妖怪
昼食は、白米と焼き魚、それに味噌汁と漬物だ。シロの家にあるのは二人分のご飯茶碗と味噌汁茶碗だけなので、ミーコにはおにぎりを作って焼き魚の横に添えた。クロの味噌汁は湯呑に入れた。仕事の依頼で他人が来ることがあるので、湯呑だけは余分にあるのだ。申し訳無いのと恐縮するミーコに、クロは「気にしないの!」と笑った。
豪勢とは程遠い昼食だったが、ミーコはよく食べた。聞けば、約二日間飲まず食わずでろくに眠ってもいなかったという。雨が降り始めたのは昨夜未明。約半日間、胃になにも入れていない状態で雨に打たれていたことになる。
「よく無事だったねぇ。良かった」
クロが微笑み、ミーコも笑った。わらわは強いのじゃ。そう言って、笑っていた。
ミーコには、幼い背格好に似合わぬほどの礼儀が身についていた。箸の持ち方はもちろん、食べ方も、その後の片付けも、よく見てみれば歩き方一つでさえ、完璧なまでに所作が美しい。よほど礼儀に厳しい家で育ったのか、神界に召し上げられてから身に付けたものなのかは判らないが。
「ねぇミーコ。おうちを出て、どこかに行こうとしてたの?」
クロがそう切り出したのは、昼食後に緑茶を淹れて一服していたときだ。
一拍置いてから、ミーコはこくんと首を縦に振った。
「うむ。ある男を探しに行こうとしておったのじゃ。家の者に訊いても教えてもらえなかったので、自分で探すことにしてな」
「ある男って?」
「わらわの父親じゃ」
「え、お父さん?」
「うむ」
うなずいて、ミーコは緑茶をずずっとすすった。シロは黙って会話を聞いている。
「わらわは父親と対面したことが一度も無い。じゃが、母親が申しておった。父親は優しくて強い男であったと。一目会ってみたくなってな」
「巫女になる前も、会ったことないの?」
「わらわは巫女ではない!」
「あ、そうだったね、ごめん」
クロが謝ると、ミーコは気を取り直すようにまたこくりと緑茶をすすった。
「いや、こちらこそ声を荒げてすまぬ。とにかく、わらわは父親を探しておるのじゃ。会うまでは帰らぬ。そもそも、帰ったところで…」
「うん?」
「いや、なんでもない。母親から聞いたところによると、この辺りにいるはずなのじゃ。そなたら、知らぬか?」
「男のひとってだけじゃねぇ…。手がかりは?」
「優しくて強い。母親と出会った時、三十代半ば」
「ほかには?」
「人間の男」
「…ほかには?」
「ほかに?」
「髪型とか、顔の特徴とか、仕事とか。そもそも、名前は?」
「名は知らぬ。しかし顔は判るぞ。日焼けはしているが精悍な顔つきをした男じゃ。以前、母親が似顔絵を描いて見せてくれたことがあるからな」
「それ、今ある?」
「無いな。家の者に取り上げられてしまった」
あっさりと言ったミーコに、クロはややあってから「でも」と返す。
「その似顔絵、覚えてるんでしょ? 紙と筆を持ってくるから、描いてみて」
「わかった」
そうしてクロが紙と筆を持ってきて、ミーコは筆を執った。それはもう真剣に描いた。しばらくして、似顔絵が出来上がる。シロとクロが覗き込んだ。
この世に二つとないであろう絵が、そこにあった。
「……虫…?」
「猫でしょ?」
「ひとじゃ!」
「だってこれどう見ても触覚だろ」
「違うよ、耳でしょ」
「腕じゃ! わらわと会えたことに両手を上げて喜んでおるところじゃ!」
「頭のてっぺんから腕が生えるか」
「判った、これはひげでしょ? お父さん、ひげを生やしてるの?」
「これは目じゃ。わらわに会えてうれしくて、目じりを下げておる」
「どんなに下げても目は顔から出ねぇんだよ。新種の妖怪か」
「中央にあるのはほくろ?」
「口じゃ」
「ちっちぇえな」
「ええい、文句ばかり言うな! 少々大げさに描いた方が似顔絵としてわかりやすかろう!」
「まずこれが似顔絵だってことが判らねぇよ」
シロが切り捨てるように言うと、ミーコはぷうと頬を膨らませた。
「で、そなたらに心当たりは」
「妖怪に心当たりなんかあるか」
「この絵じゃちょっと判らないなぁ」
「む…。では、優しくて強い男ではどうじゃ?」
「あのな、本当に優しくて強い男かどうかなんて、深く付き合わないと判るもんじゃねぇだろ。っつーか、探しに出るなら母親に名前くらい聞いて来いよ」
「母親は亡くなった。聞こうにももう聞けぬ。そして先にも言ったが家の者は教えてくれなんだ。本当に知らないだけかもしれぬが」
「え、お母さん、亡くなってるの?」
「うむ。身体を弱らせてな。父親にその事を知らせたい、会いたいと言ったら閉じ込められたので、抜け出してきたのじゃ」
「閉じ込められた…? どうして父親に会いたいってだけで」
クロは眉をひそめたが、ミーコは表情を曇らせない。
「そうじゃのぅ。申し訳無いが、事情があるとしか言えぬ」
「でも、どんな事情があったって閉じ込めるなんて酷い」
「ありがとう。しかしそれは良いのじゃ。こうして抜け出せたことじゃしな。もともと家の敷地から外に出たことは無かったのじゃが、母親が亡くなってから行動範囲をもっと狭くされてしまったことは、さすがにちょっと窮屈であった」
「そう…。事情はよく判らないけど、それは大変だったね」
「大変だったのは抜け出してからじゃ。凍えたのもひもじいのも初体験であった。しかしわらわはついておる。わずか二日でシロが拾ってくれたからな」
言って、にっこりと笑う。シロは他人事のように「そりゃ良かったな」とつぶやいた。
「わらわのことより、父親のことじゃ。やはり、名前が判らないと探すのは難しいか?」
「うーん。手がかりが無いんじゃ、ちょっと難しいかも」
「というよりほとんど不可能だろ。巫女なら出来そうだけどな。神のご神託ってヤツがあれば」
「それこそ不可能じゃ。神にも巫女にも会うことは出来ぬ」
「だろうな」
人間は、誰であっても神に拝謁することは出来ない。約五百年前に巫女制度が出来て以降、巫女という仲介役がいなければ、言葉をもらうことさえ出来ないのだ。
そして巫女は、今ここにいる。
一度神界に召し上げられた者は、巫女であれ神官であれ神の許可なく人里に下りることは出来ない。神界から抜け出すことそのものが大罪だ。捕まれば死刑もあり得る。もし死刑になれば、歴史上二例目となるのだが、この幼い巫女は、そのことを解っているのだろうか。
巫女はすでに指名手配されている。手配書には似顔絵こそ載っていないものの、身体的特徴が書いてある。逃げ出した巫女を大罪人として神界が総力を挙げて探し出す、有益な情報を神関にもたらした者には報奨金を出す、とも。
シロとクロが住むこの村周辺には住民は少ないとはいえ、見慣れない子どもが歩いていたら目立つだろう。ひとが少ないなら、なおのこと。シロがここまで帰って来る間、人目を気にはしなかった。雨だからそんなに人通りは無かったとはいえ、誰に見られているかも判らない。
思案するシロの向かいで、クロがうーんと唸る。
「まあ、仮に謁見できたとしても、神さまが個人的な人探しに協力してくれるとも思えないしねぇ」
「そうであろうな。しかし問題は無いぞ。母親が以前に出歩いた場所は限られておる。そのうち、まだ人里があるのはこの辺だけじゃ」
「なら、この辺の住人を虱潰しに当たれば会えるかも…?」
「そういうことじゃ。というわけで、世話になったな。わらわはもう行く」
「え、今から? でもまだ雨が」
「じきに止むであろう。わらわは一刻も早く父親に会いたいのじゃ」
そう言って立ち上がったミーコを、シロは頭から押さえつけて無理矢理座らせた。
「なにをする!」
「この辺りの地理に明るくない奴が、がむしゃらに探し回っても無駄足になるだろうが」
「確かに来たことはないが、案ずることはない。この世界の地図ならすべて頭に入っておるからな」
「すべてってどういう…。いや、それよりお前、指名手配されてる自覚あんのか」
「手配されているのは巫女であってわらわではない」
頬を膨らませた少女に、シロは舌打ちをした。
「じゃあ言い方を変えてやるよ。指名手配されている巫女は、お前と背格好がよく似ている。村人が間違えて関所に連絡したらどうすんだ。神官も全員が巫女の顔を知ってるわけじゃねぇ。後から巫女じゃないって判明しても、お前が家出している未成年だってことに変わりはねぇんだ。間違いなく連れ戻されて、今度こそ一生軟禁されるぞ」
「むぅ…。ではわらわは、どうすれば良いのじゃ」
ここに来て、ミーコの表情が初めて曇った。そんなミーコに、シロは大きなため息を吐く。
「俺は、面倒くせぇことは嫌いだ。なにかを背負い込むは無い」
「ちょっと、シロ」
「だから、手伝ってやるよ。親父探しを」
その言葉に、ミーコは顔を上げた。その顔には驚きが広がっている。
「巫女を匿っても迷子を放置しても、どっちにしろ関所には説教されるからな。ならもう、俺の親戚ってことにしておくのが一番面倒が少ないだろ」
「シロ…。良いのか?」
「良いもなにも、それ以外に面倒が無くて済む方法があるなら教えてくれ」
ぶっきらぼうに言い捨てたシロを、ミーコは少しの間見つめていた。そして、心底うれしそうに笑う。
「ありがとう。やはりシロは良い奴じゃ。わらわはうれしい」
「やめろ。俺の為だ」
「じゃがわらわの為でもあろう?」
「そう思うなら勝手に思ってろ」
「ふふふ」
にこにこしているミーコにもう一度舌打ちして、シロはごろりと横になった。
「む、なにをしておる。一緒に行ってくれるのではないのか」
「明日からに決まってんだろ。こんな雨の中、具合の悪いガキ連れて出歩けるか」
「わらわは具合など悪くないぞ」
「鏡見て来い、幽霊みたいな白い顔してるガキが映ってるから」
シロがそう言うと、ミーコは自分の両手で頬をぺたぺたと触った。そうしたところで、自分の顔が見えるわけはないのだが。
「俺の読み通りなら明日はたぶん晴れる。だから今日はやめておけ」
「そうだね。今日は止めておこうよ。二日間も外にいたんでしょ。疲れてるんだよ」
「そう…か?」
「そうそう。本当に顔色悪いし。元気よくお父さんに会いたいでしょ?」
「それは、確かに」
「ね。ご飯も食べたし、もう少しお昼寝して来たら? さっき寝かせていたのはあたしの部屋だから、夜は一緒のお布団になるけど。ごめんね、うちには二人分のお布団しかないから」
「それは、謝ってもらうことではないが…。むしろ謝るのは急に来たわらわの方であるが」
言いながら、ミーコはそっと身体を強張らせた。視界の端で、シロはそれを捕えていた。なにかを言う気にはならなかったが。
「どうかした? 寝てくる?」
「いや…。なんでもない。もう眠くはないから、大丈夫じゃ」
「そう?」
「うむ。えーと、ところで、シロとクロは夫婦なのか?」
あまりにも急激な話題転換だったが、クロは笑って違うよと首を振った。
「兄妹だよ。シロの方が兄貴」
「ほう、兄妹。あまり似ていないな」
「うん、よく言われる。まあ、異性の兄妹なんてそんなもんじゃないかな。歳も違うしね。ミーコは、兄妹は?」
「おらぬ。わらわにいたのは母だけじゃ」
「そっか。じゃあ、お母さんが亡くなってさみしいね」
「うむ。さみしい。じゃからもう、わらわには父親しかおらぬのだ」
しゅん、とうなだれたミーコの頭をクロが優しく撫でた。
「よしよし。見つかるといいね。大丈夫だよ、あたしたちも協力するからね」
「クロとシロは、他に家族はおらんのか?」
「いないよ。二人だけ」
「ずっとここに、二人でいるのか?」
「うん。もうずっと。……昔は、旅に出たこともあるんだけど」
「クロ」
黙っていたシロが、そこで寝転がったまま口を開いた。
「仕事、途中だろ」
「あ、そうだね。続きしようかな」
「仕事? 何をしておるのじゃ?」
先ほどのミーコと同じくらい急激な話題転換だったが、ミーコは気にしなかったようだ。
「今日はお裁縫。この辺の村のひとたちのお裁縫をほとんど請け負ってるの。あと、薬草を煎じたり藁を編んだり籠を編んだり。それで物々交換で生活してるのよ。今日は雨が降っているから、出来るのはお裁縫だけね」
「裁縫か。器用なのじゃな。わらわは針を持ったことも無い。その仕事、わらわも見ていてもいいか?」
「もちろん。仕事場はあっちだから、一緒においで」
手をつないで、ミーコとクロは居間から出て行った。出会ってまだ数時間なのに、歳の離れた姉妹のようだ。その様子を見るともなしに見送ってから、シロは寝返りを打った。
なんでわざわざ面倒事を背負いこんでんだ、俺は。
会ったこともない、縁もゆかりもない他人の親子。再会させることでシロになんの利益があるというのか。
それを考えることすら面倒くさくて、目を瞑った。




