利益
翌日は、シロの思った通りに晴天だった。昨日の雨が空を洗っていったかのように、雲一つない青空だ。
朝餉を食べ終わった後、シロとミーコは揃って家を出た。
「クロは一緒に行かぬのか」
「仕事があるからな。村の案内なら俺一人で充分だろ」
「そうか。それで、どこから行くのじゃ?」
「お前の親ってことは、まだそんなに爺さんってわけじゃないだろうからな。年齢が合いそうな奴のところを近いところから回っていく。少し歩くことになるぞ」
「平気じゃ。この草鞋、とても履き心地が良いからな」
クロお手製の草鞋だ。昨日の夕餉の後で、急ごしらえで作った。昔から、本当にクロは手先が器用なのだ。着物も、クロが昔着ていたものを仕立て直した。白衣に緋袴は目立ちすぎるし、泥で汚れていて修復は難しい。
ちなみに昨夜、クロと一緒に寝ることになったミーコはにこにこしていた。誰かと一緒に寝るのは初めてじゃと笑っていた。昨日クロが言った通り、家にある布団は二組だけ。狭くなって申し訳ないとミーコは謝ったが、クロはそんなミーコの頭を撫でていた。
朝になってクロより先に起き上がったミーコは、あたたかかったとやはり笑った。
「近いところからか。了承した。しかし、遠いところから回っていった方が効率的なのではないか?」
「遠くまで行って、意外に近くで見つかったらどうすんだよ。遠くまで行った自分を殴りたくなるだろ」
「ふぅむ。まぁいいか。では行こう」
「ああ」
いってらっしゃいと手を振るクロに、ミーコは手をぶんぶんと振って応えた。小さくうなずいて、シロは歩き出す。その隣を、ミーコがてててと付いてくる。シロが一歩進むごとに二歩、三歩。小さく舌打ちして、シロは歩調を緩めた。ミーコには気付かれないように。
やがて、シロがミーコに訊ねる。
「お前、本当に父親の手がかりはなんにも無いのか?」
「優しくて強い」
「それはもういい」
「昨日描いた似顔絵」
「あれは新種の妖怪だ」
「む。ほかにか…。ううむ。手先の器用な男であったらしいが…」
「具体的には」
「母親の草履を直したとか、籠を編んでいたとか、自分の家を自分で作ったとか聞いておる。釣りも上手いらしい。母親に手料理を振る舞ったとも聞いておる。どうじゃ?」
「どう、か。この辺りの奴らは、それくらいのことは皆出来るからな」
「手掛かりにはならんか?」
「ならん」
「そうか…」
声を小さくしたミーコを、シロは見下ろす。ため息を吐いた。
「お前、いくつだ?」
「? もうすぐ七つじゃ」
「なら、お前の母親と出会ったのは少なくとも八年以上前だな。その時点でこの辺に住んでいて、今四十代半ばで優しくて強くて手先が器用な男か…」
「よし、だいぶ手がかりが増えたな」
「なにがよしだ。輪郭すら見えねぇよ」
ミーコが頬を膨らませる。
「でもま、母親が見せてくれたっていうちゃんとした似顔絵は覚えてるんだろ? なら、顔を見ればわかるな」
歩きながら、ミーコはシロを見上げた。
「お前が一番の手がかりってことだ。行くぞ。前見て歩け」
そう言って、シロはミーコに手を差し出す。
「たらたら歩かれると迷惑だからな。さっさと来い」
昨日とは違い、ミーコは飛びつくようにしてその手を取った。
「うむ!」
うれしそうに笑って、駆け出すように歩き出した。
二人は歩いた。目当ての人物が釣りをしている可能性も考慮して、なるべく川沿いを選んだ。
「なかなか村人に会わぬな」
「言っただろ。この辺は住民が少ないって。昼ごろには村に出る」
「ずいぶん辺鄙なところに住んでおるのだな。生活には困らぬのか?」
「別に。昨日も言ったけど、食料は物々交換で手に入る。それ以外に必要なものは定期荷馬車が通る日にまとめて買うし、簡単な薬ならクロが作るし。そんなに困ってねぇよ。ひとがたくさんいて、付き合いがあるほうが面倒だ」
「シロは、他人が嫌いか?」
「嫌いってわけじゃねぇけど…」
「けど?」
「いや、なんでも。嫌いじゃねぇよ」
その答えに、ミーコはぱっと表情を明るくした
「そうであろう? わらわにこんなに優しくしてくれるのじゃ。嫌いなわけがないと思っておった!」
「なんでそんなうれしそうなんだよ」
「うん? 何故じゃろうなぁ。シロが嫌いではないと言ったことがなんだかうれしいのじゃ。…ふむ。本当に何故じゃろう」
「知るか。お前みたいなガキは久しぶりだ」
「というと、前にも子どもの相手をしたことがあるのか?」
「……昔、ここに根を下ろす前。クロと旅をしていたことがある。旅先で、クロがガキども相手に薬草やら裁縫やらの生活知識を教えることがあったからな。俺はやることが無いから隣にいて、ついでにガキの相手をしていたことがある。少しだけ剣を教えたこともある。構えくらいのもんだけどな」
「おお、シロは剣も扱えるのか。すごいな。強いのか?」
その問いに、シロは少しの間を置いた。しかし特に隠すようなことでもない。
「それなりだよ。もうだいぶ扱ってないから、たぶん腕は鈍ってるだろうな。ま、剣なんて、使わないならそれに越したことは無いからいいけど」
「確かにその通りじゃな。平和が一番じゃ。しかしなるほど。子どもの相手をしていたことがあったから慣れて…おっ!?」
うなずいて話していたミーコを、シロが無言で乱暴に抱き上げた。そのまま横に飛ぶ。川から顔を出している石を足場にして横切り、向かい側の林に入った。素早く木の陰に身を寄せる。
「シロ、なんじゃ?」
「黙れ。…ひとが来る」
言いながら、シロがミーコの口を手で覆う。息も出来なくなったミーコが、ぺちぺちとその手を叩いたので、少し隙間を作った。
「……神官だ」
低く小さくそう言ったら、ミーコがびくりと身体を強張らせた。
しばらくして、三人の男が川沿いの道を歩いて来た。シロとミーコがあのままでいたら間違いなく擦れ違っていた。
男たちは神官の衣を身にまとい、剣や弓を携えて、辺りを見回しながら歩いている。シロたち二人は息を潜める。ミーコの心臓の音が、シロにまで聞こえてきそうだった。
やがて、神官たちは何かを言い合いながら川沿いから離れていった。完全に姿が見えなくなってから、シロがミーコを開放する。
「…あの者たちは、わらわを探しているのであろうか…」
「お前、神官に探されるような心当たりでもあるのか」
「あ、いや、それは…ない! ないぞ。わらわは巫女ではないからな」
「そうかよ。なら隠れる必要は無かったな」
「いやいや、そうでもないぞ!? わらわは巫女ではないが、昨日そなたが言っておったように、巫女と勘違いされても困るからな!」
「ま、そういうことにしといてやるよ」
どちらにしても、迷子は関所に即通報が鉄則だ。シロも、面倒事は避けたい。急に親戚の子どもを預かることになって…などという言い訳は苦しいし、永いこと二人だけで暮らしているシロとクロに、どこから親戚の子が来るんだというもっともな疑念が沸いてしまう。
「行くか。もう気配も無いし、大丈夫だろ」
「シロは、ひとの気配がわかるのか?」
「あー…。まあ、な」
歯切れ悪く答えて、シロは再びミーコを小脇に抱えた。そう狭くはない川を、先ほどと同じようにちょこちょこと頭を出している岩を足場にしながらひょいひょいと渡っていく。
「シロは運動神経も良いのだなぁ」
「そりゃどうも」
元いた場所に戻ってきて、ミーコを降ろす。着物の裾が捲れているのに気がついたので直してやると、ミーコはふふふと笑った。
「なんだよ?」
「ふふふ。うれしいのじゃ」
「なにが」
「なんであろうな。とにかく、うれしいのじゃ。なんだか、父親との対面も遠くない気がしてきたぞ」
両手を口元に当てて、ミーコは笑う。意味は解らなかったが、まあ泣かれるよりも余程いいかと思い、シロは追及しなかった。
しばらく歩くと、前方に煙が見えてきた。
「ほら、あの辺が村だ」
「あの煙はなんじゃ?」
「湯煙だよ。あの村には温泉が湧いているからな」
「おお、温泉か。聞いたことはあるが…」
「入ったことは無いんだな」
「ない。ものすごく気持ちがいいものであるとは聞いておる。入ればどんな病も治るのであろう?」
目を輝かせるミーコに、シロはやれやれとため息をついた。
「大げさだ。そんな万能薬みたいな効能はねぇよ。傷や痛みには多少効くだろうが。あと、先に言っておくが今日は入れねぇぞ。父親を探すんだろ」
「わかっておる。しかしまあ、覗くくらいなら…」
「風呂を覗いたら犯罪だ。お前はともかく俺は捕まる」
「む、そうか。残念じゃ。ならば仕方あるまい」
あっさりミーコが引いたので、シロは少々意外だった。子どもというのはもっとわがままなものではないのか。
しかし特に理由を追及する気も起きなかったので、シロはそのまま歩みを進めた。と、そこでぐぅぎゅるるると音がした。
「…腹が減ったのか」
「いかにも。今のはわらわの腹の音じゃ。……実は、喉も渇いた」
「早く言え。先に飯食うぞ」
呆れたシロがそう言って、川べりに腰を落とす。肩に掛けていた振分荷物から弁当箱を取り出した。その後ろで、ミーコは小さな声で言った。
「言うてはならんと、思ったのじゃ」
「あ? なんで」
「今のわらわは、着物も草鞋も食べ物も寝るところも、すべてシロとクロに恵んでもらっておる。父親探しも手伝ってもらっておる。口惜しいが、わらわ自身ではどうしようもない。礼をする術も持たぬ。…ならば、わらわはせめて、欲しいなどとは言わぬほうが良いかと思ったのじゃ」
そんなことをぼそぼそと話すミーコに、そういえば、とシロは思う。
昨日停留所で拾った時も、家に連れて帰ってからも、ミーコは自分からなにかを欲したことはない。与えられるまま風呂に入り、着物を身につけ、食事を摂り、今に至る。ミーコが希望を言ったのは、晴れたらまた抱きかかえてほしいということと、クロの仕事を見たいということくらいだ。食事や着物、風呂の湯とは違い、それらの希望を叶えることでシロやクロから減るものはない。初めての肉まんでさえ、見たいとは言ったが食べたいとは言わなかった。もちろん分けて食べたが。
相手のものを減らさずに済むことだけを、希望してきたのだ。この少女は。こんなにも、小さいのに。
シロは、大きなため息をついた。
「ガキがいらん心配してんじゃねぇよ」
「しかし」
「来い。座れ」
言って、ぽんぽんと自分の隣を手で叩く。
「お前みたいなガキんちょに、飲むのも食べるのも我慢させて歩かせたなんて、俺の聞こえが悪いだろうが。クロにどんだけ怒られると思ってんだ。あいつを怒らせると後が面倒なんだよ。つまりこれはお前の為じゃなくて俺の為だ。だから、お前がなにかを気にする必要はねぇよ」
ちょこんと座ったミーコの額を、指で軽く弾く。
「俺が俺の為に動いてるんだから、お前もお前の為に欲しいものくらい言え。俺に利益があるときは聞いてやる」
「そう…か…」
つぶやくように言ったミーコは、やがて口元をほころばせた。
「そうか」
「ああ、そうだよ」
二人で並んで、クロが作った弁当を食べた。
空は、抜けるように青かった。




