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冷めることのない紅茶

人間国の辺境、星の丘。

冷たい夜風が吹き抜ける中、勇者レオンの呼びかけに応じた五百の精鋭たちが、音もなく集結していた。


彼らの表情は一様に戸惑いに満ちている。

無理もない。出撃の直前、レオンから「一切の金属鎧プレートアーマーと装飾品を脱ぎ捨てろ」という異常な命令が下されたからだ。


第一部隊長

「レオン殿。命令通り重装甲は全て外しましたが……これでは、魔物の狙い撃ちに遭えば一溜まりもありませんぞ」


レオン

「俺たちの敵は、目の前にいる魔物じゃない。見えない『影の監視網』だ。セシリア様からの情報によれば、奴らの眼は魔力光だけでなく、金属の反射光と僅かな『摩擦音』すら感知する」


レオンは振り返り、集まった兵士たちに新たな装備が入った木箱を開けて見せた。


レオン

「防御力は完全に捨てる。代わりに、絶対の『機動力』と『静音性』を手に入れるんだ」


箱の中に積まれていたのは、装飾を一切排した、上下黒、あるいは明るいグレーの特装服だった。

極めて柔軟で伸縮性に優れた厚手の布地で作られた、フード付きの一式。見た目はただの動きやすい衣服パーカーとスウェットのようだが、その実用性は極限まで計算されている。


レオン

「闇夜を進む者は『黒』を。岩肌のルートを進む者は『明るいグレー』を着用しろ。この服は一切の衣擦れの音を立てず、風景に完璧に溶け込む。……今夜、俺たちは軍隊であることをやめる。誰一人として感知されない『幻影』となって、敵の拠点を強襲する!」


重い鎧を脱ぎ捨て、黒とグレーのフードを深く被った兵士たち。

その姿は、栄光ある騎士団の面影など微塵もない。だが、極限まで実用性に特化したそのシルエットは、洗練された暗殺部隊のような異様な凄みを放っていた。


レオン

「(セシリア様。あなたが命懸けで作ってくれた『死角』……絶対に無駄にはしない!)」


金属音一つしない、不気味なほどの静寂。

黒灰の幻影となった勇者の部隊が、魔族の拠点へ向けて、疾風のごとく進軍を開始した。




同時刻。魔族領、ブライスの執務室。

豪奢なシャンデリアの下で、ブライスは万年筆を走らせ、領地の決算書に目を通していた。


セシリア

「ブライス様。ダージリンのセカンドフラッシュです。お仕事の合間にどうぞ」


ブライス

「ありがとう、セシリアさん。君の淹れる紅茶は、本当に温度管理が完璧だね」


ブライスは微かに微笑み、ティーカップを受け取る。

優雅で、平和な夜のひととき。


だが、セシリアの体内では、致死量スレスレの極限の魔力制御が行われていた。


セシリア

「(……集中なさい。少しでも波長が乱れれば、即座に命を刈り取られるわ)」


彼女は微笑みを貼り付けたまま、自らの影を通じて、ブライスの監視ネットワークへ猛烈なハッキングを仕掛け続けていた。

彼女が送り込んでいるのは、レオンたちが『星の丘から動かず、黙々と畑を耕し、疲れ果てて眠りについている』という、精巧に作られた『偽装のループ映像』だ。


視覚、聴覚、さらには兵士たちの体温のデータに至るまで、女神の加護を応用して完璧に偽造し、システムに上書きし続ける。

一瞬でも気を抜けば、本物の映像――黒灰の服を着たレオンたちが高速で進軍している姿が映し出されてしまう。


ブライス

「そういえば、勇者レオン君はどうしているかな」


ブライスがふとペンを置き、空間に『影のモニター』を投影した。


セシリア

「っ……」


心臓が早鐘を打つ。背中に冷たい汗が伝うのを感じながらも、セシリアは表情筋を完璧に統制し、静かにブライスの横に控えた。


モニターに映し出されたのは、泥まみれになりながら夜の農作業を終え、焚き火の周りで眠りこけるレオンたちの姿だった。


ブライス

「ふむ。すっかり戦意を喪失して、農民として生きる道を選んだようだね。賢明な判断だ。これなら、わざわざ討伐軍を送る必要もない」


セシリア

「……ええ。彼らもようやく、抗うことの無意味さを悟ったのでしょう。ブライス様の慈悲深さに感謝しているはずです」


嘘だ。

今この瞬間も、レオンたちは暗闇と岩肌に溶け込む黒と明るいグレーのフードを翻し、魔族の重要拠点である『嘆きの崖・大魔導塔』の喉元まで迫っている。


完璧なステルスと、完璧なハッキング。

二人の必死の連携が、絶対的強者であるブライスの目を、完全に塞いでいた。


ブライス

「これで、人間国も完全に平定されたね。明日からは、村の温泉の改築計画に本腰を入れようかな」


ブライスは満足げに頷き、セシリアの淹れた紅茶を一口飲んだ。


セシリア

「(……勝った。このままレオンさんが魔導塔を制圧すれば、私たちの反撃が始まる……!)」


セシリアが勝利を確信し、密かに息を吐き出そうとした――その瞬間だった。


ブライス

「……ん?」


ティーカップを持ったまま、ブライスの動きがピタリと止まった。

その深淵のような瞳が、空間に投影された『影のモニター』の一点を、氷のように冷たく見つめている。


ブライス

「……おかしいな」


セシリア

「な、何がでしょうか……?」


ブライスはカップをソーサーに戻し、モニターの中で眠るレオンの映像を指差した。


ブライス

「彼の呼吸に合わせて揺れる、焚き火の炎の形だよ。……さっき見た5分前の炎の揺らぎと、今の炎の揺らぎ。……『コンマ一秒の狂いもなく』、全く同じ軌道を描いている」


セシリアの全身から、一瞬にして血の気が引いた。


ブライス

「いくら風がない夜でも、自然の炎がミリ単位で同じ形を繰り返すなんて、物理的にあり得ない。……まるで、録画された同じ映像ループを、何度も見せられているみたいだ」


執務室の空気が、凍りついた。

ブライスがゆっくりと首を回し、傍らに立つセシリアを見上げる。

その顔からは、先程までの温厚な青年の笑みは完全に消え去っていた。


ブライス

「ねえ、セシリアさん。……君、僕の影で、何をしてるの?」


紅茶から立ち昇る湯気だけが、死のような静寂の中で、ゆっくりと揺らめいていた。

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