮り、土下座をしたままの天使が血を吐くような悲鳴を上げた。



「貴様ら、自分が誰に向かって口を利いているか分かっているのか!? その御方は、天界を落とし、女神を討ち果たされた……真なる世界の支配者であらせられるぞ!!」


その言葉が、神都に落ちた真の絶望であった。

女神はすでに敗北している。自分たちが信じていた神は、とうの昔に、目の前にいる深闇の青年に敗れ去っていたのだ。

信者たちの顔から一切の血の気が引き、教皇は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。


玉座に座るブライスは、足元で震える純白の天使を、ただ冷ややかに見下ろしていた。



「……女神がとうに朽ちたというのに、まだこのような羽の生えた人形が残っていたとはな」



ブライスの低く、底冷えのする声が響く。



「ひっ、ひぃぃっ! も、申し訳ございません! 御身の威光に気付かず、決して、決して刃を向ける意図は……ッ! ど、どうか、どうかお許しを……ッ!」



「僕の庭で、随分と偉そうに飛んでいるじゃないか」



ブライスは一切の興味を失ったように視線を外し、絶望に染まった教皇へと冷酷な言葉を投げかけた。



「お前たちが命と引き換えにすがった『奇跡』とやらは、僕の足元に這いつくばる程度のものらしい」



一切の抵抗を許さない、絶対的な格の違い。

偽りの神都に、原初の王による真なる蹂躙が、静かに幕を開けようとしていた。

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