CASE-004 正しい訂正
「先に一個、潰します」
篠宮奈緒が言った。
朝一番。
片瀬遼が自席に着くより先に、壁面ディスプレイには水城隆司の行動履歴が表示されていた。
「何を?」
「病院です」
「ああ」
水城が配偶者死亡通知を受け取った直後。
通知本文には搬送先が記載されていない。
にもかかわらず、水城は東都中央医療センターを検索し、そのまま向かっている。
昨日の時点では、
水城は公式に知らされる前から搬送先を知っていたのではないか。
という疑いが残っていた。
「結論から言うと、病院名を取得した別経路は確認できませんでした」
「じゃあ、やっぱ知ってた?」
「まだです」
奈緒が即座に止める。
「『取得した記録がない』と『事前に知っていた』は同義ではありません」
「分かってる」
「水城氏には、東都中央医療センターの利用歴があります」
「患者として?」
「それもあります。見舞い、健康診断などを含めて十一回」
「じゃあ、知ってる病院だからとりあえず検索した可能性もある」
「あります」
「弱いな」
「はい」
奈緒は迷いなく頷いた。
「現時点では、水城氏が搬送先を事前に知っていた根拠にはできません」
「切る?」
「保留です」
「了解」
片瀬は椅子へ座った。
「他は?」
「一件、事故後の接触があります」
別画面。
沙耶の死亡から五日後。
東都中央医療センター。
水城隆司。
接触相手。
真鍋拓也。四十一歳。情報設備管理室所属。
「病院の職員?」
「医療情報技師です」
「どのくらい接触してる?」
「約十二分。同一区画内で近接」
「会話内容は?」
「記録対象外です」
「知り合いだった形跡は?」
「現在の水城氏の履歴からは確認できません」
片瀬が顔を上げた。
「初対面?」
「そこまでは分かりません。現在参照上、事故以前の継続的な交友履歴はありません」
「じゃあ、遺族として来た水城が病院職員と話しただけでも説明できる」
「はい」
「真鍋って人がCR-17と関係あるかは?」
「現在確認中です」
片瀬は真鍋の職務情報を見る。
「情報設備管理室か」
「本人識別連携設備も担当範囲です」
「嫌な位置にはいるな」
「位置だけでは何も言えません」
「知ってる」
◇
その頃。
東都中央医療センター地下二階。
「でかいな」
小峰ひよりが言った。
「病院が?」
葛城省吾が聞く。
「機械が」
「そっちか」
二人の前には、医療機器というより小型のサーバールームに近い区画が広がっていた。
患者本人確認。
医療記録連携。
ノード照合。
アーカーシャとの情報同期。
病院内の本人識別情報を扱う設備群。
「ここから再評価要求が出たんですよね」
「そういう記録になってる」
「CR-17」
「ああ」
「二十六年前に廃止されたやつ」
「それを聞きに来た」
案内役の設備主任が端末を操作する。
「正確には、現行設備からCR-17を直接発行する機能はありません」
「でも要求は出てる」
葛城が言った。
「はい」
「じゃあ、どこから?」
「旧規格互換層です」
ひよりが首を傾げる。
「まだ残ってるんですか?」
「古い医療記録を現在の人物情報へ接続する必要がありますから」
主任は壁際のラックを示す。
「過去規格を完全に読めなくすると、それ以前の医療履歴が利用できなくなります」
「読むための仕組みは必要」
「はい」
「書く方は?」
「通常はできません」
「通常は?」
葛城が拾った。
主任が一瞬止まる。
「互換処理の検証機能があります」
「何するんです?」
「旧規格の人物参照を現行形式へ変換した場合、どのように解決されるか試験します」
「試験だけ?」
「本来は」
「本番へ反映する権限は?」
「通常の操作系からは分離されています」
「誰が触れる」
「設備管理責任者と、一部の上級技師です」
「事故当日の勤務者は?」
主任が一覧を出す。
三名。
そのうち一人。
真鍋拓也。
「事故の日の十九時半頃、真鍋さんはどこに?」
「確認します」
入退室。
位置情報。
端末認証。
午後七時二十六分。
真鍋、地下二階設備区画入室。
午後七時三十四分。
退出。
「CR-17系統の再評価要求は?」
「十九時二十七分五十八秒」
ひよりが画面を見る。
「入ってすぐ」
「まだ決めるな」
「はい」
「その時間、他に誰かいる?」
葛城が聞く。
「設備区画内にはいません」
「遠隔保守」
「接続なし」
「端末操作は?」
主任がログを開く。
そこで止まった。
「……互換検証モードが起動しています」
「認証は?」
「真鍋です」
「そのモードからCR-17を出せる?」
「直接は出せません」
「直接は?」
主任が口を閉じる。
葛城は小さく息を吐いた。
「また一個増えたな」
「何がです?」
「『普通にはできない』ってやつ」
◇
「出せました」
奈緒が言った。
例外事案課へ戻った葛城とひよりに、病院側から受け取った技術資料を表示する。
「どっちだよ」
片瀬が言う。
「現行仕様から直接は出せません」
「でも?」
「互換検証時に生成される仮想要求を、高信頼本人確認証明として本番側へ再入力できる旧移行経路が残っています」
「まだ古いのがあるの?」
「過去の医療履歴を維持するための互換層です」
奈緒が簡略図を表示した。
旧規格。
互換層。
現行人物参照。
「初期のアーカーシャでは、人物同一性の誤登録を訂正する際、CR-17で過去履歴の参照主体を一括再構成していました」
「今は廃止」
「はい。直接発行する画面も通常権限も削除されています」
「なのに検証結果を本物として渡せた」
「そうです」
「分かりやすく言うと?」
「テスト用の『この人物参照をこう訂正した場合』という結果を」
「うん」
「正規の本人訂正証明として本番へ投入した」
「ああ」
「投入元は病院の正規設備。認証も正規です」
「だから署名は正しい」
「はい」
「不正侵入もない」
「ありません」
片瀬は二本の線が入れ替わる図を見る。
「アーカーシャからすれば、信用してる病院から正式な本人訂正が来た」
「その理解で構いません」
「で、直した」
「はい」
ひよりが言う。
「でも、間違った方に」
「結果としては」
「じゃあアーカーシャが間違えた?」
「処理の前提として渡された本人訂正情報が不正でした」
奈緒が言う。
「アーカーシャは、その入力を正規の訂正根拠として処理した」
「記録を偽造したわけじゃないんですよね」
「はい」
奈緒が三崎と水城の線を交差させる。
「『現在三崎と呼ばれている人物は、本来こちらの過去へ接続される人物です』」
もう一方も交差させる。
「『現在水城と呼ばれている人物はこちらです』」
「根元だけ替える」
「そうです」
「だから九年間の記録を一個ずつ直す必要がない」
「ありません」
ひよりが画面を見つめる。
「……怖」
片瀬も同意した。
何百万件の記録を偽造する必要はない。
誰の記録として読むか。
そこだけ変えればいい。
◇
「真鍋と水城の関係は?」
鷺沢が聞いた。
奈緒が一度、現在参照を表示する。
「現在の水城氏との接触として確認できるのは、沙耶さん死亡後の病院内接触です」
「事故前は?」
「現在参照上は、ほぼありません」
「じゃあ、まだ繋がらない?」
片瀬が聞く。
「現在参照だけなら」
奈緒は別画面を開いた。
「ただし、変更前の人物参照を監査履歴から再構成しました」
表示が変わる。
七年前。
イベント参加。
水城隆司。
真鍋拓也。
その後。
複数回のロードバイクイベント。
飲食店。
個人的な接触。
「……あるじゃん」
片瀬が言った。
「記録生成時点では、水城氏と真鍋氏の接触として保存されています」
「今は?」
奈緒が現在参照へ戻す。
同じイベント。
同じ飲食店。
同じ接触。
相手だけが。
三崎直人。
「全部三崎に移ってる」
葛城が言った。
「はい」
「真鍋と水城が昔から知り合いだった事実まで」
「水城氏の九年間の一部として、三崎氏側へ帰属変更されています」
ひよりが眉を寄せた。
「じゃあ今のアーカーシャだけ見たら」
「真鍋氏は三崎氏と長期間交流していたように見えます」
「実際には水城?」
「変更前監査ではそうです」
片瀬は少し黙った。
「これ、もし共犯だったなら、その関係まで消えるな」
「少なくとも通常の関係グラフからは切れています」
奈緒が答えた。
「事故後に水城と真鍋がまた会ったから、そこだけ新しく繋がった」
「はい」
鷺沢が画面を見る。
「変更前で最後に会ったのは?」
「三十七日前」
「内容」
「同一飲食店に九十六分。音声記録なし」
「変更前参照では?」
「水城隆司と真鍋拓也」
「現在は?」
「三崎直人と真鍋拓也」
片瀬が顔をしかめる。
「嫌だな」
「何がだ」
「犯行前の相談があったとしても、今見ると三崎が真鍋と飯食ってたことになる」
「ああ」
「三崎、借金だけじゃなく真鍋との付き合いまで押しつけられてる」
誰も否定しなかった。
◇
その日の午後。
久我正臣が片瀬を呼んだ。
「おい」
「何です?」
「真鍋の検証履歴」
画面。
三十四日前。
互換検証モード。
CR-17形式。
試験用仮想人物二名。
「通常保守?」
「項目には入ってない」
「自主検証?」
「本人の作業記録ではな」
「結果は?」
「成功」
仮想人物A。
仮想人物B。
過去参照交換。
正常終了。
片瀬は沙耶の死亡日と並べた。
「三十四日前。沙耶さんが亡くなったのが二十二日前」
「ああ」
「死亡十二日前に同じ処理を試してる」
「そういうことだ」
片瀬の表情が変わる。
「変更前の水城と真鍋が飯食ったのは?」
「その三日前」
「三十七日前」
「ああ」
順番。
三十七日前。
変更前参照で、水城と真鍋が九十六分接触。
三十四日前。
真鍋が参照交換を試験。
二十二日前。
沙耶死亡。
同日。
実際の人物参照交換。
「準備してたように見えるな」
「見えるだけならな」
「分かってます」
片瀬は奈緒を呼ぶ。
「奈緒」
「何です?」
「変更前の水城と真鍋が会った三日後、真鍋がCR-17を試してる」
奈緒が履歴を読む。
「……予備試験だった可能性はあります」
「目的は未確定」
「はい」
「まだ偶然でも説明できる?」
「個々には」
「嫌なやつだな」
「何がです?」
「全部、単体なら説明できるところ」
◇
「一つ変です」
全員が集まった会議スペースで、ひよりが言った。
「何が?」
「もし三十七日前から準備してたなら」
「うん」
「何のためだったんです?」
「人生を入れ替えるためじゃないのか」
葛城が言う。
「そこは分かるんですけど」
ひよりは首を振る。
「その時、沙耶さんまだ生きてますよね」
会議スペースが静かになる。
「三崎さんと入れ替えたら、沙耶さん本人が『違う』って言いますよね」
「そうですね」
奈緒が答える。
「本人証言だけで現在参照が覆るわけではありませんが、重大な不整合として再調査は入るでしょう」
「じゃあ事故前は、三崎さんには使えない」
「その可能性が高いです」
「なら」
ひよりが言う。
「三十四日前の試験は、三崎さん用じゃなかった?」
片瀬は画面を見る。
「別の誰かに使う予定だった」
「あるいは、相手がまだ決まっていなかった」
奈緒が言った。
「水城側の人生を誰かに押しつける方法だけ先に作ってた?」
「仮説としては成立します」
片瀬は二本の人生を見る。
三崎の九年間が水城へ。
水城の九年間が三崎へ。
そして。
水城の九年間には。
債務だけでなく。
真鍋との七年間の交友まで含まれている。
「……待って」
「何です?」
ひよりが見る。
「そもそも何で交換なんだ」
「一方だけ移せないからでは?」
「システム上は別の補正方法もあり得ます」
奈緒が答える。
「でも実際には、水城の九年間を丸ごと三崎へ渡した」
「はい」
「水城は何を捨てたかった?」
誰も答えない。
片瀬は現在、三崎へ帰属している九年間を開いた。
単独生活。
仕事。
契約。
旅行。
交友。
真鍋拓也との接触。
「俺たち」
片瀬が言う。
「三崎から奪われた方しか見てなかったよな」
奈緒の視線が変わった。
「水城氏から三崎氏へ移された側を調べる」
「うん」
「現在参照だけじゃなく、生成時参照と比較して」
「その方がいい」
鷺沢が身体を起こした。
「篠宮」
「水城氏の変更前九年間を再解析します」
「葛城」
「実生活側も見る」
「久我」
「旧規格と類似事案」
「小峰」
「押しつけられた側で、何が得するのか探します」
「それでいい」
片瀬は二本の人生を見続けた。
三崎は人生を奪われた。
だがそれだけではない。
水城は。
自分が生きた九年間を、丸ごと三崎へ押しつけている。
「……めんどくせぇな」
奈緒が少し離れたところから答えた。
「同感です」
片瀬が振り向く。
「珍しいな」
「今回だけです」
そう言って。
奈緒は変更前の水城隆司の九年間を開いた。
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