何者
「ミーコ。さっきの来客だけどな」
夕飯を食べ終わり、クロが三人分の煎茶を淹れたところで、シロはそう切り出した。ミーコがびくりと肩を震わせる。
「神界から逃げ出した巫女を探しているんだそうだ。捕まれば処刑だとも言っていた」
「そ…そうか。いや、わらわは巫女ではない故、関係無いが」
「官吏は明らかに俺たちのことを疑っていた。近いうちにまた来るだろうな」
湯呑をぐっと握りしめて、ミーコは動かない。
「今度は家探しも断りきれないかもしれない。家の中を捜索されて、昨日お前が着ていた白衣に緋袴が見つかったら、言い逃れも出来ない」
クロは黙って見守っている。
「着物を燃やすわけにもいかねぇ。もしも家を見張られていたら、燃やそうとした時点で御用だからな。というわけで」
「……なんじゃ?」
「とりあえず着物を解く」
「ほど、く?」
「クロの腕なら、一晩あれば仕立て直しが出来る。座布団とか布巾とか巾着とか…。とりあえず、元が着物だってわからないようにしてもらう。白と緋色の組合わせは巫女にしか許されていないが、それは着物に関してだけだからな。官吏たちも、まさか自分が座っている座布団が巫女の衣装だとは気付かねぇだろ」
「任せて。なんなら刺繍も施して完璧に判らなくさせてみせるから」
クロが微笑んでみせると、ミーコはやっと顔を上げた。
「だが着物はお前のもんだからな。一応は許可を取っておくべきかと思ってこうして話した次第だ。どうだ?」
「おお、そうか。わらわに異存はないぞ」
「そうか。さすが巫女。懐の大きさが違う」
「わらわは巫女ではない!」
「じゃあお前は誰だ?」
冷たいとも思える表情で聞き返したシロに、ミーコは今度こそ固まった。しかしシロは退かない。
退くわけにはいかないのだ。もう。
「聞こえなかったか。お前は誰だと訊いたんだ」
「わ…わらわは、ミーコじゃ」
「名前じゃねぇよ。身分を聞いてんだ」
「一般庶民じゃ」
「一般庶民には白衣に緋袴は手に入らない」
「あ、あれは、心の清らかな者には群青色に見えるのじゃ。あれは、そういうあれなあれじゃ」
「もうちょっと気の利いた言い訳を考えろ」
切り捨てるように言うと、ミーコは唇を尖らせた。
「聞きたいことはまだある。お前の家はどこだ?」
「どこって…。ええと、その、あれじゃ」
ぼそぼそと言いながら人差し指を庭の方に向ける。
「あっちのほう」
「あっちのほうには海しかねぇが?」
「い、いや、じゃから…」
「…神関は、海に浮いているな」
「う、しまった」
「お前、実は馬鹿だろ」
「誰が馬鹿じゃ!」
「馬鹿正直だって言ってんだよ」
「正直者が馬鹿を見る世の中など間違っておる」
「その意見には全面的に賛成だが、今はそんなこと言っている場合じゃねぇ」
シロは、冷めかけている煎茶をずずっとすすった。
「神関、それも神界から来たんだろ。たぶん、官吏の奴らの手引きで」
大きな目を、ミーコはさらに見開いた。黒い瞳が動揺している。
「何故…」
「お前は白衣に緋袴のままだった。いくら神界の奴らが平和ボケしていたとしても、巫女が堂々とその格好で出歩いていたら目立つはずだ。ましてやお前は閉じ込められていた。にも拘わらず無事に逃げ出せた。理由は一つ。手伝った奴がいたからだ。それも複数」
「おお…。シロは、本当に頭が良いのじゃなぁ…」
「感心している場合か。誰に手引きされた?」
「分からぬ」
「おい」
「嘘ではない。本当に、分からぬのじゃ。手紙で指示された故」
「手紙?」
聞き返したシロに、ミーコはうなずく。
「少し前、寝所に手紙が置いてあってな。中身の通りに動いたら下界に降りられたのじゃ」
「お前の寝所に入れるのは」
「下女が数人。じゃが鍵を持っていたのは彼女たちの上役じゃ」
「鍵…。ってことは、手紙が届いたのは」
「うむ。閉じ込められていたほうの寝所じゃ。神殿の最奥の部屋でな。めったにひとは近寄らぬ。廊下には見張りもおった。わらわはただ、母親が身罷ったことを父親に伝えたいと訴えただけなのじゃが」
「父親に会いたいってだけで見張りまで付けられていたのか、お前。それで、手紙にはなんて書いてあった?」
「鍵を開けておくから、見張りの交代の時間を狙って抜け出せと。神界中の立ち番の位置も事細かに書いてあって、どう行けば見つからずに抜け出せるか書いてあった。あと、この地域周辺の地図も入っておったな。まあ、わらわはこの世界の道ならすべて知っておるから、地図は必要なかったが」
「鍵を盗める位のひとが、手引きしたってことよね」
クロの言葉に、シロがうなずく。
「そうだろうな。それでなくとも、立ち番の位置をすべて把握するのは下女には難しい」
「わらわは、うれしかったのじゃ」
「…というと?」
「神界にも、わらわの味方がおると思ったからじゃ。基本的に口を利いてはならぬと言われておったから、皆わらわを遠巻きに見るだけであった。じゃが、そんな中でもわらわを父親に会わそうとしてくれる者が、わらわの希望を聞いてくれる者がおるのじゃと。そう思うとうれしくてな」
口元をほころばせたミーコとは対照的に、シロは面白くなさそうに片目を眇めた。
ミーコの言っていることは解る。そうであって欲しいとも思う。
だが、そうであるとは限らない。
「そっか。それはうれしかったね。良かったねぇ」
クロがそう言って、にっこり笑った。
「誰かが自分の為に動いてくれるって、本当にうれしいもんね」
「その通りじゃ! シロに会うまで寒かったしひもじかったが、それでもわらわを逃がしてくれた者を思うと耐えられたのじゃ」
「ミーコはやっぱりいい子だね。そうやって、他人を思いやれるんだもの」
「いや、それは違うぞ。昨日も言ったが」
「え?」
ミーコの頭を撫でようとしていたクロが、どうしてと少女の顔を覗き込む。
「どんな理由があり誰が味方であっても、わらわは役目を放り出して逃げたのじゃ。……そんなわらわが、良い子であるはずがない」
「でも、それを言うならそもそも閉じ込めた方が」
「閉じ込められるようなことをしなければ良かったのじゃ。父親には会えぬと言われた時に納得しておけばこのような事態にはならなかった。すべてはわらわに責がある」
じゃが、とミーコは続ける。
「それでも、父親に会ってみたかったのじゃ。母親は亡くなってしまった。わらわにはもう、父親しかおらぬ。たとえ捕まって処刑になろうとも、一目でいいから父親に会ってみたい」
「処刑になんかさせねぇよ」
低い声で、シロはそう言い切った。
「させてたまるか」
「ありがとう。じゃが、いつまでも逃げ切れるとは思っておらぬ。父親に会って、母親のことを話して、気が済んだら出頭するつもりじゃ。父親にもシロやクロにも迷惑はかけんようにするから、心配するでないぞ」
「そんな心配はしてねぇよ。お前は自分の心配してろ」
こく、とミーコは煎茶を飲んだ。うなずいたかどうかは、判らなかった。
「さて、最後の質問だ」
「な、なんじゃ」
「結局お前は何者なんだ」
まっすぐに、シロはミーコを見つめた。
「答えたくないなら答えなくてもいいなんて、俺はそんなに優しくねぇぞ。俺はさっき官吏に喧嘩を売った。たぶん目を付けられた。もうここまで巻き込まれてんだ。ならせめて身分くらいは明かすのが筋じゃねぇのか」
「それは…」
「確かに、全部俺が勝手にやったことだ。お前を拾ったことも父親探しを手伝ってんのも官吏に喧嘩を売ったこともな。で、お前は俺が勝手にやったことだからと口をつぐんだままにしとくつもりか」
「い、いや」
「万一お前が官吏に捕まったら、俺たちも逃亡幇助でしょっぴかれるだろうな。その時、俺はどこの誰かも知らない奴の幇助をしてとっ捕まることになるのか? 下手すりゃ俺も処刑だ。なんの事情も知らないのにな」
シロの言い方は卑怯だ。シロはもちろんクロも、おそらくはミーコも解っている。それでも、ミーコはそこを責めようとはしなかった。
問い詰められて、シロの卑怯さには言及せず、しばらく黙って、ようやくミーコは口を開いた。
「わらわは」
顔を伏せて、ただ湯呑を見つめて、続ける。
「わらわは、本当に、巫女ではないのじゃ」
きゅっと、かわいそうなほどに手に力が入っていることが判る。それでも、シロもクロもなにも言わずに続きを待った。
「今現在、この世界に巫女はおらぬ」
「……いない?」
「前任の巫女は、わらわが産まれると同時にその任を解かれた。今は、神関の役人として勤めておる。わらわのことは、恨んでおらぬと言ってくれたが」
「ああ、だから、巫女に会ったことは無いって言っていたのか」
ミーコはうなずいた。
「わらわがあの者に会った時、すでに巫女ではなかったからな」
「どういう意味?」
クロの質問に、一呼吸おいてからミーコは答えた。
「わらわは、巫女になるべく育てられた。巫女にするしかなかったのじゃ。白衣に緋袴は巫女しか身につけられぬ。それもこの世に一人だけ。わらわがそれを着たら、前任者は脱ぐしかなかろう」
「だから、どうしてそんなことに」
「巫女だけではない」
「うん?」
一度目を瞑って、ゆっくり開けて、ミーコは言った。
「この世界には、もう神もおらぬ」
沈黙が落ちた。
やがて、口を開いたのはシロだった。
「まさか…。亡くなったお前の母親ってのは」
「この世界の、最後の神じゃ」
しばらくは、誰も何も言わなかった。




