別れ
反逆者たちが完全に見えなくなってから、政義はミーコの前に膝をついた。
「巫女さま。お迎えが遅くなったこと、本当に申し訳無いことでございます」
頭を下げてそう言って、それから彼はシロたちを見上げた。
「そなたらが、巫女さまを護ってくれたのだとお見受けする。神官を代表して、心から感謝申し上げる」
「政義。わらわは巫女ではないぞ」
「は。そうおっしゃいますと…」
「元々宣託を受けたのでもないしな。わらわはただのミーコじゃ。これからは人間界で生きていく。そなたらは帰るが良い」
「ミーコとは、猫でございますでしょうか。巫女さま、どうかお戯れはそこまでにして、神界にお帰りいただきたく存じます」
「断る。わらわはミーコだと申しておる」
「巫女さま、どうか」
膝をついたまま頭を下げる政義の前に、シロが屈みこんだ。
「うるせぇな。どいつもこいつも好き勝手にひとんちに押し入りやがって。こいつがミーコって言ってるんだからそれでいいだろ」
「先ほど、御免と申し上げたであろう」
「それを言えば住居不法侵入が許されるってことか? そういうことだな?」
「いや、それは」
「それとも神官だから許されるってか? そんな不平等なことがあっていいのか?」
「不平等など…!」
「ということで、帰れ。こいつは巫女さまじゃねぇよ。俺の親戚のガキってことにするから、とっとと帰れ」
すすす、とミーコはシロの後ろに隠れ、首だけ出して政義を見る。
「うむ。わらわはシロの親戚になる。そう決めた」
「恐れながら、親戚とは決めたらなれるものではございません」
「そんなもん、なんかの拍子で急に血がつながるかもしれねぇだろ」
「そんな急はございません」
頭を下げたまま、政義は的確に答えてくる。ミーコは、シロの影から出ようとしない。
「そもそも、帰ってどうなるというのじゃ。わらわにはあそこに居場所など無いであろう」
「いいえ、巫女さま!」
顔を上げた政義は、必死にミーコに語り掛ける。
「まずは、我々の話を聞いてくださらぬでしょうか。どうか、聞くだけでも…!」
「話?」
「伏してお願い申し上げます。どうかお耳をお貸しください。ご自身の身の振り方は、それからご検討下さい。なにとぞ」
政義に倣って、その場にいたほかの神官たちも全員が正座をして頭を下げる。深く頭を下げられて、ミーコは戸惑ったようだ。きゅっとシロの着流しの裾を掴んで迷っていたが、やがて了承の意を見せた。
まず、握り飯が乗ったままだった食卓を片付けた。クロが人数分のお茶を淹れようかと提案したが、政義は丁寧にそれを辞退した。表情を硬くしたまま、クロは壁際に座る。シロは卓の正面にどかりと座り、ミーコはそのやや後方にちょこんと座った。寿たちを連れて行った神官たちと入れ替わりで外に居た神官たちが家に入って来て、結局四人の男たちが部屋にいる。シロの向かいに政義と別の男が二人で正座し、孝之ともう一人は引き戸近くに姿勢を正して立っている。自分の家だというのに居心地の悪さを感じながら、口火を切ったのはシロだった。
「で、話ってのは」
「巫女さまの処遇が、神界で正式に決定いたしました」
政義は、そう切り出した。
「ほう。どうなった?」
ミーコの問いかけに、一呼吸おいて政義は答える。
「巫女さまには、神としてこの世界をお治めいただきたく、その為に我ら神官は喜んで研鑽を積む、ということになりましてございます」
その言葉に合わせ、他の男たちもうなずいた。
「つきましては、巫女さまには一刻も早く神界にお戻りいただき、今後は神として政務に当たっていただきたいと存じます」
シロの後ろからひょいと顔を覗かせたミーコは、軽く目を見開いていた。
「よくそのように決まったのぅ。もっと時間がかかるか、よくても追放かと思っておったぞ」
「そもそも、このように決定することは先の女神さまがご存命の時から決まっておりました。女神さまのご遺言でしたから。それを、ごく少数の者が邪魔をしたのでございます。それが、先ほどの寿とほか二名、および奴らの息が掛かった一部の者でございます。奴らは神関でも位が上の者でした故、時間がかかってしまいました。むろん、ほかの反逆者についても神界にて拘束済みです」
「さようか…」
ミーコが目を伏せる。少女は信じていたのだ。寿が伝えた、自分を恨んではいないという言葉を。生贄のようだと言われてもなお。
「あの者らには、辛い思いをさせてしまったのぅ。わらわさえいなければ、あやつらも道を踏み外すことはなかったであろうに。申し訳無いことをした」
「なに言ってんだ、お前。どう考えても裏切られたのはお前だろ」
シロが、人差し指でミーコの額を軽く弾く。
「人が好いにも程がある」
「性分じゃ。変えられぬ」
「馬鹿だな、お前」
「否定はせぬ」
二人のやり取りを見て、政義は言いにくそうに口を開く。
「…恐れながら、シロ殿。巫女さまを保護してくださったことには感謝申し上げるが、振る舞いには気を付けられよ。その方は、この世で一番尊い御方である」
「あ? この程度の自由も無いのか、この世界は」
「わらわは構わぬぞ」
「本人もこう言っているしな」
ぺちぺちとミーコの頭を叩くシロを、後ろからクロがじっと見ている。その視線には気が付いていたが、シロはあえて振り向くことはしなかった。振り向けなかった、という方が近いかもしれない。
努めて深刻にならないよう、シロは淡々と訊く。
「で? 結局なにがどうなってこんな事態になってんだ?」
「ふむ。わらわも聞きたいぞ。そもそも、牢屋に手紙を置いたのは誰じゃ」
「私が下女に命じました。鍵を開けておいたのも、食事を運んでいた下女にございます」
「堂々と助けには行かなかったんだな」
「証拠を固め、反逆者の人数を確認しなければならぬと、考えたからでございます。我々は、本当に数日前まで存じ上げなかったのです。巫女さまを牢屋に入れたのは、神関の責任者である惟之という男で、まさか神に一番近い男がそのような暴挙に出るなど思いもしませんでした。惟之もおそらく寿に命じられたのでしょうが…。ともかく、奴に巫女さまはご母堂を亡くした衝撃で床に臥せておられ、部屋から出てこないと言われれば信じるしか…!」
政義の声は震えている。
「事実を知ったときには背筋が凍る思いでございました。しかし、申し上げた通り、謀反の証拠を突き止めるまでは糾弾することも出来ず」
「いい歳して言い訳かよ、みっともねぇ」
「返す言葉もございません」
シロの眉間に深い皺が刻まれる。
ミーコは、自分は閉じ込められていたとは言ったが、閉じ込めた相手への恨み言は一切言わなかった。閉じ込められてどれだけ怖かったか、どれほど恐ろしかったかも言わなかった。ただの一言も。
今もなお怖がっているのに、誰かに助けを求めようともしない。助けを求める方法すら知らない。
シロの半分ほどしか背丈の無い、小さなミーコが。
――どんな気持ちで。
「反逆の証拠? そんなもん、こいつを牢屋に入れただけで充分だろ。単に尻込みしてただけじゃねぇのか」
「尻込みなど!」
「シロ。良いのじゃ。ここでこやつを責めてもなんにもならぬ」
それは確かにそうなのだが、シロは苛々が収まらない。眉間に皺を寄せたまま、数拍の間ミーコを見て、それから政義を睨み付けた。
「……なんで三日もほっといた」
「味方を確実に増やし…いや、言い訳にもならない。しかし、聞いていただきたい。逃がすことしか出来なかったのだ。せめて牢から出ていただき、機が熟したらすぐにお迎えにあがるつもりであった。人間界に匿う場所も用意してあったのだ。同封した地図の方に書いてあったのだが、巫女さまはご覧になられなかったようで…」
「あ、確かにわらわは地図は見なかったな」
「ってことは、こんな面倒なことになったのはお前のせいかよ」
「しかしまぁ、結果は良しとしよう。シロに拾ってもらえたからな」
「良しと出来るのはお前だけだ」
もう一度、シロはミーコの額を弾いた。その様子を、政義が真面目な表情で見つめる。
「…シロ殿。巫女さまに向かってお前お前と連呼するのは、謹んでいただきたいのだが」
「発言の自由はどこ行った?」
「わらわは構わぬと言っているであろう」
「二回も同じこと言わせんじゃねぇよ」
ぺちぺちと、シロはまたミーコの頭の上を叩いた。部屋の隅に居る、クロの視線を感じながら。クロは出来た女だ。口を挟まずに、ただ待っている。
本当は、今すぐミーコと男たちを外に出してクロと話をしたい。話さなければと思っている。一方で、話さずに済むのならそうしたいという気持ちもある。出来れば源三郎が放った言葉を忘れさせたい。この期に及んで、とはシロも思っている。
クロの記憶が戻れば、きっと傷付ける。しかしもう、クロは思い出しかけている。視線が、今までとは違う。
頭の隅で考えるシロをよそに、政義は続ける。
「とにかく、巫女さま…いえ、神さま。どうか神界にお戻りいただきたく、重ねてお願い申し上げます。御身の安全は我らが命を懸けて保証いたします故。もし、我らが裏切るようなことがあれば」
一度言葉を切って、政義は懐から巾着を取り出した。
「この中にある我らの命宝を、砕いていただいて構いませぬ」
「政義…!」
ミーコは驚きの声を上げた。
昨晩、シロとクロに説明した命宝という術。命宝は神と本人にしか触れられず、したがって砕けるのも本人に返せるのも神しかいない。しかし命宝を保管している箱には神しか開けられない術がかかっているはずだ。
「どうやって持ち出したのじゃ。そなたらに鍵は開けられぬであろう」
「先代女神さまより、返していただいておりました」
「なに、母から?」
「だからこそ、寿たちは反逆など企てたのでございます。どうか、これを持ちまして、我らの覚悟を信じていただきたく、お願い申し上げます。もし、神さまにご帰還いただけないのであれば、我らにはもう行く道も帰る道もございませぬ。その時は、自らこの命宝を砕く所存でございます」
「政義!」
政義はもう一度深々と頭を下げた。それに倣うように、他の男たちも膝をついて頭を下げた。
その光景が、シロにとって嫌な光景を蘇らせた。
――頼む。
五百年前。そう言って、頭を下げた神々。
待ってくれと懇願するシロの隣で、婚約者は、しっかりうなずいてみせたのだ。
そして、今。あの時の光景を思い浮かべるシロの隣で、ミーコはやはりうなずいた。クロの目の前で、かつて彼女がそうしたように。
クロには見せたくなかった。シロにとっても、二度と見たくない光景だった。吐き気がするほど、同じ光景だった。
「神さま…」
「うむ。では、帰るとしよう」
「ミーコ」
思わず、立ち上がったミーコの腕を掴んでいた。
「ちょっと待て。こいつらの話を鵜呑みにする気か」
「嘘など吐かれておらぬ。それに、先ほど連れていかれた者たちは牢屋に入れられるはずじゃ。あそこは寒いからな。早く出してやらねば。風邪でもひいたら大変じゃ」
「お前を殺そうとしてた奴らだろうが」
「命まで取る気は無いとさっき言っておったぞ」
どこまでもお人好しな発言に、シロは苛ついた。
「こいつらが本当に味方かどうか、敵が本当に全員捕まっているかどうかも判らねぇんだぞ? 残党がいたらどうする」
「じゃから、帰って皆に話を聞いてみるしかなかろう。今の神界にいたくない者がおるのなら、解放してやらねば」
「いい加減にしろよ。これでお前が帰って暗殺でもされてみろ。俺の目覚めが悪いだろうが」
その言葉に、ミーコはまたふふふと笑う。
「そうやって、自分の為のようなふりをして、シロはずっとわらわを助けてくれたな。……母から聞いた通りであった」
「あ?」
「母からの伝言じゃ。――そなたのような優しい者に、ずいぶんと酷なことをしてしまった」
「なん…」
「謝っても謝りきれぬ」
その言い方が、女神に重なる。あの声が、甦る。
「そなたの孤独はここまでじゃ。これからは自由に、幸せに生きてほしい」
そうして、ミーコは一歩シロに近づいた。両肩に手を置き、シロの額に口づける。光が漏れた。
「これは、そなたに返す」
光が収束し、現れたのは薄紫色に輝く丸い石だった。シロの命宝である。そして、もう一つ。ミーコが空中で拳を作り、それをゆっくりと解く。すると、何も無かった空間に藍色に輝く石が出現した。
「母親から預かっておったのじゃ。これで、そなたは自由の身」
「おい、待て」
ミーコは、小さく笑ってからクロに振り返る。
「クロにも、ずいぶんと世話になった。ご飯があたたかくておいしくて、幸せな食卓であったぞ。風呂があたたかいということも初めて知った」
「ミーコ…。あたし」
「済まぬな。いや、謝って済むことでもないが。そなたらには、幸せになって欲しいと願う。心から願っておる」
「ねぇ、行きたくないなら行かなくていいよ。ずっとここに」
「そう言ってくれるのはうれしい。じゃが、そういうわけにもいかぬであろう」
クロに微笑んでから、ミーコはもう一度シロを見た。
「…最初に会うた時から、そなたらはなんの躊躇いもなくわらわに手を差し出してくれたな。何度も、何度も。うれしかったぞ」
「なに言ってんだ」
「本当に、うれしかったのじゃ。なにも返すことが出来ないのが残念じゃが…。二度と会うことが叶わずとも、そなたらの優しさは忘れぬ。……ありがとう」
ふふふと、ミーコは笑う。本当に、ただうれしそうに。
「ミーコ」
「ああ、それと」
一呼吸おいてから、ミーコは言った。
「シロは怖くなどないぞ」
「あ?」
「むしろ逆じゃ。シロがそばにいるととても安心する。ぐっすり眠れたのは久々であった。あたたかくて、ずっとそばにいたいと思うほどじゃ」
うれしそうに笑っている。それなのに、泣きそうに見えるのは何故だ。
「じゃが、わらわがそばにいては、シロも複雑であろう?」
「……」
「五百年間、よく償ってくれた。独りで辛かったであろう。寂しかったであろう。……もう、苦しむことはない。そなたらは二人で幸せに暮らせ。人々が住みよいように、わらわも政務に励むこととする」
そう言って、ミーコはシロの隣をすり抜けて、政義の肩に手を置いた。
「参ろう。わらわにはもう行くところも帰るところもないと思っておったが、迎えに来てくれてうれしい。ありがとう」
「はい、神さま」
「一か月ほどとはいえ神が不在であったのじゃ。政務が滞っておろう。急がねば」
「は。では、そのように」
「ではな、シロ。クロ。本当に世話になった」
にっこりと笑ってから、ミーコはシロに背を向けた。凛とした後ろ姿だった。その背中を、シロは見つめる。
なんだ、その悟りきったような笑顔は。子どもがする顔か。
帰りたくないなら帰りたくないと、そう言えばいいのに。泣けばいいのに。もっと、わがままを言えばいいのに。
ミーコだって解っているはずだ。神官たちが命宝まで持ち出してミーコの帰還を願ったのは、反逆を企てていた官吏たちに対抗するためだ。権力があるらしい反逆者を迎え撃つ為に、ミーコは御旗にされるだけ。ミーコ自身の為でもこの世界の人々の為でもなく、神官たちが自分たちの身分と命を保証する為に使われるに過ぎない。
卑怯だ。
命宝を持ち出せば、お人好しのミーコが断れないと解っていて。
「お前がそばにいたら、俺が複雑だと…?」
シロの言葉に、ミーコは振り向いた。笑っていない。
「複雑に決まってんだろうが。毎日、殺し損ねた女神の面影がちらつくんだからな」
「であるならば、やはり」
「ああ、帰れ。二度とこのうちには来るな」
「……うむ。そうしよう。わらわのことは、忘れてくれ」
少女は、傷ついた顔はしなかった。ただ、もう一度にっこりと笑ってから家を出て行った。
一度も振り返らずに。
残されたシロは、二つの玉を見つめていた。光り輝く、宝石のような玉を。
そしてその様子を、クロはやはり黙って見つめていた。記憶が完全には戻っていなくとも、もうごまかせる雰囲気ではなかった。




