偽りの奇跡
神聖教国の首都、その中心にそびえ立つ白亜の大聖堂。
広大な石造りの広場には、純白の法衣に身を包んだ教皇を筆頭に、数万にも及ぶ狂信者たちがひざまずき、女神を讃える祈りの歌を合唱していた。
「おお、偉大なる女神よ。我ら光の徒に、永久の加護と、不浄なる者を滅ぼす奇跡を――」
教皇が両手を天へと掲げた、まさにその時だった。
――ピキィィィィンッ!!
何の前触れもなく、彼らの頭上の蒼穹が、巨大な硝子細工のようにひび割れた。
空の裂け目から、眩いほどの魔力の閃光が神都の街並みを照らし出す。それは、ブライスが王城から展開した極大転移魔法の余波であったが、何も知らない下界の狂信者たちの目には、全く別のものに映った。
「見よ! 空が割れたぞ!」
「おおお……! 女神様が、我らの祈りに応え、ついに天の門を開かれたのだ!」
広場を埋め尽くす数万の信者たちが、涙を流しながら歓喜の声を上げた。教皇もまた、感動に打ち震えながら天を仰ぎ見る。
彼らは疑いすらしていなかった。光に満ちた空の裂け目から、美しい天使の軍勢が舞い降りてくるのだと。
だが、奇跡を信じる彼らの薄っぺらい歓喜は、次の瞬間、無惨に粉砕されることとなる。
「……ん? あれは、天使様……では、ない?」
空の裂け目から最初に「降ってきた」のは、神聖な光などではなかった。
――ドサッ! ガシャァァァンッ!!
重々しい金属音と共に、白亜の大理石の床に次々と叩きつけられたもの。
それは、彼らがこの世界で最強の武力だと信じて疑わなかった、神聖教国・聖騎士団の精鋭たちの惨めな姿であった。
純白の甲冑は無惨にひしゃげ、自慢の聖剣は折れ曲がり、何より彼らは一人残らず白目を剥いて泡を吹き、完全に気を失っていたのだ。
「な、なんだこれは……!? 聖騎士団長!? なぜ、空から……ッ!」
教皇が悲鳴のような声を上げたのを皮切りに、歓喜に包まれていた広場は、一瞬にして恐慌状態へと陥った。
だが、彼らの絶望はまだ始まったばかりであった。
「――女神などという古き幻影に縋る、哀れな狂信者ども」
空を割るような、重く、底知れぬほど冷酷な声が、神都全体に響き渡った。
太陽の光が、突如として遮られる。
教皇たちが恐る恐る見上げた先――空の裂け目から湧き出してきたのは、深淵の底から這い出たような、禍々しい異形の群れであった。
漆黒の翼を広げる暗殺の悪魔、獄炎を纏って虚空を歩く騎士、冷気を撒き散らす魔氷の射手。
四百体にも及ぶ高位悪魔の大軍勢が、太陽を覆い隠すように神都の空を埋め尽くし、絶対的な死の重圧で下界の人間たちを押し潰した。
「あ、ああ……悪魔……! なぜ、神の都に、これほどの上位悪魔が……ッ!」
信者たちは祈りの言葉すら忘れ、ただガチガチと歯を鳴らして床に這いつくばる。広域神聖結界など、この絶望的な軍勢の前では薄紙ほどの意味もなさない。
そして、その絶望の頂点。
空を覆う悪魔たちの中心で、空間にどろりと滲み出た漆黒の影が、極上の意匠を凝らした『影の玉座』を形作った。
そこに悠然と腰を下ろしているのは、深闇の黒衣を纏う一人の青年。
傍らには、四柱の最凶の悪魔たちと、畏れ戦く王女アリアが控えている。
「僕が目を覚ましてみれば、ずいぶんと醜悪な箱庭が出来上がっていたものだ」
玉座に座る原初の王・ブライスが、頬杖をつきながら、地を這う教皇たちを冷ややかに見下ろした。
その瞳には、彼らに対する怒りすらない。路傍の石を見つめるような、絶対者の無関心だけが存在していた。
「た、貴様は……何者だ! 我らが女神の聖域を、何たる冒涜……ッ!」
教皇が恐怖で顔を痙攣させながらも、絞り出すように叫ぶ。
ブライスは微かに目を細め、静かに、そして世界そのものを震わせるような覇気と共に告げた。
「祈りの時間は終わりだ、偽りの神都よ。僕の庭で勝手に神を騙り、理を濁した罪……その命と魂で、今ここですべて清算してもらおう」




