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あなたの孤独に終止符を

 二年が経った。


 神の代替わりが公表され、年号が変わってからは一年だ。

 この世界をよりよいものに改革していく為、手始めとして巫女制度の廃止も同時に公表された。各地の関所には新しく目安箱が設置され、今後はそちらで対応していく、ということになった。

 記名は自由で、しかも用紙を入れるだけでいいという手軽さから、目安箱は大いに役割を果たしている。


 人々の生活は、なんら変わりが無い。

 朝起きて、子どもたちは寺子屋へ、大人たちは仕事へ行き、それぞれの役割を果たす。新しい神は、二ヶ月に一度ほどの回数で各地に視察に赴き、人々の生活に直接触れる。新米神が特に力を入れているのは、病院の改革だ。特に孤独死だけは無いようにと、高齢者の独り暮らしの家を重点的にまわっている。

 代替わり発表直後は、新しい神の幼い姿に心配の声も上がったが、少女のひたむきさに今では応援の声の方が大きい。


 神の即位前に反逆を企てていたとされる者たちは、命宝を返され神界を追放されるだけの罰で済んだ。甘いと言われても、神はそれ以上の罰を与えることを断固として拒否したのだ。彼らが今どうしているのかは、誰も知らない。


 そうして、神は政務に励んでいた。

 相変わらず遠巻きに見ている者もいたし、反対にすり寄ってくる者も増えたが、神は愚痴一つこぼさなかった。それが役割だと知っていたからだ。そうでなくとも、愚痴を言える相手もいない。

 毎朝、目安箱に入っている嘆願書に目を通す。目安箱が周知されてきたからか、段々と文書は多くなってきている。夫婦喧嘩の仲裁依頼から、川の氾濫にそなえて堤を作ってほしいというものまで、内容は様々だ。

「ふむ…。寺子屋の教室の増加か。これは急務であるな」

 内容を確認しては、重要度別にかごに入れていく。神自らがそのようなことをしなくても我々がします、と言ってきた神官もいたが、神はその申し出を断った。人々は、目安箱に入れれば神に届くと信じて入れている。裏切るわけにはいかない。


 今日の分の嘆願書を読み終わって、神はふぅと息をついた。政務室は広い。二年前にたった三日、世話になった家とは比べ物にならないほど。今日もあの時と同じように霧雨が降っている。

「…息災であるかのぅ」

「み…いえ、神さま、なにかおっしゃいましたか」

「いや、なんでもないぞ。しかし、その巫女と呼びかけるのは中々変わらんのぅ」

 神の言葉に、女官は深々と頭を下げた。

「申し訳無いことでございます。なんなりと罰を」

「なにを言っておる。罰などあろうものか。謝ることでもない。習慣を変えることは難しいからな。……じゃが、もし、良かったら、の話であるが。ミーコと呼んでも良いのだぞ」

「滅相もないことでございます。神様をお名前で呼ぶなど、不敬でございます故」

「不敬など」

「ご命令であれば、従いますが」

 こうして会話をしていても、女官は顔を上げようともしない。女官の身分で神と目を合わせることも不敬なのだそうだ。誰が決めたのか知らないが。これのどこに平等があるのだろう。

 神は、小さく笑った。


「命令ではない。いや、無理を言って悪かった。気にすることはないぞ。――さて、今日の分は読み終わった。次はなんであったか」

「お客人にお会いいただきとうございます」

「おお、そうであった」

 神に就任してから、とにかくお目通り願いたいと言ってくる者があとを絶たない。各地の関所の責任者はもちろん、権力者から一般庶民まで枚挙にいとまがない。巫女制度を廃止し、神が直接視察に赴くということは、頼めば会ってくれるということだと思っているらしい。それが誤りだと言うつもりは無いが、いつ不届き者が入って来るか知れたものではないと、神官たちはあまりいい顔をしない。たとえ、人間は神に攻撃が出来ないように出来ているとしても。


「今日は何人じゃ?」

「午前中は、二名でございます」

「なんじゃ、今日は少ないな。では、参ろう」


 神が代替わりしても、この世界の不文律は平等性だ。神に会えた者と会えなかった者を生まないため、神は同じ部屋にはいるが御簾越しで、直接言葉を交わすこともない。また、面会するのも一人一人ではなく複数人でということになっている。

 客間に入ると、すでに男性の神官が待ち構えていた。二年前に迎えに来てくれた神官の一人、孝之だ。彼はよく仕えてくれていて、神は彼を信頼している。今では孝之は、神の護衛のようなものだ。神官長をしているのは政義で、彼もよく勤めてくれていると神は思っている。神を心配するあまり、面会には反対のようだが。

 孝之に待たせてすまぬと言ってから、神はいつものように上座に座った。即座に女官がやってきて御簾を降ろす。孝之は神の後ろに帯刀して立つ。なにがあっても対応できるようにとの配慮だ。

「では、通すが良い」

 神が言うと、女官が客人側の襖を開けた。ややあってから、二人分の足音が近づいてくる。

「神の御前でございます」

 女官がそう言うと、二人が平伏する。御簾越しだと影しか分からないので、神はあまり御簾が好きではない。やはり、相手の顔を見て話がしたいのだ。それをある神官に言うと、「とんでもない」と退けられてしまったが。なにがとんでもないのかは判らない。

「では、奏上を」

 女官の言葉に、すうと息を吸い込む気配があった。平伏のままだ。御簾越しとはいえ、神の御前で顔を上げることは許されない。

「……本日はご多忙中、お目通りが叶ったこと、恐悦至極に存じます」


 男の声がした。

 低い、しかしはっきりと通ってくる声。

 その声を聞いた途端、神は目を見開いた。ぽかんと口を開けることになった。


 ――まさか。


「この度は、当代神さまにぜひともお聞き入れいただきたい願いがあり、図々しくもこうしてまかり越しましてございます」


 心臓が鳴った。

 この声。

 忘れるわけがない。

 神は立ち上がって、ばっと後ろを振り返った。孝之がいない。


「た…」

 神に会いに来た者が無礼なふるまいをした時の為、上座の向こう側、神の背後には小さな戸がある。そこから孝之は音を立てずに出て行ったらしかった。


「どうかお聞き届けくださいますよう、なにとぞお願い申し上げます」

 神が状況を把握出来ない間にも、素知らぬふりで奏上は続く。矢も楯もたまらなくなって、神は御簾を跳ねあげた。

 そこに、男女が一名ずついた。

「……シロ…。クロも」


「わたくしの名は白雨(はくう)。ともにおりますのは雀絽(ざくろ)と申します」

 こぎれいな衣装に身を包んだシロとクロが、折り目正しく座っている。平伏したままなので顔は見えないが、見間違えるはずも無い。


 神が御簾から出てきたというのに、慌てふためくはずの女官の姿が無い。孝之も戻ってくる気配は無い。部屋の中には、シロとクロと神だけがいる。


 しばらく固まっていた神だったが、やがて言うべき言葉が見つかった。確か官吏は、誰かと話したいときはこの言葉を言えと言っていたはずだ。

「……面を、上げよ。直答を許す」

 神がそう言うと、シロとクロはゆっくりと顔を上げた。

「シロ。クロ…」

 呆然と名前だけをつぶやく神に、シロは胸を張って言葉を発した。彼は無表情だ。

「ご存知の通り、わたくしは大罪人でございます。先代神さまのご温情により命を助けていただいたにも関わらず、己の罪に背を向けて生きてまいりました。しかし今はそんな己を恥じ、猛省しております。後悔ばかりしておりましたが、今一度償いの機会をいただきたいと愚考いたしました。もしお許しが出るのなら、今後は当代神さまにこの命を捧げたいと切望し、この場に臨んだしだいでございます」

 そこで、二人は深々と頭を下げた。

「どうか、我ら二人を神さまの護衛として神関の末席に加えていただけますよう、伏してお願い申し上げます。我らは決して御前を離れず、裏切らず、微力を尽くして神さまのお役に立てるよう、精進してまいります」

 神は瞬きもしなかった。ただ、シロを見ていた。どれほどの沈黙があったか。やがて発した神の言葉は、震えていた。

「シロ、それは…」

 ふらりと、シロの前に歩み寄る。シロは顔を上げた。表情は読めない。


「それは、つまり、あれか。わらわを助けてくれると…。また手を差し伸べてくれると、そういうことか…?」

「お許しいただけるのならば」

「そなたになんの利益があるのじゃ」

「決まっております。――あなたをおそばでお護りできることです」

 二の句が継げない神に、シロは笑った。やっと、笑った。

「とことん関わってやるって、自分で決めたことだからな。俺は拾ったものの面倒は最後まで見る主義なんだよ」

 口調を変えて、正座も崩したシロは、服装以外は二年前となんら変わりが無い。

「どうせもう心配で仕方がねぇんだ。なら、目の届くところにいたほうがいい」

 シロの言葉に、神は唖然とする。何度も何度も夢見た光景が、今目の前にある。夢に見るほど思ったのだ。ここに居てくれればと。そばに居られたらと。もう一度、手をつなげたらと。


 思ってはいたが、それでも神は、ゆるゆると首を振った。


「…たわけか、そなたは。こんなところでなにをしておるのじゃ。せっかく自由にしてやったというのに」

「まったくだ。どうしようもないたわけだよ。けどもう、どこで何をしようが俺の自由だ。なら、ここにいる。――ミーコ」

 シロは、くしゃりと神の――ミーコの頭を撫でた。

「護らせてくれ。今度こそ」

「シロ…」

 どう応えていいのか判らずにクロを見たら、クロは静かに微笑んでいた。

「…クロ。クロも、良いのか? そなた、記憶は…」

「記憶はございます」

 シロは、クロに記憶を返したのだ。そしてこれまでの経緯を、あますところなく伝えた。

 シロの予想通り、クロは傷付いた。悲しんだ。涙は滂沱と流れた。それでも、クロはシロを責めることはしなかった。

 一人で泣かれるよりも責められたほうがずっとましだと訴えたシロに、クロはただ首を振った。


「辛く、苦しい記憶でございました。されど、罪は白雨だけにはございません。元はと言えばわたくしの浅慮が招いた結果の惨劇でございます。一度は亡くしたこの命、先代神さまへのご恩返しといたしましても、当代神さまの為に使わせていただきたいのです」

「クロ…」

「これからは白雨とともに、犠牲にしてしまった者たちへの冥福を祈りながら、償いの道を歩きたいと思っております。許されるなら、当代神さまのお傍で」

 ミーコは、じっとクロを見つめた。

「…二年間、どう過ごしておった?」

「石を彫っておりました」

「石を?」

「はい。五百年前、犠牲にしてしまった者たちの為に祠を作りました。もちろん遺体はございませんので、魂だけでもと思った次第でございます。その祠に、全員分の名を刻んだ石碑を奉ろうと、手で彫っておりました」

「さようか」

「自己満足であると言われれば、返す言葉もございません。そうしたところで、彼らが戻ってくるわけでもないことは理解しております。しかし、なにもせずにはいられなかったのです。彫り終わった今はただ、安らかであれと祈るほかございません」

「……さようか」

 うなずいたミーコに、今度はシロが声を掛けた。わざとらしく、居住まいを正している。

「お返事を」

「ん?」

「わたくしどもを、神さまのおそばに置いていただけるか、否か」

「そんなもの、決まっておろう!」

 思わず声を荒げたミーコに、慈しむような笑顔を見せたのはクロだった。

「ごめんね。二年間も、独りにして。……寂しかったよね」

「わらわの、さみしさなど…」

 ミーコは、目頭が熱くなるのを自覚していた。


 会いたかった。ずっと、会いたかった。また、抱き上げてほしかったし、一緒に食事をしたかった。広いだけの風呂は寒かった。

 本当は、さみしかった。

 シロが独りで耐えた五百年間を思えば、さみしいと自覚することさえも許されないと思っていたけれど。

 二年間、誰もミーコの名前を呼んでくれなかった。ただの一度も。なにがミーコだと、嗤う者もいた。

 名無しのくせにと。


「シロ、クロ…」

 ぽろぽろと、こぼれてくる涙をミーコは隠しもしなかった。

 しかし、どう言えばいいのか判らない。なにをどう言えば二人に伝わるのか、判らないのだ。伝えたいことは、たくさんあったはずなのに。


 やがて口を開いたのはシロだった。

「ミーコ。遅くなって悪かった」

「遅く、など」

「お前の孤独もここまでだ」

 二年前、ミーコがシロに告げた言葉。彼はしっかりと覚えていてくれたらしい。

 どう答えたものかと考えていたら、シロが立ちあがった。


「雨が止んだな」

「……は?」

 顔を上げると同時に身体が浮いた。

「約束だったな。晴れたらまたこうしてやるって」

 これもシロは覚えていた。あれは約束ではなく、一方的な要求だったのに。

 ひょいとミーコを抱え上げたシロは、足を外に向けようとする。

「庭でも歩くか。さすがに、政務中の神さま連れて下界を散歩は出来ねぇからな」

「シロ」

「前にも言っただろ。言いたいことは言え。俺に利益がある時は聞いてやる」

「シロ…。では訊くが、今そなたがこうしておることに、なんの利益があるのじゃ」

「お前が笑う」

「!」

 ミーコは、思わずシロの首にしがみついた。そんな様子を、同じく立ち上がったクロが慈愛に満ちた表情で見つめている。

「シロ、クロ。…頼む」

「なんだよ」

「なぁに」

「わらわの、そばで、名前を呼んでくれ。これからも、わらわを助けてくれ。……わらわは、さみしかったのじゃ」

 シロが微笑んだことは、首にしがみついているミーコには判らない。クロが手を伸ばして、ミーコの頭を撫でた。

「喜んで。我が神ミーコ」


 その日、ミーコは二年ぶりに声を上げて泣いた。

 霧雨が止んで、空は晴れていた。

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