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出会い

 シロとクロは、幼馴染だ。出会ったのは、シロが十歳でクロが八歳の時。


 シロの家系は代々神の守護者をしていて、シロは命宝の術を使えなかったので、当然のように守護者としての教育を施された。当時住んでいたのは、神界の一画。シロの父親は主席守護者だったので、神の住まう屋敷の敷地内に家をもらっていたのだ。次代の主席守護者になるべきシロの教育は、すべて神の屋敷内で行われていた。座学は屋敷の一室で、剣技は庭で。幼いころのシロは、神界から出たことはほとんど無い。従って、神族とはいえ一般庶民の出であるクロと出会う機会は本来なら無いはずだった。それでも二人が出会ったのは、シロが生来の面倒くさがりだったからだ。

 神というのは位でしかない、とシロは思っていた。同じ太陽から降りてきた者だ。少々術が使える使えないくらいの違いで分けられるのはおかしいと常々思っていた。滅多に会うことも無い、大して尊敬できるわけでもない神を護るために受ける授業が、ある日急に嫌になった。前々から嫌だとは思っていたが、その頃にシロの教育を担当していた者がやたら熱く守護者の必要性を説くので、話を聞くのが鬱陶しくなったのだ。


 その教育者は言った。

 曰く、この世界は神の為にある。

 曰く、この世界は神のもとに平等である。

 曰く、この世界で神に尽くせることは至上の喜びである。

 曰く、神の首席守護者であることはなによりも誇りに思わなければならない。神以外のすべての生命体からの憧れであるということを自覚せねばならない。

 うんざり、という言葉がこれ以上しっくりくる状況も、中々思いつかなかった。

 

 言い返すのも面倒だったが授業を受けるのはもっと面倒くさくなった。シロは、心のままに神界を抜け出した。どこでもいいから駆け出したかった。

 後から考えれば、この日が運命の分かれ道だった。初めての人間界というわけではなかったが、なにせ十歳の子どもである。なるべく関所から離れようと走っていたら、あっという間に道に迷った。お約束のように雨も降ってきた。しかも季節は冬だった。

 当然、凍える。とりあえず雨を凌げるところへ行こうとでたらめに歩いたら、馬車停留所を見つけた。ついている、と思った。停留所には屋根がある。腰掛もある。風までは防げないが、ただ雨に打たれているよりもずっといい。これ幸いと中に入ったら、隅の方に先客が居た。

 それが、クロだ。


 クロも濡れていた。頬を伝う雨がまるで涙のようだった。

 何故クロがそこに居たのか、今となっては覚えていない。忘れたのかもしれないし、最初から訊かなかったのかもしれない。シロにとって重要なのは、そこではないのだ。ただ、二人は出会った。雨が降りしきる中、停留所の屋根の下で。


 そうしてその後、約束も無く、時々神界を抜け出しては停留所の中で会うようになった。シロがひとの気配に敏感になったのは、この頃からだ。神界を抜け出すには、目立たずに行動する必要があった。抜け出した後にどんなに怒られても、クロに会いたかった。

 同時に、授業を真面目に受けるようになった。あくまでそれまでと比べれば、の話だが。真面目に授業を受けてちゃんと結果を残せば、教育係の文句と補講が減ったからである。そうやって時間を工面して、クロに会いに行った。約束をしたことは、一度も無かったが。

 クロが特別な存在になるまで、そう時間はかからなかった。二人が会う日は、何故か霧雨が降ることが多かったのには、なにか意味が在ったのだろうか。

 どうでも良い。意味なんか、在っても無くても。出会ったそのことに、意味があるのだから。


 あれはもう、何百年前の話だろう。出会った瞬間のことを、そしてその後何度も会ったことを、昨日のことのように思い出せる。それは確かに、シロが生きる理由だった。


 そうして、今。


 二つの玉が目の前にある。シロの命とクロの記憶。返してもらったということは、本当にシロは自由の身になったということだろう。

「シロ…」

 クロはただ、シロの言葉を待っている。もう、自分が何者かを察しているのかもしれない。元々聡い女だ。記憶は無いまでも、考えつくことは可能だろう。

 女神が死んだら術は解けると聞いていた。それなのにシロもクロも無事だったということは、女神が娘に術を預けて逝ったからなのだろう。もしかしたら、彼女なりの温情だったのかもしれない。そもそも、五百年もの間子どもを作らずに独りで生きていたということ自体が、シロたちへなにか思うことがあったという証なのかもしれない。

 あの時、血の海の中で凄絶に笑っていた女神が謝るという姿は想像も出来ないが、五百年あれば性格は多少なりとも変わるのだろう。シロも変わったように。

 クロと神界から出て、しばらくはどうしたらいいのか判らず彷徨った。あちこちを放浪したが、放浪先で二人の関係を訊かれたら、誰よりも先にクロが「兄妹です」と答えた。屈託のない笑顔で。そのたびシロは、なにも言えなかった。しかしそうじゃないと告げることも出来ない。時間を掛けてどうにか自分の感情を殺していった。元々表情が豊かな性質ではないが、そこにさらに輪をかけて行ったのは仕方が無いことだったと思う。

婚約者だったクロを妹だと思い込むのにはかなりの時間を要した。クロからの、「兄」に向けられる笑顔も辛かった。しばらくは直視できなかった。しかしシロが離れれば、クロはまた死んでしまう。離れ離れになること、それだけは避けたかった。神々と同胞の命を容赦なく奪ったシロだが、たった一人の女の命は奪えなかった。


 シロは苦しんだ。愛しい女がそばで笑っているのに、少し前まで家族になろうとしていたのに、二度と想いは届かない。抱きしめることすら叶わない。指一本触れられない。かといって、離れることも許されない。


 女神を討って自分も死のうと思ったことが、何度もある。実際に、神界に潜り込んだこともある。しかし、そうするとクロがまた死ぬ。それだけは、どうしても、耐えられなかった。自分が死ぬことは覚悟できたが、クロだけには死んでほしくなかった。結局、忍び込んだ神界からはすごすごと帰ることしか出来なかった。そんなことが、数度あった。今度こそと覚悟を決めて神界に向かうのに、なにも知らないクロが微笑むたびに、その笑顔を思い出すたびに、断念するしかなかった。

 女神を討ってもシロが三日以上離れても、クロはまた死ぬ。そばにいても離れても苦しいのなら、せめてそばに居たい。そばに居よう。そう腹を括れたのは、何度目の断念の後だったか。


 そうして五百年以上、シロは耐えた。ただ、クロが息災であるように努めた。他人にクロを妹だと紹介するのにもようやく慣れてきた。自分が苦しむことでクロが生き長らえるなら、それでいいと思い始めたのだ。そうやって苦しむことが、罰なのだと思っていた。

 だというのに。


 クロの記憶が目の前にある。これをクロに返せば、シロは兄から婚約者に戻ることが出来る。いや、もう婚約者とかいう甘い関係には戻れないだろうが、とにかく他人には戻れる。クロが処刑された後でシロがしでかしたことを知れば、クロは傷付き怒るだろう。自分の覚悟を無駄にしたと、泣いてシロを責めたてるかもしれない。クロのことだ、自分のせいでシロが罪を負ったと苦しむことも想像がつく。それでも、クロはまたシロを見るだろう。兄としてではなく。

 記憶を返し、経緯を話し、二人で何かしらの決断をすべきだ。解っている。

 解っている。

「―――………」

 シロは固く目を瞑った。

 瞼の裏では、ふふふとミーコが笑っている。

「…あのクソガキ…」

 最後まで笑っていた。わざと傷付く言葉を選んだシロに、まるで解っているとでも言うように。結局、一度もわがままを言わなかった。


 この宝玉二つを盾にすれば、シロはミーコの言うことを聞かざるを得ない。ここに置けとも攫って逃げろとも言えたはずだ。ミーコは知っていたのだから。二つの宝玉が、どんな意味を持つのか。

 あの少女はシロとクロに自由を返して、自分は独りで戦場ともいえる神界に帰っていった。神官たちは深々と頭を下げていたが、はたしてあの中に、ミーコの本当の味方がどれだけいるのか。本当に、ミーコは護られるのか。身体的に攻撃はされないとしても、孤独な心に寄り添ってくれる者はいるのか。

「ち…。面倒くせぇ…」

 つぶやかずにはいられなかった。

 面倒くさいことは嫌いだ。そもそも守護者になったのも、その家系だったからというのに過ぎない。親に逆らって他の仕事を探すのも面倒だったのだ。剣の修業は好きだったから、堂々と帯刀できるという点だけは利点だった。まあ、クロに出会うまで授業はたびたびサボったし、出会ってからも適度にサボったが。


 詳しい経緯は聞かなかったが、クロは天涯孤独の身らしかった。望まれて太陽から降りてきたはずなのに天涯孤独だというのも不思議な話だが、とにかくクロに家族はいなかった。

ともに守護者にならないかと誘ったのはシロだ。産まれて初めて神々や同胞に頭を下げて、クロを仲間に入れてもらった。長老は快諾してくれた。家族がいないのなら、我々を家族と思えばいいと。そう言って笑っていた。


 まさか、快活に笑っていたその長老に処刑されることになるとは思いもよらなかった。シロが守護者に誘いさえしなければ、クロは生きていたはずなのに。


 結局、クロを死なせる原因を作ったのはシロなのだ。


 後悔と罪悪感で、何度も吐いた。原因不明の頭痛がした。めまいが止まらず、全身に力が入らなくなった。涙は枯れることを知らず、何日も眠れなかった。どんどんやつれていき、立てない日もあった。なのに、彼女を処刑した長老はすっきりとした顔で眠るように息を引き取った。気が済んだと言わんばかりのその死に顔を見た瞬間、復讐心がシロを支配した。仕方が無かったのだ、「犯人」は必要だったのだとこぼした同胞たちも許せなかった。明確な殺意を以て、シロは剣を抜いた。もしあの場に戻れたとしても、シロは何度だって剣を抜くだろう。


 結果的に、シロは復讐を成した。待ってくれ、助けてくれと懇願する相手を、ものも言わずに斬り伏せた。ためらわずに首を刎ねた。その対価が、五百年の孤独。命宝を女神が握っている限り、死ぬことも出来ない。クロは自分のことを忘れたまま、妹としてシロに笑いかける。生きている限り。いつまでこのままなのだろうと、考えては絶望する日々。考えないようにしていても、ふと湧いて来る焦燥感。

 やはりあの時、女神を殺しておくべきだったのかもしれない。そうして、自分たちも死ぬべきだったのかもしれない。今度は、ともに。

「……ああ、でも、そうすっと…」

 間接的に、ミーコの命まで奪うところだったのだ。


「シロ…?」

 控えめなクロの声。

 どうする。もう、どうしようもない。ごまかすことは出来ない。この宝玉はなんだと訊かれれば、正直に答えるしか無いのだろう。

「クロ。お前の、ことなんだが」

「うん。あたし、なにか、おかしいよね? なんか、胸騒ぎというか、眩暈というか。なんかおかしいの。シロとミーコはわけが解っているみたいだけど、あたしなにも解らない。それにあたし、なんか、変な話なんだけど。大昔に、死んだような…」

「…ああ」

「なにがあったの? あたしたちがここにいる理由って、あたしが思っているのと違うの? 謀反ってなに? 守護者って、なんのこと? あたしたち、兄妹だよね…?」

「……」


 クロにはあるのは偽りの記憶だ。神界において罪を犯したシロが、同じく神界で働いていた妹を人質に取られないよう、連れて逃げたのだと思い込まされている。罪の内容は、当時巫女だった女性への横恋慕。

 神からの宣託を受け、人生を神に捧げることになった女性を見初めて駆け落ちしようとした、と思い込まされているのだ。婚約者のクロが。ミーコを拾ってきた時、いいと思うかと訊いたシロをクロが気遣ったのは、巫女だからだ。想い人を思い出すことになると信じていたからだ。


 クロが甦ること、偽りの記憶。孤独感。すべてがシロへの罰だ。


「どうしても話したくないなら、いいけど」

「いや、そういうわけじゃ」

「ミーコ、笑ってたね」

 ほんの少し前までミーコが立っていた場所を、クロは慈しむように見る。

「今朝ね、ミーコに言われたの」

「なんて」

「羨ましいって」

「なにが」

「シロみたいなお兄ちゃんがいて」


――わらわも、兄妹がほしかったのぅ。シロのような兄ならとてもうれしい。

――兄妹とは、孤独を和らげてくれるものなのじゃろう?

――ああ、でも。

――わらわのような妹がいては、シロは面倒だとしかめっ面をするかもしれぬ。

――それはそれで、見てみたいが。


 ふふふ、と笑う少女の顔が目に浮かぶ。口元に手を当てて、本当にうれしそうに、楽しそうに。この世の害悪など知らないような顔で。


 七十年もの間、散々害悪に晒されてきたくせに。

 たった独りで、戦って来たくせに。


「ミーコはきっと、ずっと寂しかったんだね」

 甘え方を知らない少女。それでも、ひとの好意にはきちんと礼を言える少女。謂れなく牢屋に閉じ込められてなお、誰に対しても恨み言一つ言わなかった。自分の要求は、いつでも相手が損をしないものばかり。


 最初に拾った時、抱きかかえられたミーコは見晴らしが良いと言って喜んだ。

 肉まんは、見たいと言っただけで決して欲しいとは言わなかった。

 父親を捜しに出た時、一睡もしていないというのに疲れどころか空腹さえも訴えなかった。

 一方のシロは、クロの記憶を目の前にしてなにも決断できずにいる。あんな少女が、大人たちに頭を下げられて無理に決断をしたというのに。

 最後まで、笑って。


「…情けねぇ…」


 つぶやいた声は、本当に情けなかった。

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