守護者
翌朝。
「……おい」
「はい、なんでしょう?」
「なんでお前がここにいる」
シロからこの上ないほど冷たい視線を向けられて、源左衛門はあははと笑った。
「いやぁ、腹が減りまして」
「それでなんでうちの食卓に普通に座ってんだ」
「クロさんが誘ってくれましたから」
「おい、クロ! どういうつもりだ!」
台所に立つクロに声を荒げると、クロはこともなげに答えた。
「だって、玄関先にいたから」
「面倒見れないものを拾ってくるな! 元いたところに返してこい!」
「そんな、犬猫拾ってきたみたいに…」
「犬か猫のほうがだいぶマシだ」
「シロさんが言うなら、おれは犬にでもなりますよ」
「お前は黙ってろ。っつーか帰れ。二度と戻ってくんな」
「シロさんの冷たい視線は、むしろご褒美ですから。どんどんください! さあ!」
「殴られたいのか、変態」
「まあまあシロ。ゲンくんも今回は敵じゃないって言ってるし」
大きな皿にたくさんの握り飯を乗せて、台所からクロがやってくる。シロの家には二人分の食器しかないから、白飯をよそえないのだ。ご飯茶碗に味噌汁を注いで、これで四人分の味噌汁が食卓の上に乗っている。
ちなみにミーコは、クロに教わって漬物を切っている真っ最中だ。包丁を持つのも初めてという少女は、よほど集中しているのか会話に入って来ない。
「信用できるか。大体お前、昨日はもう帰るみたいなこと言ってたじゃねぇか」
「だから、いったん帰ってからまたお邪魔したんじゃないですか。近いうちにって言ったでしょ?」
悪びれもせず言う源左衛門に、シロは大きな舌打ちをした。
「近すぎなんだよ。それでなんの用だ。さっさと済ませてとっとと帰れ。そして二度と来るな」
「いえね、一応お知らせしておこうかと思いまして」
「だから、何を」
「もうすぐ神界から官吏の団体さんがここに来ますよ」
「ああそうかよ……って、なに?」
あっさりと告げた源左衛門に、シロの表情が変わる。
「団体?」
「ええ。おれの情報は確かですよ。たぶん、この朝飯を食べ終わる頃には着くんじゃないですかね」
「なんでそんなことを俺に言う」
眉間に皺を寄せて問うシロに、源左衛門はへらりと笑う。
「言ったじゃないですか。シロさんの不利益になることはしないって」
「官吏どもにあいつの情報を流したのはお前だろう」
「ま、仕事ですからね」
「どっちについてんだ、お前は」
「心はいつもあなたと共にあります。でも仕事をしなければ生きていけません。ああ、まるでこの身が引き裂かれそうです」
「いっそ引き千切ってやろうか、俺が」
「シロさんになら、それもありかもー」
まったく懲りない源左衛門を睨みつけてから、シロはクロと視線を交わした。クロは心配そうな顔をしている。
そんな顔は、してほしくない。
「シロ…」
「大丈夫だ。とりあえず飯を食う。逃げるにしても迎え撃つにしても、話はそれからだ。こいつがここに居座ってることは、逃げる時間がまだあるってことだからな」
「やだ、ご明察」
「おい、ミーコ! いつまで漬物切ってんだ。食うぞ」
「今終わったところじゃ!」
切った漬物を皿に移し替えて、大事そうに両手で持ってミーコがやってくる。
「ふふふ。どうじゃ。初めてにしては、中々きれいに切れたじゃろ?」
同じ大きさに切りそろえられた野沢菜を指して、自慢げに少女が笑う。クロが大げさに歓声を上げた。
「うん、上手! 本当に初めてとは思えないよ」
「そうであろう! さあ、遠慮せずに食すが良いぞ。さあさあ!」
「分かったから座れ」
「うむ。で、なんの話をしていたのじゃ?」
「もうすぐ神界から官吏たちがやってくるって話」
「な、なに!?」
思わず立ち上がったミーコに、シロは再度座れと言った。
「心配するな。お前を渡す気はねぇよ」
「し、しかし…」
「とりあえず飯を食え。少し、考えてることがある」
「考えって?」
クロの言葉にすぐには答えず、シロは握り飯を一つ手に取ってかぶりついた。しばらく咀嚼してから口を開く。
「昨日、官吏が言っていたな。「任務は探すことだ」って」
「ああ、確かに言っていたような…」
「「連れ戻すのが任務」だとは言わなかった」
「え…」
「他にも言っていた。巫女が処刑されるのは残念だと。俺には、連れ戻す気はないと言っているように聞こえた。逃げたきゃ逃げろってな」
クロは、黙ることで先を促した。
「ミーコを逃がし、生き延びさせたいと思っている奴もいるってことだ。ミーコ自身も言っていたな。数は少ないが優しい女官もいたし、親切にしてくれる官吏もいたと」
「ああ、言うたぞ」
「じゃあ、そのひとたちが味方に…」
クロの顔面に喜色が浮かびかけたが、シロの表情を見て止まった。話はそう簡単ではないということに、気が付いたらしい。
「シロ? どうしたのじゃ」
ミーコの問いかけに、シロはちらりと少女を見た。
「神界が二つに割れているのは確かなんだろう。実際にミーコは閉じ込められていた。なのに誰かが逃がした。問題は逃がした理由だ。確かにミーコの味方という可能性もあるが、もしかしたらまったく反対の理由を持つ奴らという可能性もある。考えられるのは二つ。……最悪の場合、逃がした奴らの性根は腐っている」
「ふむ、と言うと?」
一瞬続けるのを躊躇ったが、隠しても仕方がない。シロはなるべく淡々と告げた。
「女神が死んで、神界は二つに割れた。ミーコの処遇を巡ってな。けどたぶん、本当に重要なのはミーコの立ち位置じゃない。重要なのは、今現在、神の座が空いているということだ。この世界の、最高権力者の椅子が」
ぴくりとクロが反応した。
「それって…」
「神界に居る権力者たちは、自分こそを神の座にと思ったのかもしれない。その為には、人間との合いの子とはいえ神の子がいるのはまずい」
ミーコの顔が曇る。隣のクロも。
「……つまり」
「逃亡罪なら、堂々と処刑する理由になる」
解りやすく言うと、合法的にミーコを消せるということだ。わざわざ解りやすく言う必要も無いので言わなかったが。
「…ひどい…」
ミーコはなにも言わないが、クロなどもう泣きそうだ。
「この世界はとかく平等性に拘るからな。神の子であっても罪は償わせる。そういうことだろ」
重くなる空気の中、源左衛門は我知らずと味噌汁をすすっている。
「実際、ミーコに逃げるよう唆したのがどちらの派閥なのかは判らん。神界にいたら本当に命が危ないと思って逃がしてやったのかもしれないし、逃亡罪という既成事実を作りたい奴らが仕掛けたのかもしれない」
「で、でも! もしわざと逃がしたんだったら、誰かが見張ってなきゃいけないんじゃないの? いつでも捕まえられるように。それに、本当に逃がしたいと思ってくれた場合だってそれは同じでしょ?」
「ああ。だから、どちらの派閥が逃がしたにしても、なにか予定外のことが起こったんだろうな」
それがなにかは判らないが、神界も今は揺れているだろう。そんなところに、ミーコを返すことは出来ない。
「で、今ここに向かっている奴らはどっちだ? ――お前は知ってんだろ」
味噌汁茶碗を持ったままの源左衛門を、シロは睨んだ。茶碗は動かない。
「お前がわざわざここに留まってんのは、雇い主である官吏に依頼されたんだろ? 俺たちに情報を流せってな。その上で、俺たちがどういう行動に出るのか知らせろってところか。護る為なのか処刑する為なのか、答えろ」
源左衛門は、にっこりと笑った。それから、味噌汁をすする。
「場合によっては、事情を知る俺たちもまとめて消すつもりなんだろ?」
しばしの沈黙。やがて、味噌汁茶碗を置いた源左衛門が今度は声を出して笑い出した。
「さすがです。いやあ、さすがシロさん。かっこいいなぁ」
「いいから答えろ」
「答えてもいいですけど、おれにも利益があっていいと思うんです。そう、例えば…」
源左衛門の瞳が、意地悪く光った。
「おれ、あなたがとても嫌いです」
行儀悪くも、源左衛門は箸でクロを差す。クロは、困ったように小さく笑った。
「知ってたけど…。なんであれ、他人に嫌われるのはちょっとつらいね」
「クロ、ほっとけ。そいつの言うことを聞くな」
「言えと言ったり聞くなと言ったり、シロさんたら浮気性なんだから」
「おい」
「嫌いな理由を教えてあげましょうか? 理由も分からず嫌われるのはお嫌でしょ?」
「そりゃあ、まあ…」
「クロ!」
シロは一瞬、自分の手をどちらに伸ばすか迷った。
クロの耳を塞ぐか、源左衛門の口を塞ぐか。この場にはミーコもいる。シロの腕は二本しか無いのに。
結果として、その一瞬の迷いがシロの行動を遅らせた。源左衛門は、続けてしまった。
クロは、聞いてしまった。
「あなたがシロさんとともに神の守護者なんかしていたからですよ」
シロが腰を浮かした時には遅かった。さほど大きくもないその声は、しっかりとその場に響いた。クロはもちろん、ミーコも目を見開いた。
「…なんじゃと?」
「おおっと、これは失言」
薄く笑いながら、源左衛門はわざとらしく自分の口を手で覆う。そうして、ミーコを見て目を細めた。
「なんでもありませんよ、お姫さま」
「なんでもなくはなかろう。今、守護者と言ったか? 神に守護者はおらんくなって久しい。最後の守護者は…謀反、を……」
言いかけたミーコの言葉が、弱々しくなっていく。シロのまとう空気の変化に気付いたからだ。
「…シロ…?」
シロは、静かだった。
とてつもなく静かに、殺気を放出していた。
そして、もう一人。空気を変えている者がいた。
クロである。
「なに、言ってるの…? 守護者…? しゅご、しゃ…? あたし、が…」
「おや、良い反応をしていますねぇ。最初の謀反人さん。もしかして何か思い出しそうですか? とても良い傾向ですね。なんなら、もっと手掛かりを」
源左衛門がクロを覗き込むと同時に、彼の首に手が伸びてきた。
「ぐっ…!」
シロは正確に、容赦なく源左衛門の喉笛を潰している。強い痛みと呼吸が出来ないことに苦しみながらも、源左衛門は笑っていた。現状が許すならば、大声で笑い出したかった。
シロは、無言で手に力を入れ続けている。殺気は留まるところを知らずに噴出している。
前述の通り、源左衛門は死にたいわけではない。自殺願望など無いのだ。ただ、シロが謀反人として神関を血で染め上げた時の表情が見たいだけ。そこにあるのは純粋な好奇心と憧憬。自分の発言によってそれが見られるなら、我慢するという選択肢すら無かった。
そもそも源左衛門は、シロに言われた通りミーコには手を出していない。彼の興味はそこには無い。
「くぁ…」
謀反人の復活。殺戮者の再来。飽和している平和の終焉。それこそが源左衛門の願い。この謀反人に、この世界のなにもかもを葬ってほしい。誰もかれもが平和だと嘯くこんな世界は、滅んでしまえばいいのだ。何故なら、源左衛門の人生はまったく平和ではなかったから。平和に取り残されていた。ならば、平和など無くなってしまえばいいのだ。
ああ、しかしこのまま死んだらせっかくの謀反人の復活を見届けることは出来なくなってしまう。頭のどこかで考えながら、意識が朦朧としてきた時だ。
「シロ、シロ。もう止めるのじゃ。それ以上はならぬ」
小さな二つの手が、シロの腕に伸びてきた。
「シロ、止めてくれ。頼む」
きゅっと、ミーコが両手に力を込める。
「シロ」
「……」
無言のまま、徐々に、シロの手から力が抜けていく。
「シロ…!」
最終的に、シロは源左衛門の首を投げ捨てるようにして手を離した。源左衛門が倒れ込んで、激しく咳き込む。
「…失せろ」
地を這うような声で、シロは言った。
「二度と俺の視界に入ってくるな。……次は殺す」
源左衛門は、引きつるようにして笑った。シロのこの表情を引き出せたことが、他でもない自分が引き出したという事実が、たまらなくうれしい。ひひっと下品な笑いが漏れた。
「また、必ず会いに来ますよ」
しわがれた声でそう言って、最後に握り飯を一つ掴んで、彼は庭へと消えた。
「シロ…」
「手を離せ」
不安そうに見上げてくるミーコの方は見ずに、シロは少女の手を振りほどいた。茫然としているクロの目の前に膝をつく。
「クロ」
その声は優しい。ミーコが聞いたことの無いくらいに。クロの肩に手を置くと、彼女はびくりと震えてからゆっくりと顔を上げた。瞳が揺れている。
「シロ…。あたし…しゅごしゃって、あたし…むほん…? あたし…。あたし、あのときころされ」
「大丈夫だ。なにも考えなくていい」
肩に置いていた手で頬を撫で、そのまま背中に廻し、片手でクロを抱きしめる。
「お前はなにも思い出さなくていい。……思い出すな」
「シロ…」
「シロ、そなた。いや、そなたらは…」
腕の中にクロ。二人を茫然と見つめるミーコ。
なにか言おうと口を開きかけたところで、複数の気配に気が付いた。空気が穏やかではない。やや遅れて、クロも顔を上げた。彼女も気が付いたのだ。
「来たか」
「シロ」
不安そうな声を出すミーコに、シロは一瞬視線を走らせた。それから、腕の中のクロを見る。
「話は後だ。まずは招かれざる客を片付ける。――クロ。動けるか」
「あ、あの…。あたし」
「頼むから、今は動いてくれ。後でちゃんと話すから。ミーコを頼む」
手をぎゅっと握ってクロを見つめる。やや間を置いて、クロはうなずいた。
「シロ。そなた」
ミーコが困惑して二人を見ている。シロは一瞬だけ目を瞑った。
「事実だ」
ミーコの方を見ないまま、シロは言う。
「元主席守護者にしてこの世界史上最悪の殺戮者で謀反人。――俺のことだよ」
言い切ってから、やっとミーコを見下ろす。
「俺が怖いか?」
ミーコが答えるよりも前に、玄関が破られる音がした。相手は忍び込んだり礼節を守ったりするつもりは無いらしい。つまり敵だ。足音からして、三人。
「なんだ、思ったよりも少ないな」
クロが素早く動いて、朝餉が置いてあったままだった卓を脇にずらし、ミーコを自分の後ろに庇う。まだ混乱はしているようだが、クロはやるべきことを解っている。その二人の前に、シロが立った。




