第94話「新居の検索、あるいは座標の共有」
共有フォルダに、新しいファイルが作られた。
「新居候補リスト.xlsx」
陽菜が作った。
蓮が開いた。
シートが三枚あった。
「条件整理」「候補物件」「スコアリング」
「スコアリングのシートは俺が作りますか」蓮は言った。
「お願いします」
蓮はシートを開いた。
項目を入力し始めた。
「日照条件。南向きまたは東南向き。午前中の日照時間、五時間以上を優先とします」
「それは大切ですね」陽菜は言った。
「次。回線の通信速度。光ファイバーの敷設、最低でも下り千メガビット以上の対応物件」
「それは必須ですか」
「仕事で使います。必須です」
「わかりました」
「次。耐震構造。新耐震基準、一九八一年以降の建物。または耐震補強済みの物件」
「そこまで調べるんですか」
「記録が全部入っているサーバーが、地震で壊れると困ります」
陽菜は少し笑った。
「大切なのは記録ですか、それとも私たちですか」
「記録が壊れれば俺も困ります。つまり全部大切です」
「同じ優先度ということですね」
「はい」
「……了解です」
陽菜は自分のシートに追加した。
「私からは。キッチンの動線。シンクからコンロまでの距離、できれば一メートル以内。あと、窓から見える景色。空が見えること」
「空の面積は数値化できますか」
「感覚でいいです」
「感覚を数値化する方法を考えます」
「しなくていいです」
「なぜですか」
「感覚で選ぶ部分があっていいからです」
蓮は少し間を置いた。
「わかりました。陽菜さんの条件は感覚評価で記録します」
「ありがとうございます」
スコアリングシートに、重み付けを設定した。
通信環境:二十点。耐震構造:十五点。日照条件:十五点。
「陽菜さんの条件は」
「キッチン動線:十点。景色:二十点」
「景色が二十点ですか」
「そうです」
「通信環境と同じウェイトですか」
「そうです」
蓮は入力した。
「合計、百点満点のスコアリングになりました」
「完璧な計算です」
「ありがとうございます。候補を出しましょう」
週末、不動産業者と内見に行った。
一軒目は、駅から近い築七年のマンションだった。
業者が鍵を開けた。
蓮は入った瞬間に、歩き始めた。
「蓮さん」陽菜は言った。
「はい」
「何をしていますか」
「歩測で寸法を確認しています。一歩が〇・七五メートルとして、この部屋は縦五・二五メートル、横四・五メートルです。公称値と〇・一メートル以内の誤差があります」
業者が少し止まった。
「……正確ですね」
「次に、壁の厚さを確認します。コンクリートの打音で判断できます」
蓮は壁を叩いた。
「外壁は二百ミリ以上あります。内壁は百ミリ前後。問題ありません」
業者が固まっていた。
「Wi-Fiの電波は」蓮はスマホを出した。「現在地で三つのSSIDが検出されています。干渉の可能性はありますが、五ギガヘルツ帯を使えば問題ありません」
「あの、ご質問があれば」業者は言いかけた。
「キッチンを見ます」陽菜は言った。
キッチンに移動した。
陽菜がシンクからコンロまで歩いた。
「だいたい〇・八メートルです」蓮は言った。
「私も感じました。いい動線です」陽菜は言った。
「窓は」
陽菜は窓に近づいた。
外を見た。
隣のビルが見えた。
空が、少ししか見えなかった。
「空の面積が少ないですね」陽菜は言った。
「比率でいうと、視野角の二十八パーセントが空です。残りは建物です」
「三十パーセント以上欲しいですね」
「次の物件へ行きましょう」
業者が「まだご覧になりますか」と言った。
「十分です」蓮は答えた。「スコアを計算しました。七十二点です。基準値に達していません」
業者は黙って鍵を閉めた。
二軒目は、少し古い建物だった。
築二十五年だった。
蓮はスコアリングを始めた。
耐震補強の記録を確認した。
「二〇〇〇年に耐震補強済みです。新耐震基準と同等の強度があります」
「古いけれど、しっかりしているんですね」陽菜は言った。
「はい」
廊下を歩いた。
部屋に入った。
窓があった。
陽菜が窓に近づいた。
外を見た。
止まった。
「蓮さん」
「はい」
「来てください」
蓮が窓に近づいた。
外を見た。
夕暮れの光が差していた。
遠くに、低い建物が続いていた。
その向こうに、空があった。
広かった。
「空の面積が大きいですね」蓮は言った。
「何パーセントですか」
蓮は視野角を計算した。
「六十二パーセントです」
陽菜は窓の外を見ていた。
「夕暮れが見えます」
「はい」
「夕暮れを見ながら、仕事できますね」
「できます」
陽菜は窓枠に手を触れた。
「ここに、コブシの鉢植えを置きたいです」
蓮は窓枠の寸法を確認した。
「幅が〇・六メートルあります。中型の鉢植えは問題ありません」
「決まりましたか」陽菜は言った。
「まだスコアリングが」
「感覚で決めてもいいですよ」
蓮は部屋を見た。
窓。夕暮れ。広い空。
「ここなら、良い記録が残せそうです」
「そうですね」
「感覚ですが」
「それでいいです」
業者が「ご検討されますか」と言った。
「します」蓮は答えた。「スコアリングの結果を待たずに、この物件に決めます」
「よろしいんですか」
「感覚評価を採用しました。例外的な判断ですが、根拠があります」
「根拠は」
「良い記録が残せそうです。それが最上位の評価です」
業者は少し驚いた顔をした。
でも、笑った。
「では、契約の手続きに移りましょう」
書類が用意された。
テーブルに広げた。
住所の欄があった。
新しい住所が書いてあった。
蓮と陽菜が並んで読んだ。
「ここが、俺たちのサーバーになります」蓮は言った。
「サーバー」陽菜は少し笑った。
「生活の基盤、という意味です」
「わかっています」
「この住所が、俺たちの座標になります」
「二人の座標」陽菜は繰り返した。「今日から共有される座標です」
蓮はペンを取った。
署名した。
陽菜が続いた。
二枚の署名が揃った。
業者が受け取った。
「ご契約、ありがとうございます」
帰り道、蓮は少し考えていた。
「どうしましたか」陽菜が言った。
「引っ越しの準備を考えていました」
「もう考えているんですか」
「問題があります」
「何ですか」
「三年分の記録帳が、段ボールに何箱分あるか計算していました。推定で、大型段ボール四・五箱です」
「四・五箱」
「〇・五箱分は、処理を検討する必要があります」
「どういう意味ですか」
「全部は持っていけません。新居のスペースと、保管すべき記録の優先度を照合する必要があります」
陽菜は少し間を置いた。
「選ぶということですか。どの記録を持っていくか」
「はい。三年前の書類の一部は、もう役割が終わっています」
「でも、捨てたくないものもありますね」
「はい」蓮は続けた。「どれを持っていき、どれを整理するか。それは今夜から考え始めます」
陽菜は夕暮れの空を見た。
「一緒に考えましょう」
「ありがとうございます」
「二人の座標が決まったんですから」陽菜は言った。「何を持っていくかも、二人で決めましょう」
蓮はその言葉を聞いた。
記録した。
【記録:202X年7月二十九日 18:44】
新居、決定。座標:共有済み。
引っ越し準備:開始予定。
課題:三年分の記録帳の整理。何を持ち、何を手放すか。
回答:陽菜さんと共に決める。
第94話 了
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