人里
そうして、しばらく。村には、当然ながら村人がいた。
「おお…。ひとがおる…」
「人里だからな」
「シロ、シロ、あれはなにをしておるのじゃ?」
「温泉の地熱を使って、肉や野菜を蒸してんだよ。火を焚かなくていいから、かなり経済的だ」
「では、あれは?」
「すり鉢だな。中身は見えねぇが、なんか挽いてるんだろ」
幼い少女には初めて見るものばかりなのだろう。目を輝かせて村の様子を見つめている。
「お前、目的忘れてないだろうな」
「忘れるものか。よし、とりあえず聞き込みじゃ」
両手で拳を握り、そのまま駆け出そうとするミーコを、シロは襟首を掴んで止めた。
「なにをするのじゃ」
「お前こそなにをする気だ。聞き込みって、なにをどう聞くつもりだ?」
「決まっておる。その辺の者を捕まえて、「真に優しくて強い男を知らぬか」と」
「そんな聞き方で判るか。ぽかんとされるだけだ。大体、お前は追われている身だろうが。のこのこ出て行ってどうする」
「むむ、ではどうすれば良いのじゃ」
「あそこ、温泉の湯煙が出ているすぐ隣にでかい民家があるだろ。あそこに、この村の長老がいる。村のことならほとんどすべてを知っているはずだ。あてずっぽうにひとに聞くより、長老一人に聞く方が断然早い。つまり面倒も少ない」
「なるほど。では行こう」
「待て。あまりひとに見られたくない。裏から回る」
言って、シロは迂回路を歩き出す。ミーコもてててと後をついて来る。迂回路とはどう行くのかと、ミーコは聞かなかった。この世界の地図は頭に入っているという言葉は、嘘でも大げさでもないらしい。
ひとが歩かないけもの道を抜けて、長老宅の裏に出る。壁の陰に身を潜め、周囲を窺ってから、シロはようやく正面玄関に回った。
二回扉を叩いてから、返事がある前にシロは引き戸を開けた。民家の古びた匂いが漂ってくる。
「邪魔するぞ」
相変わらず返事が無いのに、シロは草鞋を脱いで勝手に上がっていく。ミーコが草鞋を脱ぐのに苦労していると、先に行っていたシロが戻ってきてぶっきらぼうに紐を外した。
「たらたらすんな」
「すまぬ。草鞋は履くのも脱ぐのも慣れておらぬのだ」
言いながら、二人で廊下を進んでいく。
「この家の間取りを、知っておるのか? 以前にも来たことがあるということか」
「まあな」
廊下を折れて、家の最奥の部屋の前にたどり着く。そこで、シロはまた二回扉を叩いた。
「入るぞ」
そしてまた、返事を待たずに扉を開ける。中は、八畳ほどの広さだ。すのこを組み合わせたような質素な寝台に敷かれた布団の上で、小さな老女が上半身を起こして書物を読んでいた。ややあってから、書物から顔を上げる。皺だらけだが優しい顔つきをした老女だ。
「…これはこれは。お久しぶりです。シロさん」
「ああ、しばらくだな。康代」
穏やかに言った老女に、シロは愛想もなく答える。老女は気にした様子も無く、シロの後ろからひょこっと顔を出したミーコに視線を移した。
「そちらのお嬢ちゃんは」
「親戚の子だ。訳あって預かっている。ただし、他言無用で頼む」
「はい、承知しました。お嬢ちゃん、初めまして」
「お初にお目にかかる。ミーコと申す」
「はい、康代でございます」
「敬語はいらぬぞ、康代殿。…うむ、シロもクロもあだ名じゃからな。普通の名前は久しぶりじゃ」
「そうさねぇ。お嬢ちゃんのお名前も珍しいと思うがねぇ」
「おお、確かにそうじゃな。まあ、気にするでないぞ」
「ではそうしようかねぇ。……あれ、お嬢ちゃん、どこかで会ったかね?」
「いや? 初めてだと申した通りだが」
「そうかい。まあ、長く生きていれば、似たひとにも会うさねぇ」
老女が目を細めて笑うと、皺の多い顔がもっと皺くちゃになる。しかし、穏やかな雰囲気はミーコを安心させた。
「男を探しておるのじゃ。優しくて強くて手先が器用な男を知らぬか?」
「その男は、少なくとも八年前はこの辺りにいたはずだ。その頃、女と暮らしていた可能性もある。現在の歳のころは四十代半ば」
シロの言葉に、康代はそっと首を傾けた。
「そうさねぇ…。ここ十年以上は、この土地から引っ越していったひとも入ってきたひともいないけどねぇ」
「その男はこいつの父親だ。心当たりは無いか?」
シロの問いかけに、老女はしばし黙った。考えるような沈黙の後、ゆっくり口を開く。
「さぁてねぇ。心当たりは無いね。歳の合う男は何人かいるけれど、みんな普通に家族で暮らしているよ。お嬢ちゃん、お母ちゃんはなんて言っているんだね?」
「もう亡くなった。だからなにも聞けぬ」
「そうかい。悪いことを聞いたね。でも残念ながら、この村にはおらんだろうね。独身の男はお嬢ちゃんと同じくらいの子か、連れ合いに先立たれた年寄りたちしかおらんし、母親がおらん子もない。もし道ならぬ相手だったとしても、狭い村だからねぇ。余所の女が入ってきたらわしの耳に入らんはずがないよ」
「そうか。そうだろうな」
「その、連れ合いに先立たれた年寄りたちの中にいるという可能性は…」
食い下がるミーコに、老女はほほほと笑った。
「四十代半ばは年寄りとは言わんねぇ。その歳が間違っていたとしても、お嬢ちゃんの父親になるには、年を食いすぎてるさね。なんなら村中の男衆の顔を見ておいで」
そうまで言うということは、この老女には、本当に心当たりは無いのだろう。シロは顔をしかめたが、ミーコはそうかとうなずいた。
「ありがとう。読書の邪魔をしてすまなかった」
「見つかるといいねぇ、お嬢ちゃん」
「ああ。祈っていてくれ。そなたの病も、早く治るよう祈っておくから」
「おやおや。ありがとうねぇ」
「邪魔したな」
シロが言って、襖を開ける。ミーコを先に廊下に出して、自分は一瞬だけ老女を振り返った。
康代もシロも、何も言わなかった。
先に玄関に着いていたミーコは、やはり草鞋を履くのにも苦労していた。自分の草鞋をさっさと履いて、シロは結んでやろうと身をかがめる。が、それに待ったを掛けたのはほかならぬミーコだった。
「結び方は、今朝クロから教わったのじゃ。慣れない故もたもたしてすまぬが、自分でやらせてくれ」
言いながらも、一生懸命紐を操っていてシロの方を見ない。やる気があるならと、シロはうなずくだけにとどめた。
何度もやり直して、シロがいい加減口を挟もうとした時、ようやくミーコは紐を結び終えた。
「出来た!」
うれしそうに、本当にうれしそうに声を上げる。それで、文句を言おうと開きかけていたシロの口からは、結局「良かったな」という言葉しか出なかった。
「ふふふ。わらわにも、出来ることが一つ増えたぞ。今度は脱ぎ方じゃな。次は自分で脱ぐから教えてくれ」
「ああ、じゃあ次の機会にな。行くぞ」
来た時と同じように周囲の気配を窺って、音を立てないように外に出る。日差しがまぶしくて、ミーコは目を細めた。
「次はどこじゃ?」
歩き出そうとするミーコを、シロが肩を掴んで止める。
「待て。その前に、一応村の男たちの顔を確認していけ」
「何故じゃ? 先ほどのお婆がおらんと言っていたではないか」
きょとんとして首を傾げるミーコ。その表情を見て、シロの方も虚を突かれた。
「お前、全部信じたのか?」
「どういう意味じゃ?」
心底不思議そうな顔をするミーコに、シロは言葉が出なかった。
「シロ?」
「ああ、いや…」
そういえばこの少女は、飢えと寒さで参っていたとはいえ、初対面のシロの手をなんの躊躇いもなく取った。家では、見ず知らずのクロから出されたものを、全部平らげた。
他人を疑う、ということを知らないらしい。
「なんでもない。お前が信じるならそれでいいが、あの婆さんもけっこうな歳だ。一応、お前が自分の目でも確認したほうがいいかと思ってな」
「おお、なるほど。それはそうじゃな」
今もまた、シロの言葉をただ受け入れている。誰かが自分を謀ろうとするなど、夢にも思わないのだろう。
幸せなことだ。
「では、村中の男たちの顔を見てこよう」
「待て。こっそり婆さんに会いに行った意味が無くなるだろうが」
駆け出そうとするミーコを止めて、来た時と同じように家の裏に回る。
「む、ではどうすれば良いのじゃ」
「お前、視力は」
「かなり良いぞ。ここからならあそこにある停留所の表示まで見える」
「大したもんだ。なら行くぞ」
「どこへ?」
「そこの山に登る。頂上まで行かなくても、途中の開けた場所でこの村全体くらいは見渡せるからな。そこから確認しろ」
そう言って、シロはさっさと歩き出した。後ろについてきながら、ミーコが問う。
「では、最初からそうした方が早かったのではないか?」
「村人全員が外に出てるわけじゃねぇんだよ。婆さんに心当たりがあるなら、そっちから当たった方が早い」
「おお、シロは頭が良いな」
「どうすれば面倒くさくないか、俺にとって重要なのはそれだけだ」
「そうか」
うなずいて、ミーコはふふふと笑った。
「なにがおかしい」
「うれしいのじゃ。面倒くさがり屋のシロが、わらわの為に時間を割いてくれておる」
「まったく…。どういうことだろうな、本当に」
つぶやくように答えて、シロは歩みを進めた。




