結界
どたどたと音を立て、ほどなく障子を蹴破って居間に現れたのは、男が二人と女が一人。三人とも三十代に見えるが、神官だから実年齢はもっとずっといっているのだろう。
「…寿…。惟之も」
女を見て、ミーコがつぶやく。コトブキ、と呼ばれた女は赤い唇をゆがめて笑った。
「ようやく見つけました。神界からの逃亡罪で、あなたを確保します。釈明の余地はございませんよ」
「おぬしは、わらわの敵なのか?」
「まぁ驚いた。あなたに味方がいると思っていらっしゃるの?」
口元に手を当てて、寿は大げさに驚いたような態度を取る。
「寝所に、抜け出せという手紙を置いたのは誰じゃ。そなたらか?」
「いいえ。それは存じ上げません。逃亡された時には少し驚きましたが、結果的に逃亡罪を犯してくださったのですもの。その者には感謝しなくては。これで、あなたを堂々と裁くことが出来ます。まさか罪人を巫女にするわけにはいきませんもの。死ぬまで幽閉されるご覚悟はおありですね?」
「…わらわを恨んでおらぬと言ってくれたのは、嘘か…」
「おめでたい方ですこと。むしろ伺いたいくらいです。どうして私があなたの存在を許せると思うのか。申し上げたでしょう。あなたは生贄なのですよ。この世界を治める為の。だってあなたは――」
寿が言い終わる前に、シロが動いた。懐から小刀を取り出して寿の喉元に付きつけたのだ。
「それ以上しゃべるな。ミーコの耳が腐る。大体、ひとんちに押し入っておいてなんだそのでかい態度は」
二人の男が腰から剣を抜いて、シロに向けた。寿の表情にはまだ余裕がある。
「神官に刃物? あなたも処罰されたいの? 今ならそこの少女に騙されたと言えば」
「聞こえなかったか? 俺はしゃべるなと言ったんだ。おい、ミーコ。これ誰だ」
「…前任の巫女じゃ。隣の男たちは神官の責任者と側近じゃ」
「ああ、これが巫女だったのか。ずいぶんと醜い女だったんだな。お前の母親はなにを思ってこんな女を指名したんだか」
シロの言葉に、寿は面白くなさそうに目をすがめた。
「…惟之殿、定宗殿。この無礼者を先に片付けてくださる?」
寿の言葉に、男二人が動いた。同時にシロに斬りかかってくる。シロは、すっと身を引いた。同時にクロが帯に隠していた短剣を取り出し、畳のへりに突き刺す。次の瞬間、畳が返されて跳ね上がった。
「っ!」
今まさに斬りかかろうとしていた男二人には、畳で目隠しをされた状態だ。すかさず、シロは畳ごと男たちを蹴り飛ばした。派手な音を立てて、男たちが壁に叩き付けられる。
「なん――」
この家のいくつかの畳の下、荒床には武器が隠してある。シロは屈むことなく、足で長剣を蹴り上げて自分の手に取った。
「他人に剣を向けるということは、他人から剣を向けられてもいいという意思表示だよな? まさか自分が襲いに来ておいて返り討ちにあうのは嫌だなんて、そんな不平等なことは言わないよな?」
「不平等だなんて…」
不平等、という言葉にこの世界の人間は弱い。産まれた瞬間から刷り込みのようにこの世は平等でなければならないと教育されるからだ。
「お前らの目的はなんだ。このガキの命か?」
シロの反撃に臆したのか、寿の表情からは余裕が無くなっている。それでも、気丈にシロを睨んで彼女は答える。
「まさか。命まで取る気は無いわよ。単に、死ぬまで黙っていてもらうだけ。神の子といったって人間の血が入っているんだもの。放っておいたって私たちより早くに死ぬわ」
「老衰だとしても死ぬまであと数百年。そんな期間を幽閉する気か」
「なにが悪いの? 神の子どもってだけで今まで試験も受けずに神界で自由に生きてきたんだもの。これから幽閉されれば、それこそ平等じゃないの?」
寿が首を傾げる。本当に、なにが悪いか解っていないらしい。
壁に叩き付けられた男二人が立ち上がり、シロに怒鳴る。
「子どもを渡せ! 貴様も牢に入れられたいか!」
「ならぬ! あそこは暗いし寒い! シロが風邪でも引いたらどうするのじゃ!」
シロよりも前にミーコが反応して、それでシロはミーコに振り向いた。
「…どういう意味だ。まさか、お前が閉じ込められていた寝所ってのは」
「牢じゃ。外から鍵が出来る部屋は、神界にはあそこしかないからな」
平然と、ミーコは答える。シロは、一瞬言葉を失った。クロは、咄嗟にミーコを抱きしめた。
牢屋に入れたのか。神の子であり、巫女であり、それ以前になんの罪も無い、こんな幼子を。ただ、父親に会いたいとそう言っただけで。母親を亡くしたばかりなのに。
それでようやく納得した。この少女が独りの暗闇を怖がっていた理由。牢屋を思い出すからだ。
膝を抱えて、自分を抱きしめて、ぎゅっと目を瞑って、恐怖に耐えるしかなかったのだろう。
来る日も来る日もたった独りで。親を求めただけなのに。
「……腐ってやがる…」
吐き捨てずにはいられなかった。
「よくそんな真似が出来たな」
「わがままを言う子どもには躾が必要でしょう」
シロはもうなにも言わなかった。なにも言わず、一瞬で動いた。長剣の鞘に付けていた小柄を引き抜いて、寿に向かって投げたのだ。小柄は、寿の頬をかすめて壁に刺さった。寿の白い肌に一筋の血が流れる。
「……っ!」
声も出せずに、寿はぺたんと膝をついた。
「やっと黙ったな」
シロの声は冷たい。
「貴様!」
言いながら、立ち上がっていた男たちが斬りかかってくる。今度は避けない。シロはただ、見ているだけだ。
「シロ!」
ミーコの叫びをよそに、シロの脳天に切っ先が届くと思われた瞬間、ばきんと音がして、男たちが振りかざした剣は粉々に砕けた。
シロの周りに、淡い紫色の光が出現したのだ。その光を、クロがじっと見つめている。
「なんなんだ、貴様は…!」
男の問いに、シロは堂々としたものだ。
「別に。ただの謀反人だよ」
「なんだと?」
「先の女神とミーコ以外の神族を知らないお前らには知る由も無いだろうが、神族は人間からの攻撃を受け付けない。こうやって、結界を張れるからだ。神族は神族同士でしか争えないように出来ている。お前らがミーコを監禁出来たのは、身体に危害を加えようとしなかったからだ。そもそも、神に造られた側の人間が、神に攻撃しようなんてことがおこがましいんだよ」
心を護る結界も作れればいいのに、とシロは思う。そんな結界を張れたなら、ミーコは傷付かずに済んだのに。
「謀反人…。そうか、貴様が追放されたという反逆者か。まさかまだのうのうと生きていたとは」
「おかげさまでな。とにかく理解しただろう。お前らじゃ俺には勝てない。ミーコは俺たちが預かる。お前らはさっさと帰れ。これ以上うちに居座るのなら、全員首と胴体が離れることになる」
長剣を構えたシロに、男たち二人が後退りする。
最初に動いたのは、腰を抜かしていた寿だった。彼女はクロと同じように、帯に短刀を隠していたのだ。ばっと立ち上がり、鬼の形相でミーコを睨みつけたかと思うと、勢いを付けて走ってくる。その足に、シロは自分の足をひょいと引っかけた。寿は派手に転ぶ。それでも短刀は放さない。みっともなく転がったが、転がった先にはミーコたちがいる。彼女はなんとか膝で立って短刀を振りかざした。
「ああああああああ!」
金切り声をあげて、短刀を振り下ろす。シロが手を伸ばす。そのシロの後ろから、男二人が迫ってくる。丸腰ながら、シロを拘束しようとしているのだ。振り向きざま、シロは剣を抜いた。一人を鞘で、もう一人を峰側でなぎ倒す。なすすべもなく吹っ飛ぶ男二人。派手な音がした。
「シロ!」
寿の短刀は、すでにミーコの真上にある。伸ばしたシロの手は間に合わないかと思われたが、結局は寿の短刀も、ぱきんと音を立てて砕け散った。ミーコをぎゅっと抱きしめたクロが、結界を張ったのだ。
「…あたしにも、出来るんだ…」
やや茫然と、クロがつぶやく。記憶は無くとも、能力までは無くなっていないのだ。結界を張れたのは無意識だったにせよ、彼女も神族であることが証明された。
「クロ、大丈夫か」
シロの問いに、クロは戸惑ったままこくんとうなずく。
クロとミーコの目の前で膝立ちのままの寿を、シロが後ろから冷たく見下ろす。
「本当に、頭が悪いと見える」
剥き身の剣を携えたシロは、ぴたりと寿の首に刀身を当てた。
「ひっ」
寿の身体ががたがたと震えだす。
「お前らも神官なら命宝は身体の外にあるんだろうが。知っているよな? 首と胴体が物理的に離れれば、命宝が帰る場所も無くなる。つまり死ぬ。うちのクロとミーコに剣を向けたんだ。覚悟はあるよな?」
淡々と殺気を向けるシロに、とてとてとやってきたのはミーコだ。シロもクロも結界は張ったままだが、シロの言う通り神族なら結界を通り抜けられる。ミーコは、そっとシロの袖を引いた。
「シロ。殺生はならぬ」
「放せ。こんな奴らに、お前の情けをかけてやる必要は無い」
「この者たちは、死んで償うほどの罪は犯しておらぬ。それに、シロが手を汚してまでわらわを護る理由も無いであろう」
「今更多少血に濡れたって変わらねぇよ」
「ならぬ。流さずに済む血は流さぬ方が良い」
「こいつらを今ここで見逃したら、この先ずっと狙われることになるぞ。お前を連れて逃げるのは簡単だが、ずっと狙われ続けるのは鬱陶しい。なら、さっさと殺しておいた方が良い。お前をこいつらの手に渡すことは出来ない」
「何故そこまでするのじゃ。シロになんの利益がある?」
訊かれて、すぐには答えなかった。やがて、ゆっくりと答える。
「お前が捕まって処刑されたら、俺がお前を殺せなくなる」
シロの言葉にミーコはぱちくりと瞬きをした。それから、口に手を当ててふふふと笑う。
「それは嘘じゃな」
シロは無表情のままだ。
「なんでそう思う」
「昨夜わらわが身の上話をしてから、同じ部屋で休んでおったのじゃぞ? わらわの首を斬る機会はいくらでもあったはず。そなたには、わらわを殺す気などなかろう」
「おめでたい奴だな。機会をうかがっているとは思わねぇのか」
「じゃから、機会ならあった。じゃがシロは殺さなかった。それに」
「それに?」
少女はまたふふふと笑ってみせた。一寸の曇りもない、この二日間見せていた笑顔だ。この場には似つかわしくないほどの。
「シロの手はあたたかいからな。わらわは知っておるぞ。今朝、わらわの頭を撫でていてくれたであろう」
シロはじとりとミーコを睨んだ。
「……起きてやがったのか、このガキ」
「いや、寝ておったぞ。頭になにか触ったので気がついて、それが心地よかったからまた寝たのじゃ」
うれしそうに笑う少女。シロは黙るしかない。
正直、この少女を手に掛けようという気持ちが、どうしても湧いてこないのだ。
昨夜、ミーコはシロの部屋で無防備に寝ていた。本人の言う通り、寝首をかこうと思えばいくらでも出来た。そっと頸動脈を抑えることは簡単だった。それなのに。
それなのに、伸ばした手はいつの間にか少女の頭を撫でていた。
独りで寝る事を嫌がる少女。暗闇を怖がる少女。その不安や恐怖が解消されるのなら、自分の部屋で寝かせるくらいなんてことはない、いくらでもそうしていればいい。そう、思ってしまったのだ。
考えても考えても、理由は判らない。だから、次の言葉を発したのは負け惜しみのようなものだった。
「俺はお前の母親を殺そうとした。ひいてはお前も殺そうとしたってことだ」
「結果的に殺さなかったのじゃから問題はなかろう」
「俺は神殺しだぞ」
「五百年も独りで償っておるではないか」
「償いの意識は無い。自業自得だ」
「そうやって自分を責め続けて五百年じゃ。償いでなければなんじゃ」
「お前に何が解るんだよ」
「あ、そういえば母親から伝言を預かっておるぞ」
「なに?」
「いつか謀反人に会ったら伝えてくれと言われておったのじゃ。まさかシロがそうだとは思わなんだから、伝えるのが遅くなってしまったが」
「ねぇ、二人とも…」
クロが声を掛けようとしたその時、どんどんと玄関を叩かれる音がした。
「御免! ご在宅か!」
今度の招いていない客は、一応礼儀をわきまえているらしい。シロの目の前で、剣を砕かれた男が舌打ちをした。
「来たか…」
「今度はなんだ?」
「なんであろう。ともかく、話はここまでじゃな」
「待て、伝言ってなんだ」
「そなたへ伝えてほしいと頼まれた言葉じゃ」
「だーれが言葉の意味を聞いてんだ!」
ぎゅむむ、と少女の両頬をつまむ。
「いひゃいでふぁないふぁ!」
「なに言ってるか判んねぇよ」
「そなたのせいじゃ!」
「御免! 入らせてもらう!」
どたどたと大きな足音がして、間を置かずに男たちが入ってきた。神官の衣装に身を包んだ彼らは、総勢四人。だが家の中に入ってきたのが四人だというだけで、外にはもっといるはずだ。家を囲まれている気配がするが、敵意は無い。部屋に入って来た一番後ろに、昨日来ていた孝之と智治の姿も見える。
「巫女さま、ご無事ですか!」
「おお、政義。わらわは無事じゃ。何故ここが判ったのじゃ」
「情報屋が情報を持ってまいりました。なんとその男、金払いが良い方に先に情報を伝えたとぬかし、不覚にも反逆者たちに後れをとってしまいました。誠に申し訳無いことで…!」
「反逆者? 反逆者とは…」
ミーコがシロを見上げる。政義という男は、シロではなく座り込んだままの寿たちを指さした。
「もちろん、こやつらにございます。こやつらは先の女神さまの御命令を黙殺し、恐れ多くも巫女さまを監禁し、果てはお命まで狙った狼藉者でございます」
「おい、縛り上げろ!」
政義とは別の男が智治に指示し、寿たち三人はあっという間に縛り上げられた。抵抗しようにも、もう武器も無いうえに、シロによって戦意を喪失させられている。
「立て!」
無理やり立ち上がらせて、智治たちは寿たちを連れて行こうとする。そこに待ったをかけたのはミーコだった。
「待て」
「は」
すぐさま、智治は止まる。ミーコは、静かに寿に近寄った。
「済まぬな」
「…なにがでございましょう」
うつろな目で、寿はミーコを見下ろす。その視線を、ミーコはまっすぐに受け止めた。
「わらわが産まれたことによって、そなたの居場所が無くなってしまった。だから許せなかったのであろう。白衣に緋袴を奪ってしまったこと、本当に申し訳無いと思っておる」
その言葉に、寿はしばらく黙っていた。だが、やがてぽつりと答えた。
「衣装など、どうでもいいのです」
「では…」
「衣装に価値はございません。……私は、神界に召し上げられる時、婚約者に別れを告げました。別れを告げてでも巫女の大役を拝命すべきだと思ったからです。巫女に選ばれたという誉に負けたとも言えます。それから数十年が経って、婚約者が亡くなった時にも、私は会うこともいたしませんでした。いえ、女神さまは会いに行っていいとおっしゃいましたよ。けれど、彼は私ではない女性と家族を作っておりました。子どもや孫に囲まれた最期だったそうで、そこに私の居場所は無いのです。会いに行っても惨めになるだけなのに、どうして会いに行けましょう。私の家族も、もう死に絶えました。それなのに女神さまは、ご自分の家族を作られたのです。それも、私になんの相談も無く。私に伝えられたのは、結果だけでした。――どんな気持ちになるか、想像くらいはつきますでしょう?」
ミーコはなにも答えない。ミーコに罪が無いことは、おそらく寿も解っている。
「どうしても、あなたの存在を認めたくなかったのです。女神さまが亡くなるまで待って差し上げたことに感謝こそされ、非難される覚えはございません」
「さようか…」
「女神さまと誰よりも一緒にいたのはこの私です。仕事も把握しています。私こそ、次の神だと崇められるに相応しいはずです。そうなれば、あなたには巫女としていてもらっても良かったのに。それなのにあなたは、父親に会いたいなどと。私は、決して家族に会いに行こうなどと考えなかったのに…! 会いたいと思うことすら罪だと思っていたのに!」
きつく睨みつけてくる寿の視線から、ミーコは逃げない。
「では、わらわの父親がすでに死んでいることを言わなかったのは…」
寿は、薄く笑った。歪な笑みだった。
「『死んでいるから会えない』と諦めるよりも、『会えるのに、閉じ込められているから会いに行けない』の方が、より苦しいでしょう?」
シロが動いた。
寿の胸倉をつかんだのだ。
「…なに?」
寿はもう、シロに対して怯えは見せない。諦めたのかもしれない。空虚な目で、ただシロを見ていた。
シロはしばらく寿を睨んでいたが、結局なにも言わなかった。
「シロ。離すのじゃ。乱暴な真似は、してはならぬ」
「お前、こいつに殺されかけたこと解ってんのか」
「殺されてはおらぬ。シロとクロが護ってくれたからな。結果的に問題はなかろう」
思い切り舌打ちして、シロは寿を乱暴に離した。
「惟之たちも、わらわの存在が許せなんだか?」
続いて、縛られた男にミーコはそう訊ねる。惟之と呼ばれた男は、淡々と答えた。
「いいえ、別に。ただ、寿を憐れには思いました」
「…さようか」
連れて行けと政義が言って、今度こそ、寿たち三人はその場から去った。




