歩調
「見えるか」
「うむ。顔の判別くらいは出来るぞ」
「いそうか?」
「うーむ…」
目を細めて、ミーコは首を伸ばして村を見下ろしている。シロに抱えられた状態で。
山を半分ほど登ったところだ。村を見下ろせる開けた場所があって、二人はそこにいる。ただ、そこにはミーコの背丈ほどの草が伸びていたので、やむを得ずシロはミーコを抱えたのだ。
「いや…。見える範囲にはおらぬようじゃ。どれも顔が違うし、父親はもっと若かった。八年前であることを考慮しても駄目じゃな」
「そうか」
答えて、シロはミーコを降ろした。
「じゃあ次だな」
来た道を戻るのではなくさらに山を登っていくシロに、ミーコはうむとだけ答えてついてくる。なにも疑問に思わないのかと考えたシロだったが、この少女の頭の中には世界中の地図が入っているのだということを思い出した。次の村へ行くには、来た道を戻るよりもこの山を突っ切った方が早いことを知っているのだろう。
「…地図か…」
「なにか言ったか?」
「いや、なにも」
この世界すべての地図など、一般庶民は手に入れることが出来ない。各地域に設けられている関所ですら、近隣の村の地図くらいしか持っていないはずだ。小さな世界とはいえ、すべてといえば膨大な量となる。その量の地図を抱えているのは、神関しかない。
この少女は、家から出たことはないと言っていた。つまり、産まれた時から神関内――神界にいたということになる。そこで産まれ育ったと言ってもいいくらいだろう。
巫女は、例外無く人間の中から選ばれる。人間の目線に立ったうえで、神の意向を伝える為に。人間の目線に立つということは、ある程度人間社会で生活しないと出来ないことだ。こんな年端もいかない少女を、何故神は巫女に選んだのか。また、先代巫女はどうしているのか。
巫女の代替わりは人間にとっても一大事だ。瓦版で大々的に報道され、各地で祭りが開かれる。無駄と解っていても巫女に顔や名前を覚えてもらおうと、人々は神関に集まってくる。この時期だけは、世界をとりまく空気そのものが変わると言ってもいい。
そういった情報に興味のないシロでも、代替わりがあればさすがに気づくほどだ。シロ宅は瓦版を買う習慣が無いが、クロは近隣の住民と仲が良く、情報通だ。そうすると自然とシロの耳にも入ってくる。
ただし前述の通り、巫女の情報は開示されない。人間たちは、どこの誰とも知らぬ巫女の即位に色めき立ち、騒ぐのだ。知らないからこそ、騒げるのかもしれない。内心は、人間の誰かが家族や親しい者たちと今生の別れになるという残酷な事実を、解っていながら。
前回の代替わりが、具体的に何年前だったかは覚えていない。だが、少なくともここ二、三年の間ではない。歳を聞かれたミーコは、もうすぐ七つだと答えた。ということは、どう少なく見積もっても三歳の時には巫女の宣託を受けたということになる。
有り得るのか。
巫女の交代は、当代巫女が次代巫女に予告無しに伝えに行くのが習わしとなっている。先代巫女は、たった三つほどの幼女に宣託をしに行ったのだろうか。いくら神の言葉とはいえ、疑問には思わなかったのだろうか。神官を含め、誰もが納得していたのか?
いくら神からの言葉とはいえ――。
「シロ? どうしたのだ、ぼーっとして」
思案していたら下から呼ばれて、シロは立ち止まってミーコを見た。
「……なあ、巫女殿」
「はっ!? な、なんじゃいきなり! わらわは巫女ではないぞ!」
「間違えた。ミーコ。お前、先代巫女のこと、なにか知っているか?」
「先代…? い、いや、わらわはなにも…」
口ごもるミーコを見下ろしながら、シロは再び考えを巡らせる。
職務を全うした巫女は、もう神の声を聞くことは出来ない。かといって人間界に戻ることも出来ない。すでに居場所は無く、そうでなくとも長らく人間界から離れていれば、戻ったところで本人も周囲も戸惑うだけだ。神界のことを簡単に一般庶民に話されても困る。したがって巫女を引退した者は、相応の役職を与えられて神界に留まるのだ。軟禁状態と言っても過言ではないかもしれない。
「会ったことも無いのか。一度も?」
「…巫女に、会ったことは、ない」
普通の人間ならそうだろう。だが、巫女といえども引継ぎくらいはあるはずだ。
さらに口を開こうとして、シロははたと止まった。
なにをしようとしてんだ、俺は。
面倒くさいことは嫌いだ。関わりたくない。なるべく他人と関わらず、クロと二人、静かに平和に生きていければそれでいい。ずっとそうして生きてきた。
昨日は、ずぶ濡れの小動物のようなミーコを放っておけずについ拾ってきてしまった。成り行きで父親探しも手伝うことにした。おかげでなにも予定が無かったはずの今日、延々と歩く羽目になっている。
すでに面倒くさいことにはなっているのだ。ならば、これ以上踏み込むのはどう考えてもシロの信条とは相容れない。
それもこれも、ミーコがやたら小さいから悪い。もっと大人で大柄で屈強で、放っておいても大丈夫そうな相手なら、さっさと肉まんをクロに届けることが出来たのに。いや、せめて昨日、雨が降っていなければ。
天候に文句は言えない。時の流れにもしもも無い。ちっと舌打ちして、シロはミーコの額を指で弾いた。
「うおっ! なにをする!」
「そこに額があるのが悪い」
理不尽この上ない台詞を吐いたシロに、両手で額を隠したミーコは口を尖らせていたが、やがてぱっと笑った。
「なに笑ってんだ」
「ここに額があると悪いということは、また抱えて歩きたいということであろう? さすれば、額はそなたの横に来る」
「全然違う」
「む、違うのか? ならば何故、ここに額があると悪いのじゃ…?」
そんなにまっすぐ質問されては、シロも困る。
「なんでもねぇよ。もういいから歩け。陽が暮れるまでに帰れなくなる」
この面倒事から解放される為には、一刻も早く父親を見つけて引き渡し、この少女と別れるしかない。その後のことなど知らない。本人と父親が決めればいいことだ。
ざくざくとシロが歩いていく音と、てててとミーコが駆ける音。あまりにも健気についてくるので、シロはもう一度舌打ちしてそっと歩調を緩めた。




